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岡本隆司「中国「反日」の源流」(講談社選書メチエ 489)講談社、2011.1.12
●日本では江戸時代を「近世」と呼んでいるが、ヨーロッパでも最近、17〜18世紀を「modern(近代)」の前の「early modern」と呼ばれ「近世」と訳す事が多い。
●「中国」という言葉は、昔は普通名詞であり、特定の国家や民族を指す物ではなかった。
●18世紀の日本と中国とでは、支配と被支配の関係が大きく異なる。日本は両者の距離が近く、中国は遠い。中国の人民は、租税を納める以外、政府と何の関係もなかった。国家と社会が遊離。中国の政府は、20世紀まで刑罰と徴税以外の政治・行政をほとんどしていなかった。税も、必要額だけ税収があれば、誰がどれだけ払っていようが、どうでも良かった。為政者が民衆の生活に関知する事はない。日本の庶民1人1人を把握する宗門人別改帳(あらためちょう)のような記録はない。
●元の大乱で紙幣の信用がなくなり物々交換へ逆行→明の現物主義(税を穀物、飼料、労働力など現物で徴収し、それをそのまま政府が消費)→現物徴収を妨げる商業・流通を制限、貿易を禁止。世情が落ち着いて貨幣需要が出てきても政策を変えなかった→民間で独自に私鋳銭や銀が流通→国家と社会の遊離が始まる→密貿易と海外からの銀の流入。
●倭寇…中国の貿易業者が多かったが、「倭」を日本だと決めつけて敵視する思考様式、「反日」のプロトタイプ。
●清は、多種族武装貿易集団として始まった。初めから満州人を中核に漢人・モンゴル人を含む多種族混成政権を志向。各種族には前代の慣行を尊重し、在来秩序に手を触れない。銀地金と私鋳銭も承認。民間への規制・干渉をせず放任。
●明の徴税は現物だったので、対象となる土地人民を個別に把握し登録。徴収した物資も必要な部署に個別に配送した。清になって銀による徴収に代わっても、どこの税収のうち、どれだけがどの役所の何の支出項目となるのか、個別に指定されていた。徴収は請負制で、割当て以上に徴収して差額を着服しても構わない。政府は税の負担者を直接掌握する事はなかった。
●清初期に台湾の鄭成功を封じ込めるため海禁→鄭政権が降伏すると貿易公認。1660年代に日本の金銀資源枯渇、清への銀激減→18世紀になると西洋と貿易拡大、銀流入、インフレ好況。人口が1億→3億に増加。
●日本は西洋と同様に政治と経済、権力と民間は密着した関係。西洋の植民地と機械化(産業革命)に対し、日本は国産化と勤労(勤勉革命)で市場経済を作る⇔中国の商業化は政府権力と無関係。官民乖離した開放的流動性。
●煙草、トウモロコシ、甘藷の普及。未開だった山地に移住し開拓(棚民、「棚」とは粗末なバラック)→人口増、経済の量的拡大。政府が経済に介入しないため、民間で経済活動のルールを作る→同郷同業団体(幇、行、会)。場合によっては武装した秘密結社も。仲間内の信用で成り立つので範囲が狭い→他人に金を貸しても確実に返済してもらえる保証制度がない→たえず運転資金欠乏。
●日本と中国の聚落の階層構造の違い(19世紀、人口別都市数)…中国は人口500〜3000人の行政機能を持たない小さな市場町の比率が高い。日本は5000人以上の城下町が多い→日本では村が行政中心に直結し、権力のコントロールが行き届いていた。中国は、村が日常的に接するのは権力が希薄な町なので、行政中心地とは直結せず。5000人以上の都市の人口は、中国では全人口の5%、日本は17%(うち武士は全人口の7%)。
●「一治一乱」の中国史…新たな物産と産業構造→富と人口増→限界を超え過剰となる→貧困、疫病、内乱→死亡率急上昇→経済社会の規模に合うよう人口調節。
●権力が及ばない範囲が広い→アウトローの秘密結社、儒教とは異なる紐帯、白蓮教・客家などのエスニシティ、アヘン等の密売。天地会、三合会、哥老会などの「会党」。
●白蓮教徒の乱(1796〜1804)清の正規軍は役に立たず、住民に自衛を計らせた。住民を城壁の中に収容し城外を焼き払う「堅壁清野」、住民に武器を持たせ訓練する「団練」→地域の軍事化。
●従来、江戸時代のアナロジーで清も「鎖国」的だと見なされてきたが、日本の凝集的な社会と国内完結型の市場に対し、清は流動的・開放的社会で外国との貿易・交流も活発。
●日本は海外への好奇心は強かった。出島の中国人やオランダ人から情報を収集し、風説書を作り江戸に報告していた。識字率は世界有数で、蘭学の知識も広まる⇔清は初期には西洋の知識を受け入れたが、減退していく。経済が貿易による銀に支えられていたのに、対外貿易の価値を認識していなかった。中華思想による自尊、西洋軽視。政治と社会の分離のため、海外の情報は貿易現場の実用だけにとどまった。
●中国にはアヘンの密輸武装集団のネットワークが広がっていた。政府の経済活動不干渉のため十分取り締まれなかった。アヘン戦争時もイギリスに加担した「漢奸」が少なくなかった。「倭寇」と同じ。アヘン戦争、アロー戦争後、主要港が広州から上海に変わったが、政治・経済の制度・機構は何の変化もなく(政治と社会の遊離→特に反応なし、「柔構造」)「衝撃」は吸収された⇔日本の黒船に対する反応←日本は緊密に凝集した体制(「剛構造」)だった。
