神学大生、世界を行く

ご訪問、ありがとうございます^^ みなさん、お体にはお気をつけ下さい

神学生、囁く

[ リスト | 詳細 ]

日々の呟きや囁きや嘯きを載せます。
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

手紙、全ての人へ

イメージ 1

 11月中旬、ここカナダはすでに冬に入ろうとしています。
 あれだけ世界を彩っていた紅葉も儚く散り、
 さらさらと降る粉雪が冬の訪れを告げています。
 あとは、雪が積もりあたり一面を白い世界に変えるのを待つばかりです。
 緑色が映えていた芝生もだんだん色を失いつつありますが、
 それでも完全に消えてしまう前に、雪が覆いつくしてしまうでしょう。
 そうなれば、あとは厳しい冬を暖かいコーヒーと人心で凌ぎ、
 新しい生命が息吹く春の訪れを待つばかりです。

 ここでの生活も残すところ1ヶ月となりました。
 色々なことがあったこの一年、一つ一つ思い出すことすら困難ですが、
 新たな経験をして、新たな世界を知り、新たな自分を見つけ、
 そうして多くのことを学んだ、この期間でした。

 こうして、これまでそうだったように、
 今年という年も過ぎ去ってしまおうとしています。

 しかし今自分の中で確かなのは、
 今年という年が、生きてきた20年という年の中のどの年よりも、
 不思議で、意味があって、色んなことがあった年だったように思えることです。
 今まで生きていた国を抜け、
 地球の反対側に来て、
 自分の知らない町を歩き、
 自分が知らなかった言葉で、
 自分が知らなかった人たちと心を分かち合い、
 笑って、泣いて、考えて、悩んで、、、

 自分でも不思議に思いますが、
 これがどういうことを意味して、
 これが自分にとって何だったのであり、
 どれくらい大切なことなのかさえ説明するのは難しいです。
 
 太古から果てることなく流れる時間のほんの一時で、
 今も膨張し続ける全宇宙の片隅のほんの一点で、
 今、自分が生きて、自分が経験して、自分が成長していくことが、
 どれだけ意味のあることなのか、想像することさえ叶いません。

 だけど、一ついえるのは、
 理論でもなく、根拠があるわけでもないけど、
 自分がこうして生きて、経験して、成長していくことは、
 とても貴いということです。
 
 考えではなく、たとえでもなく、ただそう感じます。

 
 やがて、この降り積もる雪も、暖かく降りそそぐ春の太陽の光によって溶け、
 新たな生命を息吹かせる大地へと滲みこんでいくのでしょう。
 その大地からは芽が吹き、その芽から茎が伸び、葉がつき、花が咲き誇るのでしょう。
 季節はそうして廻り続けます。
 
 今日も僕は生きています。
 生きて、この廻り続ける時を、もっと素晴らしい色に塗り替えていきます。
 この貴いときを、大切に、生きていきます。

イメージ 1

高校の生物の時間、先生がこんなことを言っていたのを憶えている。

‘見る’っていう行為は、科学的に言えば、物に当たって反射してきた光を認識することだって。
ちょっと難しい話になるけど、光は波長っていうのをもっていて、
そのいろんな波長の光を僕らはそれぞれの色として認識しているんだ。
だから、‘色’っていうのは光で、
つまり物と物を照らす光との相性で僕らに見える色が決まるっていうんだ。
物を照らす光が物に当たったら、
その物の特性に応じた特定の波長だけが反射して僕らの目に入ってくる。
たとえば、道端の石ころは光を受けると灰色以外は吸収して、
灰色は反射するから僕らの目に入ってきて、そして僕らはそれを灰色だと見る。

面白いのは、光に色がついているんじゃないってこと。
その波長の光を見たら、僕らの目がその光をある特定の色として認識するんだ。
僕らの目と視神経と脳細胞がうまい具合に光に色を塗ってるって感じかな。
それに、その色の認識にも個人差があるかもしれないんだっていうのも何かに書いてあったな。
もしかしたら、僕が思っている赤色と君が思っている赤色は違う色なのかもしれない。
もしかしたら、僕が思っている水色と君がおもっているピンク色は同じ色なのかもしれない。
たしかに、色を説明するなんてできないもんね。おもしろいなー

話が少しずれちゃったけど、例の生物の先生はこんなことも言っていた。
僕らの目に見える物の色っていうのは、その物が嫌いな色(つまり光なんだけど)なんだって。
その物はその色が好きじゃないから、吸収しないで反射しちゃう。
その反射した色が僕らの目に届くっていうんだ。


でもね、おかしいと思わない?


