リトアニアの切手収集日記

リトアニアの切手集めてる方、集まれ!

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ゲディミナスの死後、四男ヤウヌティスがリトアニア大公位を引き継ぎますが、すぐに三男アルギルダスに取って代わられ、五男トラカイ公ケストゥティスと共にさらなる領土拡大を実現します。アルギルダスの息子ヨガイラ(ポーランド語名ヤゲウオ)とケストゥティスの息子ヴィタウタスの時代に入ると、リトアニアは新たな局面を迎えます。1382年、ポーランド王が娘ヤドヴィガを残し他界します。男子王位後継者不在のためポーランドの貴族達は同じくドイツ・チュートン騎士団の侵略に悩む隣国リトアニアの大公をポーランド王に迎えることを決断します。ヨガイラはキリスト教への改宗を約束し、1385年、両国はクレヴォ条約を結び、1386年に12才のヤドヴィガと26才のヨガイラ/ヤゲウオは結婚し、同じ年に洗礼名ウラジスワフを名乗り、ポーランド王としてクラクフで戴冠しました。これがヤゲウオ朝のはじまりとなります。
 
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ヨガイラ/ヤゲウオとヤドヴィガ(切手はヤゲウオ大学創立600周年記念切手
 
当時リトアニアの領土はポーランドよりも遥かに広く、軍事的にも明らかにポーランドより勝っていたため、当初リトアニア人はポーランドを「吸収」したつもりでいました。しかし前回の「その2」でもお話した通り他国の言語に完全に依存するリトアニアには思わぬ結末が待っていました。国王とその側近だけではなく主だったリトアニア人達は言語的に完全にポーランド化してしまいます。「吸収」したつもりが逆に文化的には完全「吸収」されていたのです。
 
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ヨガイラ/ヤゲウオとヤドヴィガの結婚した1386年のリトアニアとポーランド(オレンジと肌色がリトアニア、赤とピンクがポーランド及びポーランド領の地域です)
 
 
ミンダウガスがリトアニア王として戴冠するには1つ課題がありました。ヨーロッパでは王になるためにキリスト教の司教以上の聖職者から王冠を授けられないと王にはなれません。それにはまず治める国がキリスト教であることが前提でした。ミンダウガスはそれまでの雷神ぺリクナスを主神とする土着宗教からキリスト教に改宗します。それが本気だったのか、単なる政治的なパフォーマンスだったのか真相はわかっていませんがこの改宗はリトアニアの貴族達の間に様々な波紋を呼びます。改宗によりキリスト教(主に東方正教会系)の聖職者が教会を建てるための建築技術とそのために必要な数学、文字、医術、神学(哲学)、裁判制度等、これまでリトアニア人達があまり馴染みのないものを沢山持ち込みました。当然、数学用語や裁判用語はリトアニア語にないため、彼らが持ち込んだ言語、古代教会スラブ語が代わって公国の宮廷でも使われるようになりました。このように他国の言語に完全に依存する現象はその後ポーランドと連合する時も続きますが、それはまた別の機会にお話したいと思います。
ミンダウガスは王になって10年で暗殺されてしまいます。キリスト教を良く思わなかった有力貴族の企てとする説もありますが、事実は今も分かったいません。ミンダウガスはリトアニアの最初で最後の国王となります。その後土着宗教の信仰に戻ってしまい「王」として戴冠することが事実上できず、リトアニアの支配者は「大公」と位置づけられます。しかしミンダウガスの「国家統一」はリトアニアに強大な軍事力と民族団結を後世に残すことになりました。その後に続いたリトアニア大公達は東のスラブ人公国や北のリヴォニア騎士団と戦い、領土をドンドン広げていきます。1315年ゲディミナスが大公になると、その巧みな軍事、外交手腕でリトアニアを大国にのし上げます。ヴィルニュスが建都されたのも彼の時代だと言われています。伝説によると、ゲディミナスは今のヴィルニュスに狩で訪れた時に、100頭の狼を束ねる「鉄の狼」の夢を見て、この地に街を作ったと言われています。現在もヴィルニュスの大聖堂の前にゲディミナスとその横に「鉄の狼」の像が飾られています。
 
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ゲディミナスの死後650周年記念切手
 
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14世紀終わりから15世紀はじめのリトアニア大公国の地図。著作権の問題にならないようにヴィキペディアから借りました。一番濃い緑の部分がゲディミナス統治時代の領土拡大です。上の海はバルト海、下の海は黒海です。
 

カラーマーク

カラーマークとは切手の印刷時に使用した色彩の情報で、通常は耳紙部分にバー状で記されています。物によってはカラーマークが付いているだけで切手の評価額がグンと上がることもあります。今回はリトアニアの切手のカラーマークをいくつかUPしてみました。
 
