|
大正10年5月6日(1921年)シベリア出兵時にウラジオ派遣軍第九師団歩兵第七連隊通信斑より出された軍事郵便。筆者も書いていますが、写真は浦塩大停車場(現ウラジオストク / Владивосток本駅)で、現在も当時のまま残っています。
現在のウラジオストク本駅:
|
樺太・日露戦争・シベリア出兵
[ リスト | 詳細 ]
|
敷香(しすか)は旧日本領樺太最北端にあった国境の町でした。現在はロシア領のポロナイスクになっていますが、1945年に激しい戦いがあり町は全焼したため、現ポロナイスクと元の敷香町の位置が少しずれています。
|
|
樺太(現ロシア、サハリン州)のエンタイヤのカタログがないので残念ながら貴重なものかどうかは分かりませんが、樺太守備隊軍事郵便の消印です。日付は1月17日となっていますが年号が読み取れません。下にある受け取り印が明治39年3月10日になっていますので多分、同じ年でしょう。局は第一野戦局だと思われます。絵葉書には筆者が「カルギノ・センスコエ」という地名を書いていますが、どこかは不明です。写真を見る限り、かなり小さな集落です。下記のリンクを見ていただくと「ガルキノ」や「何々センスコエ」等幾つか近い地名が登場します。 |
|
「大阪商船大禮丸樺太コルサコフ港停泊ノ景」、凍結したコルサコフ港。実際には港は離れていて、氷の上で積荷を降ろしている。 |
|
樺太、豊原市のロシア人部落。部落と言うと少し差別的に聞こえなくもないが当時のサハリンでは普通だったらしい。豊原は以前、ウラジミロフカという名前で知られていた。ここを訪れたロシアの文豪チェーホフによるとウラジミールという将校が流刑者たちを集め作った村らしい。日本統治時代、ウラジミロフカ支庁が置かれ、1908年樺太庁がコルサコフから移転してくると豊原と改称される。現在はロシア、サハリン州の州都でユジノ・サハリンスクと呼ばれている。この未使用の絵葉書は先日ヤフオクでGETしました。 |