だって、もしもこの世の全てのものがそれぞれ嫌いな色を反射しているのなら、

‘なんでこんなに世界は美しいんだろう?’

なんで、青い空と緑のコントラストはあんなに綺麗なんだろう?
なんで、夜の闇のなかで白い雪はあんなに美しく映えるんだろう?
なんで、派手な熱帯魚の色合いもあんなに美しく見えるんだろう?

それにね、青々しい木々を見ても僕は思うんだ。
緑は一番、人を落ち着かせる色で、目にも優しい色なんだって。たしかに、そんな気がするな。
だから、木々は緑色なんだって。
きっと、木々は僕達のために緑の光を反射してくれているんだ。
緑が嫌いなんじゃなくて、僕らのために。

そう考えると素敵じゃない?

フェンスの上

                   "その人の存在が何たるかを決めるのは、
                その人が持つ能力などではなく、どう選択するかだ"

僕らはいつも、フェンスの上に立っているんだ。フェンスの上を進むなり後退するなり、そんな事をずっと続けるのは不可能であるだけでなく、無意味だ。だから、僕らは選択する。右に落ちるか、それとも左に落ちるか。僕らに分かっているのは、そのどちらも底が深く、闇に包まれているということだけ。そして、そのどちらかにやがて、自分が落ちなければならないこと。もし、落ちたくないとしても、幅の狭いフェンスの淵で必死にバランスを取り続けるなら、やがて気が狂って死んでしまうだろう。そもそも、フェンスがそのうち途切れてしまわないとも限らないのだ。フェンスの上で居眠りでもしようものなら、その瞬間に自分も知らぬまま、落ちてしまうだろうし。そうなれば、不本意な結果のために嘆くことになるのが目に見えている。いずれにしろ自ら選択し、落ちるのが最善の策なのだ。もしも、まともな人生を歩みたいのならの話だが。
ともかく、僕らはフェンスの上にいて、どちらに落ちるか決断し、選択しないといけない。もちろん僕らは、できるだけ僕らに利益を与えるだろう方に落ちたがる。だが所詮、僕らに分かっているのはフェンスに近い部分だけ。下の底の奥底なんて、誰にも見えやしない。たまに人間関係やら因果関係やら利害関係やら偶然やらが底の浅い部分までを照らす。だがそれが本物の光か、それともただの幻影にすぎないのかなんて、誰にもわからない。その光の示す場所に落ち、喜ぶか後悔するかなんて、落ちて見なければわからないのだ。そして僕らは、それが分かるか分からないか位のときに落ち、そして気付けば、また同じようなフェンスの上にいる。人生はそうやってすすむ。


でも、こんなのいやだろう?
どっちがいいのかなんてわかんなくて、それでとにかく落ちたら自分の望まない結果だったなんて。僕らが僕らの足で僕らの選択肢をすすんでいるのに。
だからね、僕は思うんだ。だったら下を照らせばいいんだ。底が深いなら、その深くまで明るく明るく照らせばいい。何で照らすのかって? もちろん自分自身さ。僕らが自分をもっともっと磨いて、その輝く光で暗い底の闇まで照らしてしまえばいいんだ。僕らはもっと輝けるんだから。

無題

盲者の心に影を落とす月の明かりが
陽の輝きを望むとき谷間にひそむ聖者の
顔を持つ魔物はその仮面を取り踊り狂う

人の心に純粋さというものがあるのなら
歳月を知る赤子の群れは世の安寧を祈るが
身を焦がす輝きが静まるかは神のみぞ知る

心?

秋の空が透き通って見えるかどうか
地が花をキレイに咲かせるかどうか
蛍が夏の夜を美しくかざるかどうか
風が木々に小さくささやくかどうか

その全てが、僕の心にかかっているというのなら、、、

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


.

ブログバナー

K.S
K.S
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事