世界日本化計画

ブログタイトルを「silkroad_desert9291」から「世界日本化計画」に改名した。(2008.12.16)

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「朝鮮紀行」

イザベラ・バード「朝鮮紀行」(講談社学術文庫 1340)時岡敬子 訳、講談社、1998.8.10

●1894.1 長崎→釜山→済物浦(チェムルポ、ソウルの外港)→ソウル。銅銭しかないので旅費の持ち運びに困る。
●1894.4.14 ソウル出発。手こぎ舟で南漢江を上る。朝鮮には美術工芸はない。産業もない。農民は「稼いでいる」と噂されると、両班から借金を申し込まれたり(決して返済されない)、強欲な官吏に目をつけられる→努力して働いてもムダになるため、怠惰に見える。借金を断ればニセの負債をでっち上げ投獄される。
●5月初、永春まで遡り、それ以上は舟で行けないため引き返す。馬峴まで戻り、次は北漢江を遡る。狼川まで上り、それ以上舟で行けなくなり、馬で金剛山に向う。見慣れない外人が来たというので、礼儀知らずの好奇心から、大勢が窓から覗き込んだり、部屋に入ってきて、持ち物や身体を触りまくる。金剛山の寺の僧は傲慢な儒者とは違って親切だ。捨て子が寺に預けられ僧になる。僧は仏教の教義を理解せず、おまじないを唱えるだけ。山にはトラやヒョウがいて、時々人を食べる。山を下りて元山に出る。日本人街は整然とし、こぎれい。NYK(日本郵船会社)は極東の西洋人にとってP&Oと同じ位なじみがある。
●東学党の噂を聞く。6.17 元山から汽船で出発、6.19 釜山。東学党の檄文は、国王に忠誠を述べ、腐敗した官僚を批判。外国人への敵意はない。日本軍がソウルに現れ、清国人がパニックになり逃げ出す。6.21 済物浦に着くが、副領事から朝鮮を離れるよう忠告される。

●→芝罘(チーフー、山東半島)→大沽(タークー、天津の近く)→牛荘(ニューチャン)。馬賊について。
●7.3 牛荘発、船で奉天に向う。途中で大洪水に会う。8.1 日清戦争始まる。朝鮮に向かう清国軍が、奉天を次々通過、手当たり次第に掠奪し、料金も払わず宿を占領。奉天でも外国人への反感が高まる。
●8.20 奉天出発→牛荘→芝罘→長崎。長崎の清国人は在留登録をすれば自由に過ごせる。
●→ウラジオストク→朝鮮国境へ。ロシア領内の朝鮮人村は、ギリシア正教が普及。本国のような猜疑的な卑屈な様子はなく、本国では高級官僚でも夢のような家具や設備がある。朝鮮では屑のような民族と考えていたが、沿海州で考えが変わった。

●→元山→釜山→済物浦(1895.1.5)→ソウル。1.8 国王が朝鮮の独立を宣言、国政改革の洪範14ヵ条。著者が、3週間で4度、国王と王妃に謁見。1994年7月に日本軍が王宮を占拠して以来、国王は「ロボット」にすぎず、権勢を誇った閔一族は官職から追放されていた。日本は堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に着手したが、困難極まりなかった。
●著者は中国南部・中央部を旅行し、夏を日本で過ごす。

●1895.10 朝鮮王妃の暗殺の噂を長崎で聞く。→ソウル。暗殺の過程。王妃は行方不明とされる。ロシアも含め各国は日本に混乱収集のため王宮占拠を勧めるが、日本は応ぜず。11.26 首相が王妃の死去を公表し、身分剥奪を撤回。
●11.7 ソウル出発。人間には霊魂が3つあると考えられている。死後3つの霊は位牌・墓・黄泉の国へ行く。
●→松都(開城)→平壌→大同江の上流、徳川。無表情で汚く貧しい朝鮮国民は、ロシアの保護下に入らない限り前途がない気がした。ロシアの統制を受ければ、働いただけの収入と税の軽減が確保される。朝鮮の女性の地位。人々は日本人に対し激しい反感を示しているが、品行の良さときちんと支払う事は認めていた。
●→平壌。日清戦争で住民が逃げ出し、人口が6万→1.5万に減少。キリスト教伝道団。妓生。→小舟で保山→ハリオン号で鎮南浦→済物浦。

