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ウィリアム・H・マクニール「世界史」(下)(中公文庫 1333 マ104)増田義郎、佐々木昭夫 訳、中央公論新社、2008.1.25
原著:William H. McNeill, "A World History", 1967, 1971, 1979, 1999, Oxford University Press, Inc.
単行本:中央公論新社、2001.10
●図版:ヨーロッパの美術と社会(12〜20世紀)。産業時代における建築。
○第3部 西欧の優勢:1500年が近代とそれ以前の区切り。1500〜1648年のヨーロッパと1500〜1700年のそれ以外が、西欧が優越性を示し他の文化に挑戦した時期。1648〜1789年の西欧と1700〜1850年の非西欧は、ヨーロッパ文明の再編成の時期。区切りに時間差があるのは、ヨーロッパ自身の変化と他に伝わる時間差。
●地理上の大発見とその世界的影響。造船術の進歩で船上から重砲を発射できるようになった→他の文明に対する海軍の優越。新大陸征服。アメリカ大陸からの金銀→価格革命、インフレによる社会変動。アメリカ大陸からの植物(トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ)。伝染病→アメリカ原住民の人口減。
●ヨーロッパの自己改革(1500〜1648)。
●中世の支配権が重なりあった状態から、中央集権国家に。軍事技術の進歩(騎士→銃を持つ歩兵)。
●オランダは、マラッカとセイロンからポルトガルを追い出し、ジャワに勢力を植え付け、香料貿易の支配者となった。
●カリブ海では、英仏蘭がアフリカからの奴隷で砂糖農園を作り、ポルトガルやスペインをしのぐ。
●ルネサンス。宗教改革。科学の進歩。文化的多元性の出現。
●ヨーロッパの外縁部―ロシアと南北アメリカ(1500〜1648)。銃が騎兵に勝つ→ロシアが遊牧民に勝つ。南北アメリカは、1648年までに西欧の外縁となる。原住民の文化は壊滅的打撃を受け、急激な文化風土の転換が起こる。
●イスラムの領域―それに従属するヒンズー教およびバルカン半島のキリスト教の社会(1500〜1700)。
●1500年以後もイスラムは拡大を続ける…ムガール帝国がインド統一。東南アジアでもミンダナオやボルネオにまで広がる。アフリカでも拡大。ヨーロッパでもオスマン帝国が拡大。
●シーア派のサファヴィ朝が成立(1502)し、スンナ派と対立。教義論争ではなく武力で対立→知識の後退。芸術は帝国に保護され発展。
●東アジア(1500〜1700)。
●満州族は、モンゴルのような西アジア的文化がなく、中国を征服した時、既に中国文明に親しんでおり、中国文明を抵抗なく急速に受け入れた。1757 カルムック族が清と戦い、天然痘で崩壊→清が東トルキスタンを征服。
●アメリカからもたらされたトウモロコシとサツマイモにより中国農村が発展、人口急増。
●中国・日本とも大洋航海船を造る事を禁じたため、貿易はポルトガルが独占。中国人は外来の物に興味を示さず、イエズス会は中国に影響を与えることができなかった⇔日本は、西欧の衣服、銃、キリスト教への改宗が広まる。
●徳川は国内統制のため海上航行を禁止。キリスト教も弾圧。日本は、都市の活気ある庶民生活と、礼式に律せられた武家文化の、二元的様相を呈した。
●ヨーロッパのアンシャンレジーム(1648〜1789)。
●職業の分化。矛盾や意見の相違を許容する寛容さ。統治者の自由は、異なる集団や階級の力の均衡を計算して、狭い範囲に限定されていた。
●1688 英、名誉革命。国債の発明(それまでの国王ではなく議会が借金の責任を負う)→有利な条件で借入→英の国力が急上昇。
●クローバー、カブ、ジャガイモ等の新作物が農業生産を高める。
●コークスの発明、蒸気機関、紡績機。人間組織の進歩…特許、中央銀行。数学と諸科学。政治理論、歴史編纂、経験哲学。芸術。
●ヨーロッパ卓越の根…多様性、冒険的精神。
●南北アメリカとロシア(1648〜1789)。この地域がヨーロッパの外縁から西欧文明の一部に変化し、大きな役割を果たし始める。
●ヨーロッパの旧体制へのアジアの反応(1700〜1850)。