●太平天国(1851〜64)、捻軍、回民など中国全土の内乱、死者7000万人。それに対抗した曽国藩の湘軍も、太平天国と同じ武装中間団体をリクルートした軍事勢力。内乱後も社会構造はそのままで変革なし。湘軍や淮軍の資金源は「釐金(りきん)」(関税、通行税)で、商人を保護する代わりに軍費を出させた⇔日本の薩長は、秘密結社や反乱勢力ではなく、従来の権力。維新後の軍隊は、士族ではなく国軍。
●清にとって日本は、銀が減少した後も、銅銭のための銅の輸入先として重要だった。しかし倭寇に懲りて直接には交わらず、日本からの渡航は謝絶し、中国から長崎に渡って取引。まず倭寇というイメージがあり、軍事的脅威と見て、沿海民と気脈を通じる危惧を抱いた。中国の事情は日本に伝わっても、日本の事情は中国に伝わらない。
●18世紀になると銅輸出も急減し、日本で中国産品の国産化が進み、貿易自体が衰退。中国の倭寇以来の反日思考はそのまま。日本が西洋の武器を導入しているのを知って、倭寇としての脅威を感じる。朝鮮に対する脅威との見方も出る。1870 日清修好条規。
●日清修好条規の4か月後、遭難して台湾に漂着した宮古島の漁民が殺害される→清は「生蕃」は「化外」と主張→化外ならと日本が台湾出兵。日本は国際法に基づき解釈⇔清は「化外」は朝鮮と同じく属してはいるが直接統治していない「属国自主」と見ていた。
●1875 日朝修好条規(江華条約)、朝鮮を「自主の邦」とする。1878 琉球処分、清にとって「属国」の「滅亡」、朝鮮も同様になるとの危惧→それを防ぐために朝鮮に西洋諸国と条約を結ばせる→米朝条約に「属国自主」の条文を入れさせようとしたが、米国が同意せず→それまでの不干渉を改め、「属国」の実体化へ転換→1882 壬午変乱に干渉、1884 甲申政変、1885 天津条約。
●李鴻章が太平天国との戦いで西洋式兵器の威力を見て武装近代化を志したのが洋務の始まり。当初は内乱鎮圧・治安維持の国内向け。1860年代から外敵としての日本の存在感が増す。内患や西洋に代わって日本が清の第1の敵となる。
●真の西洋化・近代化の改革には「官民懸隔」の社会を「君民一体」に変えなければならず、李鴻章もその事に気付いていたらしいが、自らの存在基盤である中間団体をつぶす事になるためできなかった。科挙は実用の役に立たず、工場を建てる資金を集めるための法律・制度もない。
●天津条約以後、李鴻章は袁世凱を使って朝鮮の従属化を進める。イギリスと接近し、ロシアとも和解。東学に対し清が出兵したのは、日本は出兵する余裕がないと判断を誤ったため。
●1900 義和団。李鴻章は北京議定書に調印してすぐ死去。清の権威が最終的に失墜→儒教的「華夷」意識が近代的民族意識に転化。既成概念が批判対象になり体制変革に動く。日露戦争後、日本の明治維新に倣う事が亡国を救うという意識がアジアに広まり、中国でも近代国家を目指す方向がはっきりする→チベット、モンゴル等の支配を強化。日本が満洲のロシアの利権や山東のドイツの利権を継承した事に反発が高まる。1919 五四運動。21か条要求を国恥記念日とする。日貨排斥。
●中国はなぜ「反日」になったのか、という問い自体がおかしい。中国は史上ずっと反日であり、きっかけがあって反日に「なった」のではない。
●社会構造の差→経済・政治の違い→対外姿勢の齟齬→相互の理解不足・誤解→対立から破局。
●勝海舟は「支那人は帝王を差配人のように見ており、地主に損害がなければ差配人は幾ら代わっても良いと考えている。戦争に負けたのは差配人だけで、地主は変わらない」(「氷川清話」、日清戦争時のもの)としている。勝ほど洞察力のある者は日本にも中国にもほとんどいなかった。
●歴史認識問題は、史学という学問そのものに内在。「史記」以来、中国の史学はイデオロギーの表明であり、ありのままの事実から出発する近代歴史学が欠落している。「正しい」歴史認識というスローガンがすべてを物語っている。満州国にいちいち「偽」の字を付けるのもそう。日中間には歪んだ鑑(かがみ)が多すぎる。
●日本人一般の中国に対する見方は、情緒と印象のレベルにとどまる。知識人・政治家・官僚でもそう。これは危うい。過去を調べて現在を見直す事で、より確実に知る事ができる。
●文献紹介…内藤湖南「支那論」(1914)、岩井茂樹「中国近世財政史の研究」(2004)、斯波義信「中国都市史」(2002)など14冊。
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書名は「中国「反日」の源流」となっているが、中身は、中国の近代史の中で政治、経済や社会の仕組みについて、日本との差に注意しながら、述べたものである。中国の歴史は、従来「正史」を中心に記述されてきたため、本書のような内容は良く知られていなかったものであり、興味深かった。中国を理解するために、本書の内容が、一般に広く知られることが望ましい。
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