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リトアニア・SCOTT/C33番、1924年発行のリトアニア第一共和国の航空切手です。リトアニアで印刷された第一共和国時代のカラーマークは一般的に細いものが主流です。第一共和国末期になるとイギリス印刷のものがいくつか発行されますがカラーマークが付いていません。
 
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メーメル・SCOTT/N15番。元々公用切手用にリトアニアで印刷されたものですが、メーメルでリトアニア人の決起が勃発、フランスに代わりリトアニアがメーメルを管理することになり急遽メーメル用に加刷して発行した切手です。
 
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メーメル・SCOTT/45番と50番。こちらもメーメルの切手で、フランスの切手の上に加刷されたものです。カラーマークの太さも色々です。
 
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メーメル・SCOTT/8番。SCOTTでもMICHELでも1920年に発行されたメーメル最初のシリーズということなってますが、実は発行は1920年8月で、7月に発行されたフランス切手の加刷の後になります。さすがドイツ!カラーマークがハッキリと印刷されています。
 
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ドイツ占領下リトアニア・MICHEL/5番。ソ連切手に加刷されたものです。1941年7月5日にこのシリーズの全9種類の切手が発行されていますが、なぜかSCOTTには記載なしです。同じドイツ占領下でもラトビアの加刷切手は載っているのですが・・・理解に苦しみます。発行枚数も1番の7万枚以外は全て30万枚から100万枚単位で発行されています。加刷の日付6月23日はドイツがリトアニアを「開放」した日です。切手の発行日ではありません。
日本ではリトアニアの歴史があまり紹介される機会が少なく、書物もごく僅かなので、切手ブログらしく切手を使ってその歴史を分かりやすく紹介したいと思います。今回が第一回です。
 
リトアニアは東ヨーロッパの北、バルト海沿岸にあるバルト三国の一番下の国です。この地方に比較的に早い段階にリトアニア人を含むバルト人が定住を始めます。ゲルマン系の民族もスラブ系の民族もバルト人の後に現在のヨーロッパに移動してきたと言われています。現在バルト語族の言語はラトビア語とリトアニア語のみ残っていて、リトアニア語はサンスクリット語に最も近いヨーロッパ最古の言語として言語学上重要視されています。
 
12世紀の時点、ヨーロッパではキリスト教がかなり浸透していましたが、バルト人はまだ「国家」というものがなく「部族」に分かれ、土着の宗教を信仰して技術的にもヨーロッパの他の地域と比べかなり遅れていました。東にはノヴゴロド公国、プスコフ公国等のスラブ人の小国家がありましたが軍事的な脅威ではなく、互いに局地的な略奪が繰り返される程度でした。しかしドイツ人の本格的植民がリヴォニア地方(現在のラトビアの沿岸部)で始まると事態は大きく変わりました。1197年、ドイツ人の植民団達はラトビアのIkšķile/イクシュキレに司教座を設け、リヴォニア人(エストニアやフィンランドに近いフィン・ウゴル系の民族)やラトビア人(ラトガレ人やクール人等のバルト系諸民族)を武力でキリスト教に改宗していきました。1201年、三代目司教アルベルトは司教座を現在のリガに移し、軍事修道会リヴォニア騎士団を結成して南下、リトアニアを攻め始めます。一方、リトアニアの南西、プロシアでは1230年にチュートン騎士団がバルト人の一派であるプロシア人を攻撃し始めます。北のラトビア人や南のプロシア人達が外敵に踏みにじられていく様はリトアニア人の諸部族に十分な危機感を与え、リトアニアを一つに結束していきました。1236年、フォルクウィン率いるリヴォニア騎士団主力がリトアニアの北のジェマイティア地方(英語名はサモジティア)に侵入、この地方の有力者ヴィキンタス率いるリトアニア軍と衝突します。ザウレ(太陽)の戦いと呼ばれるこの戦いはリトアニアの勝利で終わります。
 
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1236年9月22日ザウレ/シャウリェイの戦い
 
この勝利を機にリトアニアの統一は一気に加速して他の諸侯を押さえつけザウレの戦いの英雄ヴィキンタスの甥ミンダウガスという人物が1253年リトアニア初代国王として戴冠します。ここに諸外国が承認するリトアニア大公国が正式に成立します。
 
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2003発行のミンダウガス戴冠750周年記念小型シート
 
 
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1923年にリトアニア、Biržai/ビルジェイからドイツ、ドレスデンに宛てられた絵葉書です。プロの写真屋さんに作ってもらった私製の絵葉書で、写真左下に地名Biržai/ビルジェイと写真家の名前P.Ločerisが入ってます。写真はビルジェイ城で、筆者もドイツ語で「Ruinen alten Schlossen in Biržai」(ビルジェイの古い城の廃墟)と書いています。この城は現在綺麗に修復されていて、観光に人気のスポットとなっています。
 
現在のビルジェイ城の写真のリンク:

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