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日本ではリトアニアの歴史があまり紹介される機会が少なく、書物もごく僅かなので、切手ブログらしく切手を使ってその歴史を分かりやすく紹介したいと思います。今回が第一回です。
リトアニアは東ヨーロッパの北、バルト海沿岸にあるバルト三国の一番下の国です。この地方に比較的に早い段階にリトアニア人を含むバルト人が定住を始めます。ゲルマン系の民族もスラブ系の民族もバルト人の後に現在のヨーロッパに移動してきたと言われています。現在バルト語族の言語はラトビア語とリトアニア語のみ残っていて、リトアニア語はサンスクリット語に最も近いヨーロッパ最古の言語として言語学上重要視されています。
12世紀の時点、ヨーロッパではキリスト教がかなり浸透していましたが、バルト人はまだ「国家」というものがなく「部族」に分かれ、土着の宗教を信仰して技術的にもヨーロッパの他の地域と比べかなり遅れていました。東にはノヴゴロド公国、プスコフ公国等のスラブ人の小国家がありましたが軍事的な脅威ではなく、互いに局地的な略奪が繰り返される程度でした。しかしドイツ人の本格的植民がリヴォニア地方(現在のラトビアの沿岸部)で始まると事態は大きく変わりました。1197年、ドイツ人の植民団達はラトビアのIkšķile/イクシュキレに司教座を設け、リヴォニア人(エストニアやフィンランドに近いフィン・ウゴル系の民族)やラトビア人(ラトガレ人やクール人等のバルト系諸民族)を武力でキリスト教に改宗していきました。1201年、三代目司教アルベルトは司教座を現在のリガに移し、軍事修道会リヴォニア騎士団を結成して南下、リトアニアを攻め始めます。一方、リトアニアの南西、プロシアでは1230年にチュートン騎士団がバルト人の一派であるプロシア人を攻撃し始めます。北のラトビア人や南のプロシア人達が外敵に踏みにじられていく様はリトアニア人の諸部族に十分な危機感を与え、リトアニアを一つに結束していきました。1236年、フォルクウィン率いるリヴォニア騎士団主力がリトアニアの北のジェマイティア地方(英語名はサモジティア)に侵入、この地方の有力者ヴィキンタス率いるリトアニア軍と衝突します。ザウレ(太陽)の戦いと呼ばれるこの戦いはリトアニアの勝利で終わります。
1236年9月22日ザウレ/シャウリェイの戦い
この勝利を機にリトアニアの統一は一気に加速して他の諸侯を押さえつけザウレの戦いの英雄ヴィキンタスの甥ミンダウガスという人物が1253年リトアニア初代国王として戴冠します。ここに諸外国が承認するリトアニア大公国が正式に成立します。
2003発行のミンダウガス戴冠750周年記念小型シート
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勉強になりました!
リトアニアの歴史では、「ポーランド・リトアニア連合王国」のあたりが好きです。
その2も楽しみにしています。
2011/5/7(土) 午後 3:58 [ (・ω・*蓮) ]
ポーランド・リトアニア連合王国は「その3」あたりから出てくる予定です。一応・・
楽しみにして頂いて私も書き甲斐があります!
2011/5/8(日) 午前 2:35 [ Prahanoaki ]
ヘタリアファンなのでっ勉強になりますっ
2012/2/16(木) 午前 11:06 [ めんま ]