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1910年帝政ロシア、ВИЛЬНА-ВОКЗАЛЪ/ヴィルナ駅(現リトアニア、ヴィルニュス駅)の局からドイツ、ハンブルグ宛にだされた鉄道郵便の書留です。帝政ロシア時代のヴィルナ駅局は現在のヴィルニュス第13局(Vilnius-13)にあたります。差出人はザンクト・ペテルスブルグ個人貿易銀行ヴィルナ支店です。
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リトアニア(帝政ロシア)
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現在のリトアニア領土内で使われた帝政ロシア時代のカバーや消印が中心となります。
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住所の部分が消えてしまっているところが残念ですが、消印が綺麗に残っていて幸いでした。1888年帝政ロシア、Курлянд. Г./クールラント県のПоланген/ポランゲン(現リトアニア、Palanga/パランガ)からだされた官製葉書です。帝政ロシアのリトアニア3県以外にクールラント県とグロドゥノ県の一部が微かに現代のリトアニアの領土に食い込んでいるのですが、ポランゲンはその一つです。クールラントは現在のラトビア、クルゼメ県、グロドゥノは現在のベラルーシ、グロドゥノ地方になっています。パランガの人口17000人の小さな街ですが、リゾート地として人気があり、夏になると多くの観光客が訪れます。
パランガのビーチの写真:
パランガにあるティシュキエヴィッチ宮殿:
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帝政ロシア時代のВильна/ヴィルナ(現リトアニア、ヴィルニュス)からフランスのGers/ジェール県(département)のVillecomtal sur Arros/ヴィルコンタル・シュール・アロス(ピレネー地方、人口約800人)に宛てられた封書。裏にはしっかりヴィルコンタルの着印があります。
1911年4月16日にヴィルニュスで発送され、5月2日にヴィルコンタルに到着しています。なぜこんなに長くかかったのかは不明です。
興味深いのは、中身の手紙がある点です。筆者の青年がヴィルニュスでこの手紙をフランスの母親あてに書いていますが、今日中に帝都ペテルスブルグに行くらしく、ヴィルニュスであったこと等を語っています。当時を知る良い資料です。面白いのはこの青年がヴィルニュスでフランスの将校と知り合うエピソードがあり、どうもフランス公使館の武官だったようです。ヴィルニュスは首都ではありませんでしたが、各国の公使館がある重要な都市として位置づけられていたことがわかります。
ヴィルコンタルのリンクです(フランス語):
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1911年に当時帝政ロシアのМитава/ミタヴァ(現ラトビア、Jelgava/イェルガヴァ)から同国内のШавли/シャヴリ(現リトアニア、Šiauliai/シャウリェイ)に宛てられた書留です。
イェルガヴァはかつてポーランド・リトアニア連合王国(通称「共和国」)の一部だったクールラント公国の首都として発展した都市で、一時は中米やアフリカに植民地を持つ強国でした。1795年の第三次ポーランド分割で帝政ロシア領になり、ロシアの切手が使われました。個人的にはイェルガヴァではなく、現リトアニアのシャウリェイの着印欲しさにこのカバーを買いました(笑)。
Шавли/シャヴリの着印
クールラント公国についてはこちらの記事でも書きました:
シャウリェイの町並みの写真:
シャウリェイの大聖堂の写真:
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1903年に帝政ロシア、Ков.(Ковно/コヴノ県)、Ковaрcк/コヴァルスク(現リトアニア、Kavarskas/カヴァルスカス)から同県の首府であるКовно/コヴノ(現リトアニア、カウナス)に宛てて送られたカヴァーです(裏のコヴノ着印もUPしました)。2010年の人口調査では人口678人で、リトアニアで4番目に小さな「市」です(1956年に「村」から「市」に昇格)。ヴィルニュス司教領だったこともあり、小さな町ながら大きな教会が建っています。
現在のカヴァルスカスの風景の写真のリンク:
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