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環境省/土壌汚染対策法改正案/臨海部工業専用地域の手続き簡素化  [2017年2月21日2面]
   
 環境省が今国会に提出する土壌汚染対策法改正案の概要が明らかになった。現行法で土地所有者などに義務付けている面積3000平方メートル以上の土地形質変更時の土壌汚染状況調査について、現場の実態を踏まえ規制の強化と合理化を図る。合理化に向けた新たな措置として、一般の人の健康に悪影響を及ぼすリスクが少ない臨海部の工業専用地域については、土地形質変更工事で必要な事務手続きを簡素化する。
 規制を強化する新たな措置では、土壌汚染状況調査の対象範囲を拡大。現在は3000平方メートル以上の土地形質変更時に例外なく義務付けているが、改正案ではプラントなどの「有害物質使用特定施設」を操業していた3000平方メートル未満の土地形質変更時も追加する。
 土壌汚染状況調査を経て都道府県知事が定める「要措置区域」での措置方法に関する規制も強化する。土地所有者や施工業者などに対し、新たに措置方法に関する計画と完了報告書を事前・事後でそれぞれ知事に提出することを義務付ける。知事が措置方法の計画内容が法令に基づく技術的基準に達していないと判断した場合は、計画変更を命令する措置も設ける。
 一方、規制を合理化する新たな措置では、一般居住者の健康に被害を及ぼすリスクが低い臨海部の工業専用地域での土地形質変更工事の事務負担を減らす。現在は土地所有者や施工業者などに対し、1回の工事ごとに事前に知事への届け出を義務付けているが、これを同地域での複数回すべての工事を対象にした年1回程度の事後届け出へと見直す。
 このほか、自然由来の汚染土壌の処理方法について、従来の処理施設での処理だけに限定せず、新たに同一地層の自然由来による汚染土壌が広がっている他の地域への搬出も認める。
 成立すれば公布から2年以内に全面施行する。

転載元転載元: 環境・正義・歴史の友達のブログ




スクープ!笹子トンネルの天井板落下事故で新事実大成建設施行の天頂部だけが波打っていた(明石昇二郎)



http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/wp-content/uploads/2017/06/s-DSC00792-200x300.jpg
トンネル内を調査した「笹子トンネルの真相を探る会」メンバー。(撮影/明石昇二郎)
 やる気のない警察の捜査を尻目に、民間人による手弁当の調査が新事実を炙り出した。2012年12月に発生し、9人の尊い命を奪った中央自動車道「笹子トンネル天井板落下事故」。発生から4年半が過ぎた今も捜査は終結しておらず、今回判明した新事実の活用が望まれる。
中央自動車道上り線の「笹子トンネル」で天井板落下事故が発生したのは、2012年12月2日のこと。すでに4年半が経過している。同事故では、トンネルの天頂部に接着剤で固定したアンカーボルトによって吊り下げられていたコンクリート製の天井板と隔壁板が約140メートルの区間にわたって落下。走行中の車両を直撃し、9人が死亡、2人が負傷した。
被害者に落ち度はなく、事故を招いた責任は、道路管理者である中日本高速道路(NEXCO中日本)等にあることは明白だった。現に警察はNEXCO中日本に対し、業務上過失致死傷の容疑で家宅捜索を実施している。
だが、これまで誰一人として、逮捕も書類送検もされていない。いまだ「捜査中」(山梨県警本部)なのだという。
そこで、大学教授や元トンネル施工業者、そして技術士などの民間人によって結成された「笹子トンネルの真相を探る会」(真相を探る会)が4月17日、笹子トンネルの内空調査を実施。その結果、事故現場付近のトンネルが沈下していたことを突き止めた。

