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行雲流水〜雪の里から〜
Thank you for everything and see you someday!

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今回は、アストル・ピアソラについてのちょっとしたおさらいと、ブエノスアイレスの四季、について
少し触れたいと思います。
 
アストル・ピアソラは、1921年3月11日、アルゼンチン、ブエノスアイレス州のマルデルプラタ市で
この世に生を受けました。アストルの祖父母は、イタリアからの移民であり、アストルの両親は
共にイタリア移民2世。
 
ということで、アストル・ピアソラという人は血統からいうとイタリア人であるわけです。
アストルのタンゴは、踊るための伴奏ではなく、音楽が主役であると言われています。
 
既存のタンゴは「退屈」で革命が必要と考えていたアストルは、タンゴという音楽に、クラシックやジャズの
要素を取り込み、エレキギターなどの楽器を取り入れて今までになかった新しいタンゴを創造したことからも
「タンゴの革命児」とも呼ばれています。
 
しかし、革命を起こすということはある意味、「伝統を破壊する行為」でもあります。アストルのタンゴは、
祖国で披露されたとたん、「タンゴを破壊した」「あんなものはタンゴではない」などと、周囲から猛烈な
反発と、痛烈な批判を受け、非難轟々、もの凄い勢いで叩かれたそうです。一説によれば、彼の家族まで
脅かされたり・・彼自身も非常に大変な目にあったそうです。
  
アストルにとっては、伝統的なタンゴは「乱暴で非音楽的」でもありました。彼はタンゴは男女が踊るための
伴奏ではなく、純粋に音楽の1つにしたいと考えたのでしょう。彼のタンゴは「踊れないタンゴ」とも言われて
いますが、彼が感じた伝統的なタンゴの持つイメージからも、おそらく彼の頭の中には、踊る男女の姿は全く
なかったのでしょうね。
 
しかし、アルゼンチンの人々にとっては、やはり昔からタンゴは「踊るもの」として認識されてきたのですから、
彼と彼の音楽との間に、そのような軋轢が生まれるのは当然のことだったのでしょう。
 
そういった困難を乗り越えた数年後に、ブエノスアイレスの四季、は誕生しています。
「四季」なので、もちろん他に「夏」、「秋」もあるわけだけど、1番先に作曲されたのは「夏」
この「夏」を作曲した時、アストルには、「四季」という構想はまだありませんでした。
 
(作曲された順番は、夏→秋→冬→春です。)
 
そもそも、「ブエノスアイレスの夏」は、舞台劇「金の垂れ髪」のために書かれた4曲のうちの1つです。
この舞台劇のための音楽を依頼されていたアストルは、他の事に気をとられていたようで(あらら)、
それらの音楽を録音する日をすっかり忘れており(爆!)、明日の朝には録音しなければならないのに、
前日の夜の時点で「一曲どころか、一音すら」書いていなかった状態でした。
 
しかし、彼はたった一晩でこの「ブエノスアイレスの夏」を含む4曲を一気に書きあげ、編曲も済ませ録音は
無事終了。まさか「ブエノスアイレスの四季」という4部作の発端となった「ブエノスアイレスの夏」が、こんな
カタチで誕生していたとはね・・アストル兄さん、なかなかやってくれます。やはりタダモノじゃありません。
 
その後、1969年前半に「秋」、そして、「冬」「春」が誕生したのは1969年後半のこと。
 
余談ですが、四季、というと、アントニオ・ヴィバルディ(ヴェネティア共和国・現イタリア出身)の「四季」が
有名ですがヴィヴァルディ自身は「四季」という音楽は作っておらず、それらは彼の作曲した数多くの協奏曲の
うちの4つにそれぞれの季節の名前がつけられ、まとめられたものです。
  
アストルの「四季」は、彼の故郷であるアルゼンチンのブエノスアイレスのそれぞれの季節を旋律にして
集めたもので(最初に出来たのが「夏」ということですが、確かに南半球の1年の初めは夏ですよね・・・)
アストルは「秋」を作曲した時に「四季」を揃えることを決めたそうです。
 
