海神の剣/胸形三女神の海と宇宙を護持奉る記

志賀島から宗像沖ノ島一帯海洋・この神々の海を文化・自然 複合世界遺産に!

神々の社

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三苫・綿津見神社の大日堂、虚空蔵堂に

木造不動明王立像    木造吉祥天立像   木造如来形立像   
木造伝虚空蔵菩薩立像  木造伝薬師如来坐像

これら五体の仏像が安置されている。
木造伝薬師如来坐像は南北朝時代作、他の四体は平安時代の作とされる。

以下、

 「 福岡市教育委員会文化財部文化財整備課制作HP 福岡の文化財 」よりの抜粋資料です。
  
// 綿津見神社仏群 //
 
玄界灘を眼下におさめ、西に志賀島、北に相ノ島を望む宮山(旧字名)に位置する綿津見神社の仏像群です。近世地誌類にも紹介される境内の大日堂、虚空蔵堂に祀られています。小振りながらも保存状態の良好な一木造の不動明王立像、吉祥天立像、風化が進んでいますが四尺を越える如来形立像(伝大日如来像)、伝虚空像菩薩立像、これら4像は平安時代後期の作とみられ、さらに、南北朝時代の作とみられる伝薬師如来坐像の5躯からなります。玄界灘沿岸の仏教圏を想定させる貴重な仏像群です。

本仏像群の内、木造如来形立像(伝大日如来像)と 木造伝虚空蔵菩薩立像の2躯については、江戸時代の地誌である『筑前国続風土記附録』、『筑前国続風土記拾遺』に紹介されています。それによれば、崇徳院(1119〜64)時代或いは崇光院時代(14世紀中頃)、南北朝時代に海中から引き揚げたものとの所伝があったことが知られています。また、永享七年(1435)に次郎四郎が虚空蔵堂に施入した鰐口が「こくう蔵の古やしきの圃中」から江戸時代に掘り出されたことが伝えられており、本像等の存在を窺わせています。

木造不動明王立像、 木造吉祥天立像、木造如来形立像(伝大日如来像)、 木造伝虚空蔵菩薩立像いずれも平安時代後期の製作と考えられ、木造伝薬師如来坐像は南北朝時代の製作と考えられるものです。袖を「8」の字型に彫出する点など、平安期の大宰府文化圏に入り得る作品群であり、近年宗像、津屋崎で発見された平安後期の仏像と同系統とも考えられるものです。
神仏分離の際、破壊を免れたものと思われますが、本地域における古代・中世の宗教文化を物語る貴重な仏像群です。

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@ 綿津見神社安置の仏像5体
左から 不動明王立像/吉祥天立像/伝虚空蔵菩薩立像/如来形立像(伝大日如来像)/伝薬師如来坐像

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@ 境内奥の鳥居の先は海 


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@ 三苫・綿津見神社先からの海景 三苫の海岸西側からつづく、奈多・海の中道

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@ 三苫・綿津見神社先からの海景 海の中道のむこうに浮かぶ志賀島

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@ 三苫・綿津見神社先からの海景 新宮沖に浮かぶ相島と三苫の海岸西側


 
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@ 境内遠景


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@ 虚空蔵菩薩堂

 〜 三苫虚空蔵菩薩由来 同堂横掲示由緒書より 〜

   桓武天皇御代延暦二十四年、最澄伝教大使入唐求法帰路、六月十三日花鶴濱(古賀濱)に上陸
   し、一ヶ月滞在の折り、巡錫布教の砌り、三苫虚空蔵菩薩を彫刻安置し地区住民の財宝の恩恵
   を授けるの始めで、千百八十有余年の歴史を持ち今日まで法統(法灯か)連綿として引継がれ
   家門隆昌の守護を授けるものなり
  
   俗に無一文から蔵が建つという七福神の一体でもあり、三十三忌の守り本尊でもあります


 ・ 虚空蔵菩薩ご真言 ・
 
   おんばさら あらたな おんたら そわか


 ・ 薬師如来ご真言 ・
 
   おんころ ころ せんだりまと うぎ そわか

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@ 八大竜王神 扁額祠

 〜 扁額祠由緒書 〜 

   綿津見信ハ中古ヨリ八大竜王マタハ竜王ト称ス、此ノ額ハソノ遺跡ナリ、
   香椎宮編年記二九月十日大宮司斎戒沐浴シテ神体ヲ神輩二移シ、祠官音楽ヲ奏シテ了テ
   十一日の暁に三苫郷龍王ノ社二遷幸ス、此れ、皆ナ大菩薩征西ノ時、加護し玉ヒシ神祭
   也トアリ

   明治初年神仏分離ノ際龍王社ノ社名ハ綿津見神社二復元セリト雖モ往古の貴重ナル実蹟
   ナレバ、謹みて茲に顕彰スルモノ也

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縫殿神社が鎮座する里山の眼前に広がる野(1) お椀を被せたような王墓・古墳の点在が見える。
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縫殿神社が鎮座する里山の眼前に広がる野(2) 王墓・古墳、田畑が広がる先に海が光って見える。
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縫殿神社鎮座地福津市南丘陵の山々 対馬見山など

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@ 奥村玉蘭 筑前名所図絵 楯崎諸浦の図


〜 貝原益軒編纂 筑前国続風土記・楯崎神社より 〜

  楯崎は渡村より十町許乾の方にあり、社あり、大楯崎権現と称す

  薬師佛も同じく社中にあり、例祭9月24日なり、

  又、小楯崎権現とてあり、社はなし、神体大巌なり
  神功皇后此処に御上がりの由いひ伝ふ、又牧明神とてあり


〜 青柳種信編纂筑前国続風土記附録・楯崎権現社より 〜
  
  本編に大楯崎権現とあり

  祭る所、熊野三所神也、或大己貴命・少彦名命を祭るという
  是本編に見えたる社中の薬師佛なるへし 薬師佛今ハ社後の岩窟に安置せり

  相殿に飛龍権現をも祭れり、神功皇后の御事なりといふ
  皇后三韓より御帰朝の時、此の海浜の京泊りといふ所に御船着、夫より此山に上らせ給ひ、楯板
  を蔵め置かれし地なれハ楯崎山・薬師山ともいふ と号すと里民いへり。また此山の絶頂に楯石
  といふあり

  その西の方ハ、掛崖数十丈にして険阻なり 本編に小楯崎権現とてあり、社ハなし 
  神体大巌なりと記せるは、この楯石のことなるへし

  今は小楯崎権現とは称せず

  社のうしろに岩窟あり。其内に薬師の木像あり、本地仏といふ
  石像も23躯あり 里民奥の院といふ


〜 筑前国続風土記附録・渡村 楯崎神社 〜
 
  楯崎神社

  村内にあり、産神なり、
  参詣の便りよきため楯崎山より勧請すといふ 社内に恵比須社・祇園社あり、

・ 同部分は、現在福津市渡集落にある楯崎神社が参拝の便宜のために楯崎山の断崖にある元宮たる
  楯崎神社を分祠したものとの説明をしている



   筑前国続風土記/青柳種信 が現した地誌

   青柳種信 ・あおやぎ たねのぶ

           /明和3年(1766)〜天保6年(1836)
            福岡藩士
            天明年間江戸に出仕し井戸南山に儒学を学ぶ
            国学家業城代組 御右筆記録方
            筑前国続風土記附録ほか、筑前国怡土郡三雲村古器図説 防人日記など
            著す


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