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ウィリアム・H・マクニール「世界史」(上)(中公文庫 1333 マ103)増田義郎、佐々木昭夫 訳、中央公論新社、2008.1.25 原著:William H. McNeill, "A World History", 1967, 1971, 1979, 1999, Oxford University Press, Inc. 単行本:中央公論新社、2001.10 ●図版:ギリシア彫刻→ローマ、ガンダーラ、中国への影響。インド建築→東南アジアへの影響。中国絵画→ペルシア、インドへの影響。 ●第4版への序文(1998.4):本書が長く増刷され続けている理由←1人の著者の個人の歴史観で短く世界史をまとめた。前回改訂から20年たち最終章が時代遅れになったので、新版を出す事になった。 ●序文(1978.6):世界史には統一的な基準がなく、何を削り何に焦点を合わせるか議論の的である。本書の基本的考え方…諸文化の均衡は他に抜きんでた文明が作られると撹乱される。その文明に隣接した人々は伝統的生活様式を変える。ます撹乱の中心を研究し、次に他の民族がどう反応(反発)したかを考察する。 ○第1部 ユーラシア大文明の誕生とその成立(〜紀元前500):食料生産→人口の飛躍的増大→文明発生。前8500〜前7000に中東で起こり各地に広がる。前3500〜前3000 メソポタミア、エジプトで文明化した複合社会。その1000年後、犂の発明、動物の力を利用した農耕。前1700 遊牧民、戦車。前500 ヨーロッパ、インド、中国で新しい文明誕生、中東の統一。 ●狩猟。農耕、新石器時代、家畜。シュメル、宗教、文字、灌漑、軍事力と官僚制。 ●文明の広がり(〜前1700)。 ●中東で農耕発生→北のステップ(牛、馬)や南のアラビアの砂漠(羊、山羊、らくだ)では農耕民から家畜だけを取り入れ遊牧民文化が発達。犂の発明→焼畑から定住へ→同じ土地で々農耕が可能。シュメルの影響でエジプト文明が誕生。インダス文明。メソポタミアで官僚制、法、市場が発達。ステップの遊牧民がヨーロッパからインドまで征服。海洋民の文明、クレタ島のミノア文明。中国の黄河で雑穀、モンスーン・アジアで米の農耕が始まる。 ●中東のコスモポリタニズム(前1700〜前500)。 ●前1700から300年間、文明世界は蛮族の征服者に蹂躙された(アーリア人→インド、ヒクソス→エジプトなど。戦車による)。インダスとクレタは消滅。 ●世界の中心から外れた所に3つの大文明、ギリシア、インド、中国(殷)が起こる。 ●前1200 鉄器→新しい侵入者。前850〜700 遊牧民が乗馬を身に付け騎兵となる。ペルシャ帝国。 ●中東文明の3つの要素…1.帝国統治の技術。ローマや近代ヨーロッパの軍隊も元はアッシリアやペルシャが作った原理。2.アルファベット。エジプト象形文字とメソポタミア楔状文字の中間で簡略な文字が作られた→神官だけの物だった文字が大衆化。3.一神教の出現。ユダヤ教、旧約聖書の成立。ゾロアスター教。 ●インド文明の形成(〜前500)。ガンジス地方への移行。 ●国家よりカーストに属するという意識。各カーストは独自性を維持し、新来者もカーストの1つになって社会の一員となる事が容易。 ●戦争や政治への無関心。寛容さと包容力。ヴェーダ、ウパニシャッド、ヒンズー教、ジャイナ教、仏教。 ●ギリシャ文明の形成(〜前500)。出発点は同じだがインドとは対照的。 ●海洋民、都市国家、植民と貿易。農民も市民として市場に参加。 ●密集軍団(ファランクス)→集団意識と規律。 ●神の代わりに自然の法則(ポリスは君主の意志ではなく法により律せられる。世界は神の意志ではなく自然法則により律せられる)。 ●中国文明の形成(〜前500)。殷、周。戦国時代に中国文明が地理的に拡大。「天」の思想。