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ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。 単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 今回は、カダフィ派と反カダフィ派の戦闘が続いているリビアについて、上記データから人口の歴史的推移をみてみた。 リビアの人口のデータは、紀元1年から1950年までは飛び飛びで、1950年から2009年までは毎年のデータがある。そのため、グラフは、1950年以後を10年おきにして全体を見たグラフと、1950年以後の毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。 リビアの歴史は、前に見た隣国のチュニジア( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/53395734.html )と似ている。元々はベルベル人が住んでいたが、古代にフェニキア人やギリシア人が植民都市を建設し、その後、ローマ帝国の一部になった。このデータによると、リビアの人口は、ローマ帝国の一部であった紀元1年には40万人だった。 その後、リビアは、ヴァンダル王国や東ローマ帝国が支配した。7世紀にアラブ人が侵入し、内陸部のベルベル人も、しだいにアラブ化、イスラーム化した。リビアは、イスラームの下で、ウマイヤ朝、アッバース朝、アグラブ朝、ファーティマ朝、ハフス朝などが支配した。1510年にスペインがトリポリを占領したが、1551年にオスマン帝国の一部となった。1711年にはオスマン帝国の軍人が自立し、カラマンリー朝を建てた。このデータによると、リビアの人口は、1000年から1700年までの間、ずっと50万人のままだった。 1835年にオスマン帝国が支配を回復し、カラマンリー朝は滅亡した。1911年にイタリアが攻撃を開始し、翌1912年には植民地化した。第二次世界大戦でイタリアが敗北したため、戦後は英仏の共同統治となった。1951年にリビア連合王国として独立した。人口は、1820年に53.8万人、1950年に96.1万人となっている。
1963年に連邦制を廃止し、リビア王国となる。1969年にカダフィ大佐がクーデターを起こし、リビア・アラブ共和国となる。1950年以後、人口は急激に増加し始め、1952年に100万人、1971年に200万人、1989年に400万人を越え、2009年には632万人となっている。人口増加率は、1951年は3%だったが、1974年には6%まで増加した。そこでピークをつけ、以後は人口増加率は低下し、2000年代は2%台で推移している。この間に人口増加率が3回大きく落ち込んでいる(1977年、1986年、1996年)が、データに問題があるのか、実際に何らかの理由で落ち込んだのかは、分からない。 |
世界経済史
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