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「唐宋伝奇集」(下)(岩波文庫 赤38-2)今村与志雄 訳、岩波書店、1988.9.16
37.再会 ― 楊素(孟棨)
○陳の後主の妹、楽昌公主は、陳が滅びると、隋の功臣の妾になったが、その前に夫と鏡を半分に割って半分ずつ持ち、別れた後に将来正月15日に都の市に売りに出すと約束した。元の夫が市で鏡を見つけて、詩を書きつけ、妻と再会した。新しい夫は元の夫に妻を返した。
○破鏡重円の故事として名高いが、虚構である。
38.崔護と若い娘 ― 崔護(孟棨)
○偶然通りがかった家で娘と出会ったが、見つめ合ったままで終わった。1年後、同じ家に行ったが、門が閉まっており、門の扉に詩を書き付けて帰った。数日後、もう1度行ってみると、老人が、娘が扉の詩を見てから絶食して死んでしまったと言う。崔が娘の体に顔を伏せて泣くと生き返り、2人は結婚した。
39.麵をとかす虫 ― 消麵虫(張読)
○陸顒の所に南越の胡人がやって来て「天を横切る宝の気が出ていたので、あなたの腹の中に消麵虫がいるのが分かった」と言う。胡人の薬を飲むと、蛙のような虫を吐き出した。胡人は虫を高額で買い取り、顒は大富豪になった。1年後、また胡人がやって来て、海に誘った。海辺で虫を煮ると、海中から仙人が現れ、真珠を献上した。煮られた虫を取り出したが、元のままだった。胡人は真珠を呑み込み海に入ると、海水が開けて、竜宮に行って多くの宝を手に入れた。顒も宝物をいくつかもらい、ますます富み栄えた。
40.李徴が虎に変身した話 ― 李徴(張読)
○李徴は旅の途中、病で発狂し、走り出して行方不明になった。翌年、友人が通りかかると虎が現れ、自分は李徴だと言い、次のように語った。狂って走り出すと、いつの間にか虎になっていた。飢えて人を食べるようになってしまった。今はまだ心は人間のままで人の言葉を話せるが、次に会う時はもう完全に虎になってしまっているだろう。妻と子供には私は死んだと言って生活を助けてやってほしい。また、私の旧作数十首を書き留めて伝えてくれ。
○明代の「古今説解」、清代の「唐人説會」等では、李景亮「人虎伝」として収められているが異同が多い。訳注に「人虎伝」と「広記」の「李徴」の主な異同の原文を記し、「人虎伝」の訳も記した。「人虎伝」の方が文章が付け加わって説明が詳しくなっている部分が多い。中島敦「山月記」も本編を元にした物だが、内容から「唐人説會」の「人虎伝」を元にしたと見られる。作中の七言律詩は「人虎伝」の物をそのまま使っている。
41.崑崙人の奴隷 ― 崑崙奴(裴鉶)
○若者が一品官の妾を気に入り、黒人奴隷の磨勒の助けを借りて妾を救い出した。2年後に妾が見つけられ、磨勒を捕えようと兵士が包囲したが、軽々と逃げてしまった。
42.空を飛ぶ俠女 ― 聶隠娘(裴鉶)
○尼が、10歳の武官の娘を気に入って、さらっていった。尼は5年間娘に武術をしこんで、親元に返してきた。その間に悪者を暗殺させたりしていた。父が亡くなってから、魏博節度使がライバルの陳許節度使を暗殺するよう命じた。行ってみると、先方の方が優れた人物だったので、暗殺せず逆に仕える事にして、他の暗殺者から守った。その後、消息が分からなくなった。
43.女道士魚玄機 ― 緑翹(皇甫枚)
○女道士の魚玄機は詩の才能があった。ある日、留守中に親しい男が訪れて、召使の緑翹が不在を告げたが、魚玄機は緑翹が男となれなれしくしたと疑って笞打ち殺してしまった。庭に埋めたが、不審に思った街卒が庭を掘って暴いた。魚玄機は処刑されたが、獄中でも詩を作った。
○森鷗外が小説「魚玄機」を書いている。