●1896 日本の影響力低下。1895.12.30 断髪令で「まげ」廃止→強い反発。春川では住民が知事と部下全員を殺害し町を占拠。
●1896.2.11 国王がロシア公使館に移る。日本が悪弊を改めるため行った試みは、大部分が廃止され、王朝の因習に引き返した。教育、貿易、財政。
●シャーマニズム。鬼神信仰。▼パンス…盲目の呪術師。ギルドを作り政府に認められている。呪術で鬼神を祓う。占い(四柱推命など)も行う。▼ムダン…鬼神が乗り移って神託を行う。先祖が乗り移る事もある。▼様々な鬼神。

●著者は1895年のクリスマスに朝鮮を出て、清西部を6ヶ月旅し、日本の男体山で3ヶ月過ごし、1896.10〜1897.3ソウルに滞在。
●1896.10 国王に謁見。金 玉均を暗殺した犯人が式部官となる。腐敗・不正が広がり国政は混沌。優柔不断な国王は、絶対的存在であるのに統治の観念がない。君主にとって公務とは、寵臣に職と金を与える事で、政治家の能力とは、大臣どうし対抗させ漁夫の利を得ること。
●南大門と西大門の付近は、狭い通路が広げられ、汚水の溝は舗装された。不潔さで並ぶものがなかったソウルが清潔な都市に変わろうとしている。瓦屋根が藁葺き屋根に取って代わった。ソウル独特の悪臭が消えた。
●1896年末「儒学経緯」発刊。学務大臣が編集し、政府の費用で発刊。「ヨーロッパは文明の中心である中国から余りに遠く離れ、西洋人は人間より鳥獣に似ており、言語は鶏が鳴いているようだ。キリスト教は俗悪・野卑でまじめに語るに値しない。清帝国は世界で最も大きく豊かな国である。」と記述。

●日本の提唱で監獄・拷問・残酷な刑が改善。戦争と日本の支配が唐突な動揺を与え、崇められてきた慣習や制度を失墜させてしまった以上、ある程度逆行の動きがあっても、朝鮮を昔に戻すのはもう不可能。両班は搾取と暴政をほしいままにしてきたが、日本は庶民にも権利はあり各階級はそれを尊ばなければならない事を大衆に理解させた。日清戦争で中国が無敵だとの朝鮮の思い込みが打破された。朝鮮には内部から自らを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない。朝鮮は日本から独立と言うプレゼントをもらったものの、その使い方を知らずにいる。


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本書は、1894〜1897年にかけて、イギリスの旅行作家Isabella L. Bishop(旧姓Bird)(1931〜1904、ttp://ja.wikipedia.org/wiki/イザベラ・バード)が、朝鮮(および、満洲、ロシア沿海州も含む)を旅行した記録である。当時の朝鮮の状況が良く分かり、興味深い。

本書に書かれた時期の朝鮮は、1894.7〜1895.3 日清戦争、1895.10 乙未事変(朝鮮王妃の暗殺)、1896.2〜1897.2 露館播遷(朝鮮国王がロシア公使館に移る)などが起こり、激動の時期だった。

本書の原題は「Korea and Her Neighbours」(1898)。1995年の図書出版社刊の訳本を底本に文庫化。著者は日本についても「日本奥地紀行」(Unbeaten Tracks in Japan)という旅行記を書いている。

P&O(Peninsular and Oriental Steam Navigation Company)は、イギリスの船舶会社。

金 玉均(1851〜1894)は、1884年に甲申事変(閔氏政権打倒のクーデター)を起こすが、清の介入で失敗し、日本に亡命した。その後、1894年3月に上海で、閔妃の刺客となった洪鍾宇(1850〜1913、ttp://ja.wikipedia.org/wiki/洪鐘宇)によって暗殺された。遺体は手足をバラバラに切断され、朝鮮各地で晒しものにされた。洪鍾宇は帰国後に政府高官となった。

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