測定費用は10万円

真相を探る会が着目したのは、天井板落下事故が発生する以前に繰り返し発生していた「天井板への接触事故」だ。
08年6月に発生していた天井板接触事故では、高さ4・95メートルのコンテナ車が高さ4・7メートルのトンネルを通過した際、約3キロメートルにわたって天井板に擦過痕をつけたとされていた。これが事実だとすると、そのコンテナ車はそもそもトンネルに侵入することができない。
なぜ、こんなことが起きたのか。しかも、この天井板接触事故が起きた区間(約3キロメートル)は、天井板の落下区間(約140メートル)を含んでいる。さらには、05年9月のトンネル点検で発見されていた天井板の損傷全49カ所のうち、なんと42カ所までが天井板の落下区間とその直近で見つかっていたのだ。真相を探る会では、天井板を吊り下げていたトンネル自体が沈下してきているのではないかと考えた。
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/wp-content/uploads/2017/06/zu1.jpg
図1 トンネル内空計測で測定した「長さ」。(提供/「真相を探る会」)
この仮説の下、4月17日の笹子トンネル内空調査では、実際に笹子トンネルを車で走り、天頂部の沈下具合を測定。使用したのは10メートル先の距離を1ミリメートルの誤差で測定できるライカ社製レーザー距離計「DISTO D2」3台。これと自前のノートパソコンを連動させ、測定費用を10万円以内に収めることができた(図1参照)。

天井板は波打っていた

笹子トンネルでは送気と排気のため、落下した天井板の上を空気が通る構造になっていた。天頂部から吊るされた隔壁板を境にして、片方がトンネル内にたまる自動車の排気ガスを吸い出す排煙用の道(排気ダクト)。もう片方が新鮮な空気を送り込むための道だった。
同トンネルには大きさの異なるS、M、Lの3種類の掘削断面がある。路面から天井板までの高さ4・7メートルはどこも一定で、その代わり、一番大きなL断面では天頂部から天井板までの長さが5メートル以上になっていた。
今回の実地調査により判明したのは、天井板の落下が発生した区間(L断面)の「路面から天頂部までの高さ」が一定でなかったことだ。真相を探る会では、「トンネルの一部で沈下が起きているとみて間違いないだろう」と判断した。
http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/wp-content/uploads/2017/06/zu2.jpg
図2 大月側と甲府側の「L断面」比較。○をつけた箇所でトンネルの天頂部が際立って下がっているとみられる。(提供/「真相を探る会」)
図2に示すように、問題のなかった甲府寄りのL断面は大変滑らかに施工されているのと比べ、事故が起きた大月寄りの天頂部はデコボコして波打っていた。となれば、その天頂部から吊り下げられていた天井板も一緒に波打っていたことになる。天井板接触事故が頻繁に起きていたのはまさにこの区間(約420メートル)であり、天井板が落下した区間(約140メートル)を丸々含んでいる。
もうひとつ、判明したことがある。天井板落下とトンネル内の「非常駐車帯」との関係だ。
大月寄りのL断面に入ってしばらく走ると非常駐車帯の「A―3」(長さ32メートル)がある。そして、このA―3を通過してすぐのところで、42カ所の天井板損傷が集中発生していた。
非常駐車帯のA―3部分は、一番大きなL断面よりもさらに巨大な掘削断面になっていた。掘削断面積はL断面が123・1平方メートルであるのに対し、A―3部分は171・5平方メートル。これに伴い、打設するコンクリートの厚みも増し、L断面では55センチメートルなのが、A―3部分では1メートル近い90センチメートルにもなっている。このような施工区間は笹子トンネル上下線の中でもここだけだ。
この非常駐車帯に関し、会計検査院が1976年11月、気になる指摘をしていた。同院の調査により、笹子トンネル上部のコンクリートの厚さが不足する等の施工不良が見つかり、設計よりも強度が低くなっていたことが判明。全国各地で同時期に行なわれた調査では、コンクリートの厚みが半分の量しかなかったところや、コンクリートと土の間に1メートルほどの隙間が空いていたところもあったのだという。
同院では、笹子トンネルのどの箇所でどのような施工不良が見つかったのか、詳細を明らかにしていないが、問題が見つかった箇所について、設計上の覆工コンクリートの巻き厚が「55㎝から90㎝」だと具体的に記述していた。「55㎝」は笹子トンネルのL断面、「90㎝」はA―3非常駐車帯の設計とピッタリ符合する。
施工不良の原因は「監督及び検査が適切でなかったため」と結論づけられていた。指摘を受け、当時の道路管理者である日本道路公団は補強工事を行なったとされる。それでも、トンネルの天頂部は波打ち、天井板落下事故は起きた。
同トンネルの施工には、大成建設、大林組、飛島建設、前田建設工業の大手ゼネコン4社が関わっており、天井板落下事故が起きた区間を請け負っていたのは大成建設である。トンネル天頂部の施工がデコボコしていたのは、大成建設が担当していたところだけ。他のゼネコンが施工した天頂部では目立った「波打ち」は見つからなかった。
そこで、大成建設にコメントを求めたところ、
「(真相を探る会は)刑事告発をされていることですので、当社からのコメントは控えさせていただきます」(同社広報室)
とのことだった。
16年に刑事告発していた同会は、4年半が過ぎても立件しない天井板落下事故の捜査を指揮監督する立場にある最高検察庁の「監察指導部」に対し、今回の測定結果を無償で提供。迅速に立件するよう促した。
調査を立案した、真相を探る会メンバーの西山豊・大阪経済大学教授は語る。
「忘れてならないのは、国内8000万ドライバーすべてに崩落に遭う危険があったということ。再発防止のためには、徹底した科学的な原因究明が必要です」
(あかし しょうじろう・ルポライター、2017年6月2日号)

