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ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。 単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 最近、財政赤字により通貨ユーロの信任問題になっているギリシャについて、上記データから人口やGDPの歴史的推移をみてみた。なお、国名については、歴史ではギリシア、地理ではギリシャと表記されるようだが、ここではギリシャとする。 ギリシャの人口のデータは、紀元1年から1820年までは飛び飛びで、以後は毎年のデータがある。そのため、グラフは、1820年以後を10年おきにして全体を見たグラフと、1820年以後の毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。 このデータによると、ギリシャの人口は、ローマ帝国の一部であった紀元1年には200万人だった。その後は、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)の一部になるが、1000年の人口は100万人に減っている。さらに、十字軍国家などを経て、15世紀にはオスマン帝国の一部となる。1500年の人口は100万人のままだが、1600年には150万人に増えている。 1821〜1829年の独立戦争を経て、1832年にギリシャ王国が成立するが、1820〜1900年頃まで年1%程度の人口増加率となっている。1897年にトルコとの戦争、1912年に第1次バルカン戦争、1913年に第2次バルカン戦争、第1次世界大戦と戦争が続くが、1901〜1920年までは年0.7%程度の人口増加率となっている。1919〜1922年のトルコとの戦争の結果、トルコ領内のギリシャ人とギリシャ領内のトルコ人との住民交換が行われた。 1924年に共和制となるが、1935年に王制に戻る。1925〜1940年の15年間の人口増加率は1.3%に上昇している。第2次大戦中は枢軸国に占領されるが、1941〜1944年の3年間に人口は1%(8万人)減少している。 第2次大戦後は王制に戻るが、1948〜1949年に共産勢力と内戦が起こる。1950年は人口が4%(29万人)減少している。1967年クーデターにより軍事独裁政権となり、1974年から現在のギリシャ共和国となっている。人口増加率は、大勢は低下傾向にあるが、1977年に1.54%まで上昇、1988年には0.08%まで低下、1991年には1.20%まで戻すが、2009年には0.13%まで低下している。2009年の人口は1074万人である。
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世界経済史
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