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歴史を学べば日韓友好は進むのか 『検定版 韓国の歴史教科書』の困った内容(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
2019年8/27(火) 7:31配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190827-00579025-shincho-kr
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ここで番組制作者側、あるいは韓国人が提示しているのは「日本人は(侵略などの)歴史を知らない。だから心からの反省、謝罪ができない。それでは相互理解は進まないのでは」という視点である。
たしかに相互に理解しあうには、知識が必要だろう。しかし、民間交流を進めたいという日本の若者に同情すべき点も多々ある。よく指摘されるように、日本の歴史教育では近現代にかける時間が少ない。さらに加えて、そもそも韓国の若者が「知っている」という歴史と、日本の若者が学んだ歴史はかなり異なる。だから「こんなことも知らないのか」と驚かれても困るという面もあるのだ。「こんなこと」が日本で認めている史実とは異なることも多い。特に戦争終結から韓国独立あたりの経緯は、韓国人が学んでいる歴史は、国際的に見てもかなり独特のものなのだ。
有馬哲夫早稲田大学教授は、中国や韓国が教科書などで教えている歴史は、日米など民主主義国のそれとは異なり、事実よりも「建国イデオロギー」「政治イデオロギー」が重視されたものになっている、と指摘する。著書『こうして歴史問題は捏造される』から、韓国の歴史教科書について述べた部分をご紹介しよう(以下、引用は同書第4章「中国と韓国が反証不可能な論議をするのには理由がある」より。一部言葉を補った)
『韓国の歴史教科書』が語る「独立運動」
韓国の場合はどうでしょうか。中国が「共産党が日本軍を打ち破って無条件降伏させた」とミスリードしたように、韓国は「日本に宣戦布告をして連合国の一員として戦って勝った戦勝国」だとミスリードしようとします。
『検定版 韓国の歴史教科書』によれば、1919年に、孫秉熙を大統領とする沿海州のグループ、李承晩を国務総理にする上海のグループ、李承晩を執政官総裁、李東輝を国務総理総裁にするソウルのグループが合体して李承晩を大統領、李東輝を国務総理とする大韓民国臨時政府を作ったことになっています。この政府は民主共和制をとり、三権分立を明らかにした憲法を定めていたそうです。
ところが、李承晩が独立ではなく、国際連盟の統治下の委任統治領にすることをアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンに手紙で要請したことが明らかになり失脚します。
その後、臨時政府は「外交活動」に力を注ぎ、パリ講和会議で独立請願書を「提出しようとした」(原文ママ)のですが果たせなかったため、ワシントンに欧米委員部(李承晩)、フィラデルフィアに韓国通信部(徐載弼)、パリ委員部(金奎植)を置いて「国際連盟とワシントン会議に独立を請願するなど、外交活動を続けた」ということです。
ここまでは、潤色しているものの、虚構とはいえません。ただし、「提出しようとした」と、未遂に終わったことをわざわざ書くのはいかがなものでしょう。
国際連盟もアメリカも「独立をめざす一勢力」とは見ていても、国として扱っていなかったことは明らかです。それでも、この教科書は、国家の体をなしていたというニュアンスを出したいのです。
朝鮮光復軍は連合国軍とはなりえなかった
1941年になると「大韓民国臨時政府は日本に宣戦布告し、韓国光復軍を連合国の一員として参戦させた」ということになっています。しかも、次のように続きます。
「イギリス軍の協力要請でインド、ミャンマー戦線に派遣された光復軍は主に宣伝活動や捕虜の尋問を担当した。また、アメリカと連合して国内進攻作戦を計画した。(中略)しかし日本が予想より早く降伏したため、国内進攻作戦は実行されなかった」
またしてもこの教科書は、臨時政府が国家であるとミスリードしています。「宣戦布告」といっているからです。そのずっと前から抗日運動はしていて、日本と戦う意思、その大義は唱えていたのですから、わざわざ1941年になってこれを出したのは、臨時政府が国であり、その軍隊「韓国光復軍を連合国の一員として参加させた」、だから連合国の一員だといいたいのです。
ところが、韓国の歴史教科書によると、その「韓国光復軍」なるものは、日本軍と戦場で戦ったのではなく、インドやミャンマー(ビルマ)に派遣されて「主に宣伝活動や捕虜の尋問を担当した」ということです。つまり、抗日勢力の一部が英米の諜報機関(イギリスMI6、特殊工作局〈SOE〉、アメリカ戦略情報局〈OSS〉)にリクルートされ、日本軍の中にいる朝鮮半島出身者向けのプロパガンダ製作を行ったり、朝鮮語による尋問をしたりしたということです。「軍」という規模でもなく、内容も軍事活動ではなく諜報活動だったことは明らかです。
実際にアメリカ側の資料を読みますと、「朝鮮光復軍」(Korean Restoration Army)は存在したのですが、それは重慶にあって中国軍事委員会(Chinese Military Council)の指揮下にありました。つまり、独立の軍事組織ではなく、中国国民党軍のなかの一組織だったのです。人数にいたっては、少なくともこの組織内では、かき集めても200人にしかならなかったと記されています。
満洲にも別組織の「朝鮮光復軍」がありましたが、こちらは3千ほどです。やはり独立組織ではなく、中国共産党ゲリラと一緒になっていました。おそらくこちらの「朝鮮光復軍」から現在の北朝鮮の礎を築いた指導者が出てきたのでしょう。
なぜ、「韓国光復軍」(教科書にはそうある)なるものがわざわざインドやミャンマーに派遣され「主に宣伝活動や捕虜の尋問を担当した」のか謎がこれで解けます。中国兵と一緒にならない限り、満州や中国の戦場で日本軍と戦う人数にとても達しなかったのです。
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