  私は元台湾総統の李登輝氏の言う「日本精神」という言葉を聞いたことがなく
 知らなかった。

 戦前の日本人が当たり前に持っていた「日本精神」とはどういうものかを
 李登輝氏は月刊「Voice」平成25年5月号の中で、次のように記述しています。

 【台湾には「犬が去って、豚が来た」という言い方がある。犬は戦前に台湾を
 統治していた日本人、豚は大陸から来た中国人を意味する。

 渋谷に忠犬ハチ公の銅像があるだろう。犬は吠えてうるさいが番犬として役に立つ。
 これに対し、豚は食い散らかすだけで何もしない。大陸から来た中国人に比べれば、
 日本人のほうがはるかにましだったという、台湾人の考えを表した言い方である。

  また、台湾人が好んで用いる言葉に「日本精神」というものがある。これは
 日本統治時代に台湾人が学び、ある意味で純粋培養されたもので、「勇気」「誠実」
 「勤勉」「奉公」「自己犠牲」「責任感」「遵法」「清潔」といった精神を指す言葉である。

 じつはこの言葉が台湾に広まったのは、戦後のことで、当初は大陸から来た国民党の
 指導者が自分たちには持ち合わせていないものとして、台湾人の気質を示したものだ。

 台湾に浸透したこういう「日本精神」があったからこそ、戦後の中国文化に台湾は
 完全に呑み込まれることはなかったといえるし、現在の近代社会が確立されたともいえる。】

 
  現在の台湾に今もなお受け継がれている「日本精神」が、台湾を親日国家にしています。
 日本精神は伝統的な日本文化の真髄であり、現代の日本人の多くは少しも意識することなく
 生活しています。「日本精神」を尊び学んだ台湾人は日本文化を共有していると言えます。

