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ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_03-2009.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。 単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 先月(2010年1月)に大地震があったハイチについて、上記データから人口やGDPの歴史的推移をみてみた。 ハイチの人口のデータは、1820年、1850年、1870年のデータと、1900〜2008年の毎年のデータがある。そのため、グラフは、1900年以後を10年おきにして全体を見たグラフと、1900〜2008年の毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。 このデータによると、ハイチの人口は、1820年に72万人だったが、その後ずっと増加し続け、2008年には887万人になっている。人口増加率は、1820〜1900年は1.0%程度で、その後、1.5%程度まで上昇したが、1920年頃から1.3%程度に低下した。さらに、1946〜1950年には1.1%程度まで低下したが、1951年以後上昇し、1961〜1970年は2%台だった。1971〜1972年には1.0%以下に急低下したが、1973〜1984年には1.5%程度に回復し、1986年頃からは2.0%程度になっている。 ハイチのGDPのデータは、1945〜2006年の毎年のデータがある。そのため、グラフは、1945〜2006年の毎年のデータを使ったグラフだけを作ってみた。 このデータによると、ハイチのGDPは、1945〜1962年は人口と同じ程度の増加率で増加し、1人当りGDPは1000ドル強でほぼ一定だった。その後、1967年までの5年間に、GDPは約10%減少し、1人当りGDPは800ドル台に落ち込んだ。そこからは増加に転じ、1967〜1980年の13年間に、GDPは約78%増加(年率4.5%)、1人当りGDPは約46%増加(年率2.9%)し1200ドル台に乗せた。しかし1981年以後GDPは横ばいとなり、1人当りGDPは減少に転じた。さらに1992〜1994年の3年間に、GDPは約23%減少、1人当りGDPは約27%減少し700ドル台に落ち込んだ。その後、GDPはやや回復したが、1人当りGDPは減少し続け2004年には600ドル台までに落ちている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− ハイチは、日本にはあまりなじみがなく、歴史も良く知らなかったので、ネットでハイチの歴史を調べてみた。ハイチの歴史は、およそ以下のようである。 1492年、コロンブスがイスパニョーラ島を「発見」、スペインの植民地となる。全島で100万〜300万人いたと推測されている先住民のインディオは、その後の奴隷労働と伝染病で全滅させられた。スペインは、インディオの代わりにアフリカの黒人を奴隷として使った。1697年、島の西側がフランス領となる。1804年、独立を宣言し、世界最初の黒人共和国、かつラテンアメリカ最初の独立国が誕生。しかし南北に分裂。1820年、南部がハイチを再統一、さらに、スペインからの独立を宣言した島の東側も武力で併合。1844年、島の東部が再びドミニカ共和国として独立。1915〜1934年、米国による軍事占領。1950年、軍事政権が誕生。1956年、クーデター。1957〜1986年、デュヴァリエ父子の軍事独裁体制。1991年、アリスティド大統領が就任するが、軍事クーデターにより亡命。1994年、アリスティド大統領復帰。1996年、アリスティド派のプレヴァルが大統領となる。2001年、再びアリスティドが大統領となる。2004年、武装勢力が北部で蜂起、アリスティド大統領国外脱出。国連は多国籍暫定軍(MIF)の現地展開承認、国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に移行、現在も活動中。2006年、プレヴァルが再び大統領に就任した。
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世界経済史
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