44.犬に吠えられた刺客 ― 李亀寿(皇甫枚)
○高官の家で犬が吠えるので「怪しい者がいるなら出てこい」と言うと、男が現れ「金を貰って命を狙ったが人徳に感動した。罪を許して下さるならお仕えしたい」と言うので、家来にした。翌朝、その男の妻が現れ「帰りが遅いので探しに来た」と言った。
45.詩人の男伊達 ― 張祜(馮翊子)
○俠士と言われた男の所に、ある夜、血がしたたる袋を持った男が現れ「今夜、長年の仇をしとめた。これがその首だ。これからある義士の恩に報いたいので、金を貸してほしい」と言うので、貸してやったが、そのまま戻ってこなかった。袋を開けてみると、豚の頭だった。
46.奇譚二則 ― 画工・番禺書生(逸名)
○(1)絵師:美女を描いた屏風を手に入れた男が、それを描いた絵師に「美女の名を100日間呼び続け、百家彩灰酒を注げば、絵の女が生き返る」と言われ、その通りにすると、本当に屏風の中から美女が出て来た。結婚して子も生まれたが、子が2歳になった時、友人に「これは妖怪だから殺せ」と言われた。妻は「私は地仙(地の仙人)だったが、疑われたので、もうここにいられない」と言って、子供とともに絵の中に戻ってしまった。
○(2)番禺の書生:山の中で蒸気が立ち上っていた。土地の人は岡子蛇が象を呑んでいると言う。翌日そこに土地の人が壺を持って集まり、水になったまま立っている象の皮を針で刺して水を取った。その水を舟に置くと、海を渡る時に蛟竜を退散させると言う。また別の所で、腹にくさびのような物がある大蛇が木の葉を食べると、腹の中の物が溶けてなくなった。土地の人の話では、その蛇は鹿を呑むが、その葉は鹿を溶かす事ができるという。その人が葉を持ち帰り、お腹が一杯の時に葉を煎じて飲むと、骸骨だけになってしまった。
○落語に似た話がある。
47.つばめの国の冒険 ― 王榭(逸名)
○王榭は船で大食国へ行こうとして難破し、烏衣国に流れ着いた。老夫婦が「主人の若様だ」と言って歓迎してくれ、娘と結婚した。娘はすぐ別れの日が来ると言って悲しんでいる。国王の宴に呼ばれ詩を作る。王から帰る日が来たと告げられ、轎(かご)に入って目を閉じていろと言われる。妻からみやげに死者を生き返らせる薬をもらう。目を開くと家に着いていた。息子が半月前に死んだが、薬で生き返らせた。燕が2羽いたのが老夫婦で、燕の国にいたのだと気が付いた。秋に燕が帰る時に尾に詩を結び付けた。翌春やって来た燕に、娘からの返事の詩が書いてあった。
○南京の烏衣巷に王導と謝安(2人合わせて王謝)が住んでいた事から作られた話。劉禹錫の「烏衣巷」という詩が引用されている。
48.真珠 ― 狄氏(廉布)
○ある高官の妻の狄氏は世に稀な美女だった。滕という男が狄氏を見そめて、狄氏と親しい尼を通じて狄氏が真珠を欲しがっている事を知り、真珠を送って会うことに成功した。狄氏も滕を気に入り密会を重ねた。滕は真珠が惜しくなって、夫がいる時に真珠の代金を貰ってないと言って真珠を取り戻した。狄氏は怒ったが、男を忘れられず密通を続けた。夫が気付いて妻を拘束したので、妻は病死した。
49.日銭貸しの娘 ― 大桶張氏(廉布)
○資産家の息子の張は、自分の資産を貸し出させていた日銭貸しの娘に結婚したいと言ったが、酒の上の冗談のつもりだった。娘は真に受けたが、張は別の女と結婚してしまった。娘は寝込んで死んでしまい、埋葬されたが、葬儀屋が死体から玉の腕輪を取ろうと棺を開けると、娘が生き返った。葬儀屋は娘を妻とし、外出させなかったが、留守中に張家に行った。張は鬼だと思って殺してしまった。張は殺人の罪で獄中で死んでしまった。
50.居酒屋の女 ― 呉小員外(洪邁)