 政府は親日国家の台湾との国交を回復して日台関係を緊密にして、両国で共同して
 「台湾はシナのー部である」というプロパガンダを打ち破ることが重要です。

 政府は敵国のシナと手を切り、同じようにシナの侵略の脅威にさらされている台湾と
 手を結ぶ国家戦略が必要です。


  ガンバレ 日本!
 【参考文献 月刊「Voice」平成25年5月号】

転載元転載元: 福島正則の「ガンバレ 日本!」ブログ

戦後、中国国民党の支配することになった台湾には言論の自由がなく、政府に批判的と疑われたら最後、逮捕され銃殺されるという恐怖の時代が続きました。また知識ある者は独裁にとって都合が悪いので、無実の罪を着せられ処刑され、殺された犠牲者の数は3万人とも5万人とも言われてます。
1988年李登輝総統の登場により、台湾はようやく民主化の道を進むようになりましたが、国民党独裁政権時代の傷はいまだ深く、今でも政界もマスコミも一部の外省人(中国人)に握られ、情報操作されるという状況が続いています。歴史教育も本当の台湾の歴史を教えられず、専ら中国を中心とした中国に都合よく歪曲された歴史を学ばされてきました。さらに、日本人はかつて台湾が日本の一部であったことを忘れ、日本にも見捨てられた台湾の年配の人々は苦渋を嘗めつづけてきました。
そんな中、2人の日本人が台湾に関する書を著し、年配の台湾人を大喜びさせました。司馬遼太郎の『台湾紀行』と、小林よしのりの『台湾論』です。蔡焜燦(サイコンサン)氏はその著書『台湾人と日本精神』において、司馬遼太郎氏を“台湾の恩人”と呼び、小林よしのり氏を司馬氏と同等かそれ以上の絶賛をしています。
現在の日本政府は中国に遠慮して台湾を中国の一部のように扱い、台湾人を怒らせていますが、はたしてそれでいいのでしょうか。『台湾紀行』と『台湾論』を読んだ台湾人の反応を書いた蔡焜燦氏の文章は、これまで台湾人がいかに中国人の圧政に苦しみ、日本人が目を向けてくれなくなったことを悲しんできたのかがよくわかります。これから日本が台湾とどう向き合っていくべきかを考える上で非常に重要なものと思われますので、一部紹介したいと思います。
以下、蔡焜燦著『台湾人と日本精神』より抜粋

台日両国民の心を近づけた『台湾紀行』

そもそも文豪・司馬遼太郎が台湾を描くことになったきっかけは、大阪外国語大学時代の同級生である台湾人作家の陳舜臣氏が台湾に帰ったとき、李登輝総統から「台湾について書ける作家はいないかね。君はダメだよ、台湾人だから……日本人で」と持ちかけられ、陳氏の脳裡に浮かんだのが司馬先生だったのである。そして司馬先生への陳氏の電話での短い問いかけが『台湾紀行』誕生のきっかけとなった。「『街道をゆく』、台湾まだやな」(中略)
この作品は、台湾を知らない戦後世代の日本人が“台湾”を知る契機となり、さらに「台湾に生まれた悲哀」というセンセーショナルな言葉を生み出した李登輝総統との対談は、少なからぬ人々に台湾への理解を深めることに貢献した。また戦後に台湾から引き揚げた台湾生まれの日本人に、生まれ故郷のその後を伝達できたことはなによりである。(中略)
“日本語族”の人々は、かつての祖国・日本が再び台湾に関心を寄せてくれたと喜び、こうした人々を中心に、多くの台湾人が日本への郷愁や親愛の情をより一層深めていったのである。もっといえば、この作品は台日両国の精神的な距離を縮め、両国民に相互親愛の心を育んだ最高の「外交」だったといえよう。(中略)
日本・台湾両国で一大センセーションを巻き起こした『台湾紀行』は、後に台湾で『司馬遼太郎と台湾』という本を生み出すなど、台湾人の多くが司馬先生の台湾観を再確認しようとした。それは、『台湾紀行』という本が、これまで封印されてきた台湾の歴史を見事に描き出し、さらにその鋭い洞察力をもって台湾の将来をはっきりと予見した作品だったからである。
紀行記『街道をゆく』シリーズ全四十三巻の内、政治問題に言及した作品は、この『台湾紀行』をおいて他にない。周知のごとく、複雑な台湾問題をこの一冊が見事に解き明かしてくれたことに台湾人は狂喜したのである。それと同時に、台湾人自身が戦後の国民党独裁政権によって封印されてきた自国・台湾の歴史をこの本によって知ることができたのだった。それほどまでにこの『台湾紀行』の出現は、我々台湾人にとって一大事件だったのである。
『台湾紀行』の巻末に収録されている李登輝総統と司馬先生との対談では、文明論からこれまでタブーとされてきた台湾を巡る国家論にまで発展した。そして台湾が台湾人の国であることを、様々な例証をもって確認している。司馬先生は、台湾の領有を執拗に主張する“大陸”に対しては、「中国のえらい人は、台湾とは何ぞやということを根源的に世界史的に考えたこともないでしょう」と、とりわけ手厳しい。
こうした内容が中国の猛反発を買い、司馬先生は日中文化交流協会の代表理事を辞任するまでに発展したのである。しかしながら、そうした結果を招くことをご本人も予期していたにちがいない。むしろ、司馬先生はすべてを覚悟の上で『台湾紀行』に取り組んだものと思われる。

つづく



転載元転載元: TAMANIWA たまには

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