ところで、実は「夏」から次の「秋」の誕生までは、約4年の月日が流れるわけですが、その間にアストルは
もの凄いスランプに陥り、ろくに曲をかけない日々が約2年も続いたとか・・それは「夏」を発表してまもなくの
ことでした。
 
その原因は一言でいうとズバリ「オンナ」^^;
 
彼はこの女性に、振り回された挙句、創作意欲どころか演奏意欲をもすっかりなくし、その感性の煌きを
失ってしまったとのことです。(しかも、この時、彼は長年連れ添った妻と子供を置いて家を出てしまっています)
 
そんなアストルがスランプを脱出するきっかけになったのは、「ブエノスアイレスの夏」を書いてから2年後、
知人で評論家であり、詩人でもあるオラシオ・フェレールが彼に差し出した「ブエノスアイレスのマリア」という
アストルの音楽に基づき書かれた1つの「原案」でした。これでようやく彼は創作意欲を取り戻し、その「復活」が、
後に「ブエノスアイレスの秋」から、冬、春と揃って、「ブエノスアイレスの四季」の誕生に繋がってくわけです。
 
アストルについて色々書いているとかなり長くなってしまうのですが・・その革命的なタンゴをこの世に
送り出す前、実はアストルは1度、タンゴというものに限界を感じ、タンゴと決別して、クラシックの作曲家に
なるつもりでパリに留学をしています。
 
そこで、彼は作曲家、大学教授で、至高の音楽教師、ナディア・ブーランシェ女史に師事し、音楽理論などの
勉強を続け、自分が書いたクラシックの作品を彼女に聴かせたのですが、彼女はアストルがタンゴ音楽家である
ことを隠していたにもかかわらず、彼が何者であるかを見抜きます。彼のクラシックの作品には心がないと。
 
アストルは、そこで初めて自分がタンゴ音楽家であることを話し、促されるままにタンゴの作品を演奏します。
それを聴いたブーランジェ女史は、彼が披露したタンゴを賞賛し「タンゴこそがアストル・ピアソラという音楽家の原点であるのだから、あなたはそれを捨ててはいけない」と、告げます。
 
つまりは「タンゴを弾いてこそピアソラである」と彼を諭したわけでもあるんですね。。
 
アストルもこれで、自分にはタンゴしかないと気づき、その後、浮き沈みの多い波乱万丈の人生を歩みながらも、
今日、多くの演奏家たちが、ジャンルを超えて演奏をするような数々の名作を生み出していくことになります。
 
 
以上は、アストル・ピアソラの人生のほんの一部のエピソードですが、なかなか順風満帆にいかない、
とてつもない試練が多い人生だったようです。。しかし、これもまた類まれなるもの、神に選ばれし者、
天才、鬼才たるものの宿命なんでしょうかね。何かを成し遂げるために、なかなか楽をさせてはもらえない。
 
むしろ、あえて茨の道を歩くようにしむけられているような気がします。
 
しかし、その苦しみと引き換えに、彼らは自分がなすべき「仕事」で凡人には到底及びもつかいない、
満足感、充実感、幸福感を得ることができるのでしょう。
 
奇抜な音楽をやったからといって、現代的とは言えない。人とは違うことをやりたい人は勘違いをしている。
そういう人が失敗している。現代音楽を作曲する者は、自己のアイデンティティーを失ってはいけない。
私はアルゼンチン人だ。その土地の香りを持っていなければいけない。 〜アストル・ピアソラ〜
 
祖国で「タンゴの破壊者」と言われ、いわゆる「異端者」でもあった彼が、最初は「夏」をいわば勢いで作曲し、
数年後に、秋、そして冬、春と全ての季節を揃えたのは、そういう存在であると自覚しながらもやはり自分は
アルゼンチン人であり、この国を深く愛しているという証をこの世に残したかったというのもあったのでしょうか。
 
イタリア人の血をもちながら、アルゼンチンに生まれ、4歳から16歳の多感な時期をアメリカ、ニューヨークの
マンハッタンで過ごしたアストル・ピアソラ。 彼本人に言わせると、彼の音楽と人生はマンハッタンで過ごした
経験が色濃く反映されているとのことです。
 
