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1923年にリトアニア、Biržai/ビルジェイからドイツ、ドレスデンに宛てられた絵葉書です。プロの写真屋さんに作ってもらった私製の絵葉書で、写真左下に地名Biržai/ビルジェイと写真家の名前P.Ločerisが入ってます。写真はビルジェイ城で、筆者もドイツ語で「Ruinen alten Schlossen in Biržai」(ビルジェイの古い城の廃墟)と書いています。この城は現在綺麗に修復されていて、観光に人気のスポットとなっています。
現在のビルジェイ城の写真のリンク:
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リトアニア(第一共和国)
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1919年にRaseiniai/ラセイニエイ市で発行されたローカル切手です。帝政ロシアから独立したリトアニアは極度の財政難に陥り、郵便事情があまりよくなかったことは過去の記事でもお伝えしました。リトアニアのほぼ中央部に位置するラセイニエイ市は市で郵便を運営することを決定し、1919年独自の切手を発行しました。UPした使用済みの切手にある消印は暫定印で、左の赤い二本線消印が一番消印で、右の三本線の青い消印は第3次暫定印です。切手のタイプは2つあり、角の黒線がつながっていない(右の切手)のがタイプ1、角が綺麗にしまっている(左の切手)のがタイプ2です。
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son**n99 さんから頂いたカバーです。私が持っていなかった機械印タイプB2です。機械印タイプBは「pirkime tik savo krašto gaminius」というスローガンが書かれていて、意味は「我々の祖国の物産を買おう」です。1934年7月1日から1940年12月8日の国際郵便料金は印刷物料金で10Centu/ツェントゥ(ツェンタスの複数形)、切手もちゃんとそのようになっています。カバー右上にSpausdintasとありますが、リトアニア語で「印刷物」です。
機械印タイプB1はどんなものかというと:
こちらが機械印タイプB1です。エンタイヤの部分が少し異なります。先ほどのカバーは1934年7月19日のものでしたが、こちらは1932年11月10日です。料金的には1928年7月15日から1934年7月1日のレートになり、スイス、ザンクト・ガレン宛なので普通国際郵便で60Centu/ツェントゥになります。両カバー共にカウナス中央郵便局印です(Kaunas Centr.またはKaunas C.)。
封書は「アストラ美容院」のもの。どんなリトアニア・ミセスが通っていたのでしょうね?ライスヴェス(自由)通り37番地、カウナスの中心のど真ん中なのでまた今度いった時に現在はどうなっているのか見てみたいと思います。
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1936年リトアニア第一共和国、Šilutė/シルテー郡の小さな町、Švėkšna/シュヴェークシュナからの小包票です。14世紀にすで古文書にその名が登場するリトアニアでは比較的に古い町です。現在の人口は約2000、戦前はもっと多かったらしいです。西にこの町の語源ともなったŠvėkšnalė/シュヴェークシュナレー川が流れています。ポーランド語名はSzweksznie/シュヴェクシュニエになります。
シュヴェークシュナの町役場と中央広場の写真のリンク:
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本日は、s o n * * n 9 9 さんからの頂いたカバーをUPしたいと思います。1929年にリトアニア、カウナスのリトアニア信用銀行からアメリカ合衆国、シカゴの銀行に宛ててだされた書留です。3月23日に送られ、後ろのシカゴ着印は4月5日着になっています。面白いのは、すでにリトアニア語で「REGISTRUOTAS/書留」と別途印であるにも関わらず、アメリカ側でさらに「REGISTERED」と捺されなおしてあり、82970という番号まであります。リトアニア側の番号が読み取れなったとも推測できます。
s o n * * n 9 9 さん、ありがとうございました。
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