儒教、道教。 ●蛮族の世界の変化(前1700〜前500)。スキタイ人→南ロシア。ケルト人→西欧全体。ステップ地帯は東へ行くほど降雨や温度が下がり牧草の質が落ちる→民族は東から西へ移動…スキタイ、トルコ、モンゴルの順。 ○第2部 諸文明間の平衡状態(前500〜後1500):インド、ギリシャ、中国の文明が成長し、中東と同等となり、4者が均衡。 ●ギリシャ文明の開花(前500〜前336)。ペルシャ戦争。民主制。社会階層の分化とポリスへの忠誠心低下。演劇、哲学、科学、修辞学、歴史学、建築、彫刻。 ●ヘレニズム文明の伸展(前500〜後200)。マケドニアの制覇、アレクサンドロス。ギリシャの移民。ギリシャ語が東地中海で支配的となる。科学と芸術。ローマの勃興。ローマ法。キリスト教。 ●アジア(前500〜後200)。マウリア帝国。ペルシャやヘレニズムから多くを取り入れる。中国統一。匈奴、クシャン朝、パルティア、中央アジア。シルクロードとインド洋の通商路。大乗仏教。 ●インド文明の繁栄と拡大(100〜600)。グプタ帝国。サンスクリットの復活。10進法。東南アジアのインド化。 ●仏教が中国へ。朝鮮と日本は独自の強力な文化がなかったので、仏教の影響は大きかった。552 日本を仏教使節が訪れ、日本は大中国の回りに群がる文明国・半文明国の一員となる。インドが東南アジア・中国・日本(全人類の過半数)に与えた影響はヘレニズム以上。 ●蛮族の侵入と文明世界の反応(200〜600)。ユーラシア草原のどこか1ヶ所に力が加わると、隣から隣へと広がり、すぐに全体に及ぶ。350頃 柔然→フン族の移動→西ゴートのローマ侵入、エフタルのイラン・インド北西部への侵入。征服者は文明化すると遊牧民の伝統を失う。 ●ササン帝国、ゾロアスター教の国教化。 ●ビザンティン帝国、ペルシャから重装備の騎兵、王冠、笏、宮廷儀式などを取り入れる。 ●キリスト教の教義論争と発展。 ●イスラムの勃興。ウラマーと律法体系。アラビア語の普及。宮廷生活と文化…禁じられていた飲酒も含め、詩、恋愛など、世俗的で貴族的な生活様式。ギリシャやインドの学問を継承。官僚制、ペルシャの軍事組織。 ●中国、インド、ヨーロッパ(600〜1000)。 ●日本は中国から離れていて、完全に飲み込まれる危険を感じなかったので、中国文化のあらゆる要素を歓迎して受け入れた。外国の文物に対する日本人の熱狂は、それ以後も繰り返され、歴史が急転換した。これは他には見られない日本史だけの特徴である。 ●文明が周辺(ケルト、ゲルマン、スラヴ、ヴェトナム、チベット、エティオピアなど)に拡大。 ●イスラムに抵抗するため、ヒンズー教世界とキリスト教世界は独自性を強める。 ●唐の帝権が衰えると節度使が力を得て、中国はトルコ人の連合体に従属。仏教は9世紀の弾圧の後、低い身分の人々の間でだけ生き続けた。しかし仏教は儒教や道教美術に影響を与えた。 ●新儒教。宋は中国的な物は庇護し、外国的な物は排除した→中国に単一な性格を与えた。 ●科挙→官吏は均質の集団となる。社会的流動性と権威の合理性。貧しい者でも可能性があり、名家でも合格が必要。 ●インドへのイスラムの侵入。この時代の資料は乏しく、よく分からない。 ●カロリンガ帝国(687〜)。754 ピピンがランゴバルドを破ってイタリア中部を教皇領とする。800 シャルルマーニュが「ローマ人の皇帝」に。 ●ヨーロッパへの3度の蛮族の侵入…フン族、ゴート、ブルグンド、ヴァンダル等(378〜450)。アヴァール(700頃)。マジャール(896)。 ●キリスト教への改宗…ロシア(989)、ハンガリー(1000)、スカンディナヴィア(831〜1000)→ヨーロッパと周辺の関係が逆転。 ●騎士が矢から槍に変わる。大型犂の普及。北西ヨーロッパで通商発展。馬の鐙や首当て。 ●ヨーロッパは、中国やインドと比べ、根源的に変化したが、その水準はイスラム・中国・インドの方がはるかに高かった。 ●トルコとモンゴルの征服による衝撃(1000〜1500)。 ●トルコ人傭兵がイスラムを支配(900〜)、インド〜バルカンまで勢力拡大。 ●13世紀、モンゴルの制覇。短期間で終わり、1つのエピソードとしてしか残らなかった。 ●スーフィズム…細かい律法を受け入れずとも良くなり、イスラムへの改宗を促進、イスラムはヒンズー教に似た要素を持つようになる。 ●ペルシャ語の詩、建築、細密画の発達。 ●十字軍。ギリシャ正教から見ると、イスラム教徒の方がラテン・キリスト教徒よりずっとましだった。 ●中国文明は、モンゴルの支配による影響はほとんどなかった。儒教は古代に忠実であろうとし、改革と名の付くものは、思想・芸術・生活様式・政治を問わず、一切承認されなかった。また、儒教は商人を寄生者とみなしたので、大規模な商業・産業が生まれなかった。役人を生み出した地主・紳士階級が支配力を持ち続けた。火薬・印刷・羅針盤の発明も、政府の統制に置かれ、ヨーロッパのような劇的な変化をもたらさなかった。 ●中世ヨーロッパと日本(1000〜1500)。イスラムの拡大に次いで、文明世界の両端、ヨーロッパと日本で、さらに重要な変化が起こった。両者は軍事中心のため、近隣の文明に毅然とした態度を持ち、良い物は何でも取り入れながら、自分の個性を失わなかった。 ●陸上輸送が主な地域では輸送費が高く高額商品が交易されたが、ヨーロッパは安い海上輸送を使え大量消費品が交易された→農民も含め全ての人々が市場で売買した。皇帝、教皇、領主、都市国家、議会の発達。 ●日本の封建制は初期中世ヨーロッパの封建制と酷似していた。力を失った天皇とローマ皇帝に敬意が払われていた事も似ていた。鄭和の遠征の後、中国が海から手を引くと、日本が南西太平洋全面の海上支配権を引き継いだ。日本の海賊が中国沿岸を荒らし、商人と戦士が交流、都市生活の芽が現れる。文明社会でこれと対比できるのはヨーロッパのみ。ヨーロッパも海賊から始まり都市生活のエトスを形成。禅も中国から移入したものだが、中国とは全く違った様式となった。1500年までに日本文化は他の文明に劣らない物になっていたが、日本文明が周辺に拡大する以前にイスラムやヨーロッパが場所を先取りし囲い込んでしまったので、新しい民族に拡がる事ができなかった。 ●文明世界の外縁部(〜1500)。1500年には、ザンベジ川以南のアフリカ、オーストラリアは全く文明の影響を受けていなかった。1500年のメキシコとペルーの水準は、前2500のメソポタミア、エジプトに似ていた。野生種からトウモロコシを作り出すまで時間がかかり、家畜にできる動物も旧世界より少なかった。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 文庫本、上下2巻のうち上巻。 著者は、ウィキペディア(https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・ハーディー・マクニール)によると、1917年バンクーバー生まれ。シカゴ大学の歴史学名誉教授。2006年に引退。2016年没。本書の初版は50歳、第4版は82歳となる。 西洋では歴史書は、西洋中心で、他はオマケ程度になっているものも多いが、本書は世界全体を公平に扱おうとしているようだ。しかし、西洋中心的な部分も残っているようで、「日本は独自の強力な文化がなかった」「モンゴルの制覇は短期間で終わり、1つのエピソードとしてしか残らなかった」などは、違和感が大きい。 日本では歴史学は、日本史と世界史に分かれているため、世界史から日本が抜けている。日本でも、本書の「イスラムの拡大に次いで、文明世界の両端、ヨーロッパと日本で、さらに重要な変化が起こった」というような視点が必要。
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