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1944年にドイツ占領下リトアニア、Kaunas/カウナス市Vilijampole/ヴィリヤンポレから同じくリトアニアのVilkija/ヴィルキヤに宛てて出された書留です。書留ラベルにはKauen 6/カウエン6とありますが、当時カウナスはドイツ語名のカウエンが正式名称でした。「6」はカウエン6区という意味です。6区は占領前、ヴィリヤンポレ区と呼ばれていて、消印も占領前の第一共和国時代の物を使用していたので「カウナス・ヴィリヤンポレ」のままになってます。戦後、再びヴィリヤンポレ区に正式名称が戻りました。カウエン6区局はリトアニアの歴史の教科書に出てくる有名な郵便局で、カウナス最大のユダヤ人ゲットー:ヴィリヤンポレ・ゲットーの正面門の前に設置されていました。従業員の一部はユダヤ人で、ここで働けば過酷な肉体労働が免除されました。カウナスは杉原千畝さんがいたことでも知られていて、彼の救えなかったユダヤ人達の大部分が収容所に送られる前、このゲットーに集められました。
Vilijampole/ヴィリヤンポレはカウナスに流れる川、ネリス川が、ネムナス川(ドイツ名メーメル川)に合流して終わる地点にあります。ネリス川はかつてポーランド語でヴィリヤ川と呼ばれ、ヴィリヤの終点、ヴィリヤンポレと呼ばれました。Pole/ポレとは「極点」という意味で、英語でも同じ語源の「POLE」があり北極をNorth Pole,南極をSouth Poleといいます。
切手はこのブログでお馴染みのオストラント加刷切手です。現在のエストニア、ラトビア、リトアニアとベラルーシの一部はナチスによってOstland/オストラントと呼ばれ、統一された行政単位を形成していました。
裏面のVilkija/ヴィルキヤの着印
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リトアニア(第二次世界大戦)
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ソ連による併合、ドイツ占領(Ostland加刷)や両国の軍事郵便等を取り扱います。
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1942年にドイツ占領地・Ostland/オストラント(東部占領地域)のリトアニア、Veisiejai/ヴェイスィエイェイからカウナスに宛ててだされた郵便物です。消印にはVeisiejai/ヴェイスィエイェイではなく、少しスペルが異なるVeisejai/ヴェイセイェイになっていますが、これは当時の正式名称です。現代リトアニアではVeisiejai/ヴェイスィエイェイです。人口1500ちょっとで、ポーランド国境から10KMと離れていないところにあります。現ポーランドのビアウィストックで生まれたエスペラント語の生みの親ザメンホフは、ここVeisiejai/ヴェイスィエイェイに住み、まさにここでエスペラント語が生まれました。1988年にザメンホフ記念館がオープンしています。
切手はこのブログでもお馴染みのOstland/オストラント加刷切手です。
ヴェイスィエイェイのリンク(英語):
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第二次世界大戦ドイツ占領下のリトアニア、Nemakschtschen/ネマクシチェン(現Nemakščiai/ネマクシチエイ)の暫定印です。Postzweigstelleとありますが、前にもこのブログで紹介したDienstpost Ostland/オストラント公用郵便局の支局です。主要都市ではDienstpost Ostland局がありますが、小規模の都市ではその支局であるPostzweigstelleが郵便を取り扱っていました。ちょっと複雑ですが、オストラントでは3種類の郵便システムが存在していました。1)Feldpost/軍事郵便、名前のとおり軍人または軍事業務であることが使用条件になります。郵便物に手書きまたは別途印でFeldpost/軍事郵便と書かれ、切手無しのカバーがこういったものです。一部額面表示無しのFeldpost/軍事郵便の切手もありました。2)Dienstpost/公用郵便、原則的にドイツ人のみが使用可能でしたが、行政関係または公共関係の職についているオストラントの他民族(エストニア人、ラトビア人、リトアニア人、ベラルーシ人)も使用が許可されていました。戦時中は郵便物が郵送時山賊またはパルチザン等により取られることがあったので、郵送時軍事エスコートのある公用郵便は人気がありました。消印には必ずDienstpost Ostland/オストラント公用郵便局またはPostzweigstelleと表示されているのですぐに見分けがつきます。3)一般郵便、通常の消印のものは全て一般郵便になります。無くなる率が非常に高かったらしいです。なお、カウナスのようにDienstpost Ostland/オストラント公用郵便局があった大都市でも別に一般局があったところもあります。
こちらがネマクシチエイ局の正規消印になります。購入先の話によると、局員自身が捺して保管していたものらしいです。残念ながらカバーではなくオンピース物です。暫定印が正確にいつまで使用されたかは不明です。
ネマクシチエイは2001年の人口調査で905人だった村です。
ネマクシチエイの景色の写真のリンク:
Dienstpost Ostland/オストラント公用郵便局及びPostzweigstelle/公用支局のリストはこちら:
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ドイツ占領下時代のシャウリェイのカバーは書留を含めすでいくつか過去のUPしたので、正直言って何を書いていいか分かりません。シャウリェイの街には特別な思いいれがあり、特に力を入れて集めています。
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1943年第二次世界大戦ドイツ占領下リトアニア、Wilna/ヴィルナ県(現ヴィルニュス県)のJašiūnai/ヤシウネイという人口2000人以下の小さな町からドイツ・トレーネンブリーツェン宛にだされた国際小包票です。重さ7.2キロ、何を送ったのでしょう?切手はこのブログでもお馴染み中のお馴染みのOstland/オストラント加刷切手です。
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