○居酒屋の老夫婦の留守中に娘と酒を飲んでいると、両親が帰ってきたので立ち去った。翌年、同じ店に行くと、娘は両親に叱られて死んでしまったと言う。帰り道でその娘に会うと「両親は嘘をついている。自分は別の店にいる」と言う。娘の店に3か月通っているうちに、やつれて病人の様になってきた。法師に診てもらうと、「鬼にとりつかれている。このままでは死ぬ。助かりたければ、家を閉め切り、誰かが戸を叩いたら斬り付けろ」と言う。その通りすると、女が血を流して倒れた。娘の墓を暴くと、衣服だけがあり、死体はなかった。
51.壁に書かれた字 ― 太原意娘(洪邁)
○酒楼の壁にいとこの妻の意娘の筆跡で詞が書いてあるのを見つけ、後を追って邸宅の前で話をすると「金に捕まり辱められ、自殺しようとした所を助けられて、ここにいる」と言う。その後、同じ酒楼でいとこ本人の筆跡の詞を見つけ、また後を追うと「妻が自殺するのをこの目で見た」と言う。2人が邸宅に行くと老女が「意娘は自殺しここに埋葬された」と言う。意娘の霊が現れ「再婚せず私の面倒を見てくれるなら南宋に一緒に行く」と言う。墓を暴き骨を南宋に持ち帰り、しばらくは10日毎に弔っていたが、数年後、再婚すると意娘の霊が現れ、約束を破ったと責めた。いとこはしばらくして病気になり死んだ。
52.怪盗我来也 ― 我来也(沈俶)
○盗みに入った家の壁に「我来也」(俺が来た)と書く盗賊が「我来也」と呼ばれ有名になった。我来也だという賊が捕まったが、証拠がなく罪を認めない。賊は看守に盗んだ金の隠し場所を教えて看守に取らせた。別の夜に「すぐ戻ってくるから、しばらく逃してくれ」と頼み、看守は言われた通りにした。その夜「我来也」の字を書いた盗賊が現れ、囚人は我来也ではなかったとして釈放された。看守の家には金品が届けられ、務めを辞めて一生遊んで暮らした。その息子が財産を使い果たして、この話を人に語った。
○日本で江戸時代に「自来也」や「児雷也」という盗賊の話が作られた。
●解説
○唐以前の六朝時代の小説は、怪異譚や名士の逸話で概略を記した程度の物が多い。神仙や鬼神は実在と考えられ、怪異譚は記録とされ、「歴史」であり「虚構」ではなかった。
○唐代になって、複雑な筋で修辞に凝った虚構としての小説が書かれるようになった。安史の乱の後の中唐が伝奇小説の黄金時代。文語で書かれ、伝奇小説は歴史、作者は歴史家と考えられていた。作者が作品中に登場している物も多い。叙事歌行(バラッド、詩)と伝奇(ストーリー)がペアになっている物も多い(長恨歌が典型)。中唐〜晩唐には、牛僧孺「玄怪録」のような作者個々の伝奇集が多く発表された。李復言の「続玄怪録」、薛漁思「河東記」、張読「宣室志」、裴鉶「伝奇」など。
○宋代になると口語で書かれた小説が出現。商人の生活も描かれる。「つばめの国の冒険」から「怪盗我来也」までの6編が宋代。唐代の伝奇小説は北宋初期に編纂された「太平広記」に大部分が収録。
○魯迅「唐宋伝奇集」等で実証的研究が進んだが、まだ、作者や年代、作品集の中の混在、テキスト自体の異同など、不明点も多い。
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作者名が逸名となっているのは、作者名が不明のこと。
46(2)「番禺書生」と似た落語とは「そば清」または「蛇含草」。蛇が人間を丸呑みした後に草を食べてお腹がへっこんだのを見て、蕎麦を大食いした後にその草を食べると、人間の方が溶けてしまい、後に羽織を着た蕎麦が座っていた。
(今村与志雄 訳「唐宋伝奇集」(上・下)(岩波文庫 赤38-1・2)終)
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