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不要不急の「買いだめ」「買い起き」は控えるよう政府が呼びかけていすが。。。。 |
雑記帳
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こんばんは、ペンキ塗り、今夜はペンキなくなって砂町のドイトへ買いに行きました。
部屋の整理中に出てきた写真です。昭和53年頃でしょうか?
バスマニアでもあまり知られていない、
都バス亀21系統の旧ルートがうちの前を通っていました
ガソリンスタンド(現亀戸6−9−1エネオス)と隣の木造家屋は今も当時のまま
うちの目の前の道路反対側(亀戸6−5−5先)が「第二亀戸小学校通り」バス停でした。
(実際の小学校は200M以上東側)
亀21系統は新設当初は亀戸行きは丸八通りの堅川大橋を渡るとすぐ左折し、
西行きの一通道路を「平岩公園」(平岩公園の前)、「第二亀戸小学校通り」(亀戸6−5−5先)
と西進し、明治通りに右折して亀戸駅前に至る経路でした。
これは、私の憶測では、新設当時の京葉道路のひどい混雑具合と、水神森バス停の
客扱い容量(1台づつしかできない)、亀戸駅前交差点での右折待ち時間を考えると
裏道を進んだほうが早いとの考えと思われます。
ただ、私が見ていた限りでは、亀戸駅の東口を利用する方々は、水神森バス停を
利用できないと言う不便があり、裏道ならではの進路妨害(両側駐車でバスが通れなく
バスがクラクションを鳴らしっぱなし)がしばしば。また、明治通りの亀戸駅までの大渋滞など、
裏道経由の利点がなかったと思います。
うちの目の前で、大雨の最中、バスの脇腹にサニートラックが突っ込んだことがあります。
当時の「美濃部カラー」(薄いアイボリーに水色)の都バスは視認性が悪く、
サニートラックの運転手が「まったくバスに気付かなかった」を言っていました。
「のちに信号を設置」
とか言ううちに、亀戸行きも京葉道路経由になったわけですけれども、それがいつだったか
はっきり覚えていませんが、昭和50年代の中頃だったと思います。
新設当初は、アポロ式方向指示器を装備したバスが1台残っていて、それが見たいがために
バスが来るたびに窓から覗いていたのも懐かしい思い出です。
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ゆく年くる年12月31日(金)総合 午後11:45〜午前0:30
今年のNHK「ゆく年くる年」は地元、東京亀戸天神がキーステーションになります。
亀戸天神HP
ちなみに、私は亀戸香取神社の氏子ですが、幼稚園は亀戸天神でした。
スポーツ振興の神 亀戸香取神社HP
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自宅の屋上から見たスカイツリーです。
最近になって展望台より上の部分がマンション越しに見えるようになりました。
周りは8〜十数階建てのビルが増えてしまい、空が広く見える場所が少なくなりました。
亀戸西六町内からも見える場所が限られています。
亀戸南公園のトイレの前あたりからは少し見えます。
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年賀状、7時間かかって書き終えました!
なんだか、宿題が終わった気分!笑
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