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川上洋一「クルド人 もうひとつの中東問題」(集英社新書 0149A)集英社、2002.7.22
●クルド人の人口は、2000〜2500万人。中東の15%で、アラブ、トルコ、ペルシャに次ぎ第4位。トルコに1200〜1300万人(トルコの20%)、イランに600万人(イランの10%)、イラクに350〜400万人(イラクの23%)、シリアに100万人(シリアの9%)、アルメニアとアゼルバイジャンに10〜15万人、ロシアに30〜100万人、西欧に150万人(うちドイツに50万人)。
●クルド語は、古いペルシャ語系。固有の文字はなく、トルコではラテン文字、旧ソ連ではキリル文字、イランとイラクではペルシャ文字、他にアラビア文字やアルメニア文字でも表記。
●クルド人の75%がスンニ派、15%がシーア派、トルコ内にアレビ派(シーア派にゾロアスター教がまじったもの)。
●クルド人は、浅黒い肌と黒い髪、見た目はアラブ人やイラン人と区別はつかない。古来、山間部では遊牧、平野部では農業。部族長への従属が基本。現在は、都市生活者も増え、伝統的部族社会も変わりつつある。
●7世紀にアラブに征服され、イスラム化。クルド系の小さな地方政権を作ったこともあるが、短命に終わる。サラディンは、歴史上最も有名なクルド人。オスマン帝国時代は、国民国家やナショナリズムの概念はなく、民族や言語の区分けは目立たず。第1次大戦後、セーブル条約ではクルド人国家の樹立が明記されたが、ローザンヌ条約で反故にされる。「クルド人」という意識が芽生えてきたのは1920頃から。
○トルコ
●ケマルは、トルコ共和国を樹立すると、トルコだけの国家とするため、クルド語禁止(1923〜1991)、同化政策。1925 サイードの蜂起、1936 デルシムの虐殺。トルコは、クルド人の存在を認めなかったが、クルドであることを強調しない限り差別はなく、活躍したクルド人も多い。
●1978 オジャランがクルド労働者党(PKK)創設、武装闘争。政府軍の作戦で300万人強制移住。
●1990 クルド人民労働者党(HEP)結成、1991 議席を得る、1993 解散命令。
●1993 欧州でトルコ系施設へテロ攻撃続発。
●1993 民主党(DEP)設立、1994 解散命令、13人の議員の資格停止。
○イラク
●1932 イラク独立。アーマド・バルザニの抵抗、クルド民主党(KDP)結成。
●1968 タラバニとムスタファ・バルザニ(アーマドの弟)が対立。1974 クルド自治法発表、KDPはキルクークの領有を主張し、交渉決裂、戦闘開始。1975 タラバニがクルド愛国同盟(PUK)結成。1976 マスード・バルザニ(ムスタファの息子)がKDP再建。KDPの地盤は山岳地帯、PUKは都会派、近代派。
●1980〜1988 イライラ戦争、サダム・フセインが化学兵器を使いクルド人を大量虐殺。
●湾岸戦争後、自治拡大合意。1992 クルド地域で史上初の選挙。
○イラン
●1945 ソ連の後押しでイラン・クルド民主党(KDPI)結成。1946 クルド人民共和国(マハーバード共和国)樹立、しかし、ソ連はイランの石油権益の見返りに、クルドを捨てて撤退。パーレビは、自国のクルド人を弾圧しながら、イラクのクルド人を支援(敵の敵は味方)。
●1979 イランのイスラム革命、クルド人は王政への不満から革命に協力したが、革命後KDPIは非合法化され、武力衝突。
●クルド人が成果を得られなかった理由…内陸部の山間地帯で、外部との交流に限界。細かな部族に分かれ主導権争い。3カ国にまたがり団結できず。部族意識が強く、民族としての意識の集約ができず。
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新聞やテレビのニュースでは断片的なことしか分からないので、まとまった情報が知りたくて、読んでみた。
2002年出版の本なので、2003 イラク戦争後の最新情報はないが、それ以前の状況は、まとまっている。
(2007.11読了)
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クルディスタンに対する最初の重要な分割は1514年のチャルディラーンの戦いの後に行われ、1639年のズハーブ条約により公式のものとなった。
ケマル・アタテュルクによるアナトリア東部の再占領や他の差し迫った問題が、連合国にトルコとの再交渉を認めさせた。
結果、ローザンヌ条約により、現在のトルコ共和国の国境の大部分が確定された。これによりクルディスタンの独立の機会は失われた。
クルディスタンの他の領域は、両条約において、イギリスとフランスによる委任統治領(イラクとシリア)の内部に併合された。
1945年のサンフランシスコ会議において、クルド人の代表団は、クルド人が主張するクルディスタンの地理的な範囲を示した。この提案では、地域はアダナ近くの地中海の海岸から、ブーシェフル近くのペルシア湾の海岸まで広がっている。これには、ザグロス山脈の南の居住区であるルアも含まれている。
第一次世界大戦後はサイクス・ピコ協定を基本とした国際協定によりクルディスタンはいくつかの国に分割され、それぞれの国においてクルド人は少数派である
2017/1/2(月) 午後 6:39 [ トルコ観光旅行は安全で良かったよ ]