世界日本化計画

ブログタイトルを「silkroad_desert9291」から「世界日本化計画」に改名した。(2008.12.16)

世界経済史

[ リスト ]

ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。

単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

今回は、先月(2011年1月)政変が起こったチュニジアについて、上記データから人口の歴史的推移をみてみた。

チュニジアの人口のデータは、紀元1年から1950年までは飛び飛びで、1950年から2009年までは毎年のデータがある。そのため、グラフは、1950年以後を10年おきにして全体を見たグラフと、1950年以後の毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。

イメージ 1
チュニジアは、古代にフェニキア人がカルタゴを建国したが、ローマとのポエニ戦争に敗れ紀元前146年に滅亡した。このデータによると、チュニジアの人口は、ローマ帝国の一部であった紀元1年には80万人だった。

その後、チュニジアは、西ローマ帝国、ヴァンダル王国、東ローマ帝国を経て、7世紀にアラブ人が侵入した。先住民のベルベル人は、しだいにアラブ化、イスラーム化した。チュニジアは、イスラームの下で、ウマイヤ朝、アッバース朝、アグラブ朝、ファーティマ朝、ズィール朝、ムワッヒド朝、ハフス朝を経て、1574年にはオスマン帝国の一部となった。オスマン帝国下で太守(ベイ)が実権を握って事実上独立し、ムラード朝(1613〜1705)、フサイン朝(1705〜1958)が成立した。チュニジアの人口は、紀元1年から1820年までは、80万人から100万人の間で増減しながら、ほぼ横ばいで推移している。

チュニジアは、19世紀には、周辺国が植民地化される中で独立を維持するため、富国強兵など近代化政策をとり、1861年には憲法を制定し立憲君主制国家となった。しかし、保守派の抵抗や財政破綻により近代化は挫折し、1881年フランスの保護領となる。チュニジアの人口は1870年頃から増加し始め、人口増加率も徐々に上昇してきた。1950年には352万人となり、1820年からの130年間に4.0倍(年平均増加率1.08%)となった。

イメージ 2
チュニジアは、1956年に王国として独立した。1957年に共和制となりブルギバ(1903〜2000)首相が大統領となる。ブルギバは当初は社会主義政策を採るが、1970年代には自由主義に路線を変更した。1980年代になると、経済が低迷し社会不安が高まり、1987年にベンアリ(1936〜)首相が無血クーデターによってブルギバ大統領を解任し、自らが大統領に就任した。ベンアリは大統領就任後、複数政党制を導入したが、立憲民主連合(RCD)(党名は、独立時は新憲政党、その後、社会主義憲政党を経て立憲民主連合へと改称)が議席の大部分を占め続け、独立以来一度も政権交代していない。人口増加率は、1970年代から1980年代に2.5%程度まで上昇してピークをつけ、2000年代には1%程度まで下がってきている。1984年だけ4.7%と突出しているが理由は不明。2009年の人口は1049万人である。

2009年10月の大統領選挙でベンアリが当選(5選)したが、2010年末頃より高失業率や物価高騰などによりデモや暴動が起こり、2011年1月14日にベンアリはチュニジアを脱出してサウジアラビアに亡命し、政権は崩壊した。現在も状況は流動的であり、周辺のアラブ諸国にも影響が拡大している。

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事