世界日本化計画

ブログタイトルを「silkroad_desert9291」から「世界日本化計画」に改名した。(2008.12.16)

世界経済史

[ リスト ]

ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。

単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

今回は、反政府デモが続くイエメンについて、上記データから人口の歴史的推移をみてみた。

イエメンの人口のデータは、1820年から1950年までは飛び飛びで、1950年から2009年までは毎年のデータがある。そのため、グラフは、1950年以後を10年おきにして全体を見たグラフと、1950年以後の毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。
イメージ 1
イエメンの歴史には、なじみがないが、Yahoo!百科事典( http://100.yahoo.co.jp/detail/イエメン共和国 )やウィキペディア( http://ja.wikipedia.org/wiki/イエメン )を見ると、次のようである。

イエメンは、古代には「幸福のアラビア」と呼ばれ、シバ王国が繁栄した。7世紀にイスラム教が流入し、9世紀に近年まで続くラシド王朝が成立した。16世紀にはオスマン帝国が侵入。1839年に南イエメンがイギリスに占領され植民地となる。1849年にオスマン帝国が北イエメンを再占領。1918年、第1次大戦でのオスマン帝国の敗北に伴い、北イエメンが王国として独立した。

イエメンの人口は、1820年には259万人だった。1913年には328万人、1950年には478万人に増加している。1820年から1950年までの130年間で1.8倍、年平均増加率は0.47%である。
イメージ 2
北イエメンでは、1962年にクーデターにより王国から共和国となるが、1970年まで王制派との内戦が続く。一方、南イエメンは、1967年に共和国として独立した。1990年に、南北両イエメン指導者の合意により南北が合併し、現在のイエメン共和国が成立。北イエメンのサレハが大統領に、南イエメンのビードが副大統領に就任した。1994年、南北の内戦が勃発するが、短期間で北が勝利。2011年1月から反政府デモが続き、先行きは不透明である。

イエメンの人口増加率は、1950年代から1960年代までは2%前後だったが、1970年代半ばに2.5%、1980年代半ばには3.0%、1990年代から2000年代には3.5%程度まで上昇している。イエメンの人口は、1984年に1000万人を超え、2004年に2000万人に達した。2009年の人口は2286万人である。なお、このデータでは、2009年の人口が前年より若干減っているが、実際に減ったのかデータの誤りか不明。

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事