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1919年東プロシアのInsterburg/インステルブルグからドイツ本土に送られた絵葉書です。現在はロシアの飛び地であるカリーニングラード州Черняховск/チェルニアホフスクです。インステルブルグの消印がないのは勿論ですが、街じたいが二度の大戦でかなり破壊され、今は原型を全く留めていません。
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東プロシア
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1906年にかつてのプロシア(プロイセン)王国の王都であったケーニヒスベルグ / Königsberg からストラスブールへ送られた絵葉書。ケーニヒスベルグを含む東プロシア(プロイセン)は戦後ソ連に併合され、現在ではリトアニアによって隔てられたロシアの飛び地になっている。絵葉書に写っている城はドイツ・チュートン騎士団の城で後に世俗化したプロシア王国の王宮として使われていた。戦時中破壊され現在では跡形も無い。戦後はカリーニングラードと改名され、ソ連政府によりドイツ人は本国へ送られ、かわりにロシア人を入植した。
有名な哲学者イマヌエル・カントはケーニヒスベルグ出身で、今も戦後修復された大聖堂に彼の墓がある。
ちなみにお隣のリトアニアではカラリチウス / Karaliaučius と言う。
詳しくは:
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