そんな彼がアルゼンチン人として生きていくにはおそらく、様々な葛藤や屈折もあったかもしれません。
 
私はアストルはけして強い人であったとは思えません。ただ、自分の弱さを知っていて、その弱さと格闘し
落ちてはあがき、もがいては苦悩しながらも、その時にできるせいいっぱいの力で作品をこの世に生み出し
最後まで、「アストル・ピアソラのタンゴ」を手放さず、それを貫き通した。その様な人生を送った人だと思います。
 
そんな人物像を含めて、私はアストルと、彼の作品にこよなく愛しさをも感じるのです。

ところで・・・ 
私は高橋大輔さん(この様な呼び方をしたのは初めてです・・・笑。まぁ別書庫なので・・)のファンなのですが、
 
彼が、今シーズンのフリーで使ったブエノスアイレスの四季のうちの冬、春。「四季」の中でも、アストルの
作品の中でも1番に美しい響きを持つ作品は、やはり「ブエノスアイレスの冬」でしょうね・・。
 
クラシカルな要素が色濃くもあるこの楽曲は、根底に冬という厳しい季節が持つ、ある種の「強かさ」が宿って
いる美しさに支配されている冒頭から途中までの部分も素晴らしいのですが、特筆すべきは最後に出現する、
穏やかで明るく、気持ちがちょっとほころぶような・・煌きをおびた美しい旋律だと思います。。
 
もっとも、私はその部分よりも、彼がプログラムで使用した冒頭の「くら〜い」部分が大好きなんですけどね。
あの心に影を落とすような、夢も希望もさっぱりもてないようなあの暗澹たる曲調がたまらない(笑)。
  
最初、彼には、「冬」だけを使ってほしい気がしたのですが、JOで彼のFSを初めて見た時には
その様な考えは当たり前に、やはり素人の考え方だったなぁと(笑)。EXならまだしも、競技プロと
してはかえって難しいものがありますよね。冬だけだと。。
 
冬の冒頭の一部分を最初に使い、その後、春の旋律を使って展開させるという編成の仕方に
こういうのが(フィギュアスケートにおける振付師さんとしての)プロの仕事なんだと感じました。
 
もう、冬についても、春についても以前言及をしたのでこれ以上は避けますが、「ブエノスアイレスの春」の
特に、後半の「ヴァイオリンが戦慄くような」部分はまるで、彼のためにあるかのような響きでしたし、最後の
コレオステップの部分に使用した部分も、素晴らしかった。。
 
おそらく、彼に1番嵌るのは、この「春」だと思います。
(もっとも、四季全部、いえ、アストルの音楽自体、ほとんど嵌ると思っていますが・・・今の彼なら)
 
春といえば、ベートーヴェンや先のヴィヴァルディの楽曲のように、明るくて陽気な快活な音楽が多いですが、
アストルの「ブエノスアイレスの春」は、どこか不穏で艶っぽくて深みのあるダークな色気がありますよね・・。
そういう旋律が彼には似合うんじゃないかなって勝手に思ってます。
  
ところで、彼が使用した音源は、イギリス出身のタンゴアンサンブル「Tango Siempre」演奏によるものですが、
(使用楽器: バンドネオン・ヴァイオリン・コントラバス・ピアノ・・タンゴシエンプレとは「いつでもタンゴ」の意味)
美しくクールで洗練された演奏で聴くにも非常に心地よいものでした。
 
他にも色々なジャンルの演奏家のものがあります。どれがいいというのは・・これは個人の嗜好ですので・・
特にお勧めはありませんが、アストル自身の演奏のものは「レジーナ劇場のアストル・ピアソラ1970」という
アルバムに収録されています。
 
ネットにもあがっていますので。機会があればぜひ★
 
それにしても、ダイスケ・タカハシとアストル・ピアソラの「コラボレーション」は、予想以上に「ヤバくて」
素晴らしかった。完成形は確かに見られなかったけれど、「アストル好き」としても。非常にいいものを
見せていただいた、という感じです。
 
・・・といったところで、上手く収拾がついてませんが、今回は。。終了。

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