●イスラムは、西欧に押され始め、西欧技術の導入とイスラムの純粋化の2つの動きが生まれたが、互いに対立した。
●ムガール帝国は、地方が独立して弱体化。西欧はインド人兵(セポイ)を訓練。1756〜1763 英が仏に勝ちインドを支配(地方王国と同盟)。ヒンズー教徒にとっては、ムガール帝国自体が異民族・異教徒の支配だったから、西欧が取って替わっても大きな反響はなかった。西欧も新たな1つのカースト程度にしか見ていなかった。ヒンズーの改革、ラーム・モーハン・ローイ(1772〜1833)。
●中国は、18世紀末まで伝統的なままうまくいっていた。西欧人は啓示宗教も世襲貴族もない世界を見て感服した。18世紀末から人口が増え過ぎ、土地が細分化され、農民が貧しくなる→反乱拡大⇔日本は、人口一定で農地の細分化なし。武士は軍事的役割がなくなり、商人から借金するようになる。官学としての朱子学に対し、蘭学・陽明学・国学などが対立。西欧文明を利用する用意がこれ程できていたアジアの民族は他になかった←対立する理念間の緊張や、文化の二元性を、他の民族は経験していなかった。
○第4部 地球規模でのコスモポリタニズムのはじまり:18世紀末から西欧で民主革命(仏)と産業革命(英)が始まる→世界全体に影響拡大。
●産業革命および民主革命による西欧文明の変貌(1789〜1914)。1890年頃、全世界でそれまでの西欧の浸透を阻止してきた障壁が全て崩れる←西欧の社会・文化・政治のパターンは徹底的に変わり、他文明に対し圧倒的優位に立つ。西欧の経済的・政治的・知的変化は複雑に入り組んで1つの全体を構成しており、分けて考えられない。
●産業主義と民主主義に対するアジアの反応(1850〜1945)。
●中国は、儒教的・伝統的姿勢に固執し西欧に対抗できず⇔日本は、西欧を食い止める唯一の方法は進んだ技術と政治を学ぶ事だと考えた。日本ほど西欧の優越に対し強力に対抗できた国は他にない。
●オスマン帝国は、クリミア戦争以後、西欧に指示に従い「改革」を導入せざるを得なくなった。ムガール帝国は、英の直接支配になる。清・オスマン・ムガールは、国民の大多数から見て異民族だった→西欧に対抗するために民族感情に訴える事ができない。
●人口増加は、アジアでは貧困と反乱につながったが、西欧では新産業への労働力や植民地への移住によりむしろ力の源泉になった。
●人口の大多数が西欧の影響を受けるようになったのは、わずか2〜3世代に過ぎない。インドでは1930年代、中国では1950年代まで、多くの農民は以前のままの生活様式だった。
●イスラムは、西欧的近代化がイスラムの教えと反するため受け入れられない。全てが神の意思なら、異教徒に屈するのも神の意思として受け入れざるを得ない→変革できず。イスラムの人々は西欧の思想からイスラムの思想を隔離→創造性や自信は困難→1850〜1945年にイスラム世界の中で世界的に名を上げる人物は1人も現れず。イスラム世界では1945年以前に産業革命も民主革命も発展せず。
●インドでは、英国式教育を受けたインド人が英国人に取って代わる。
●中国は、西欧より日本に敗れた事がより大きな屈辱だった。度重なる失政で、1911年に革命が起こる頃には、清朝への支持はなくなっていた。地方で暴力と無秩序が拡がる。学生は儒教に代わって西欧式の学校に殺到。中国は、社会秩序と政府が崩壊してから、外国の思想や技術に大きな注意を払うようになった⇔日本は政府中心に富国強兵・産業革命を進める。武士の服従と義務の観念が、産業界で効率的に働く。軍隊は愛国心を養うと共に社会的エスカレーターとなった。伝統的精神が根強く残っていたのに比べ、政治改革は限定的・表面的だった。日本は産業革命と民主革命で著しい成功を収めた。西欧の思想と様式をおびただしく導入したが、伝統は消滅しなかった。
●アフリカとオセアニア(1850〜1945)。
●アフリカで農耕に適した土地は東部高地(エチオピア、ケニア、タンザニア)と南アフリカ沿岸だけ。伝染病。大部分が海面より高く隆起し、多くの川が河口の近くで滝となり、交通を阻んだ→文明発達の障害。19世紀、アメリカ原産の作物(トウモロコシ、落花生、サツマイモ)→人口増→国家建設。
●ヨーロッパやイスラムの進出、交易。西欧各国が競って急速に植民地化。植民地の開発と行政に要する経費は、経済的利益より多く、決して引き合うものではなかった。白人がアフリカを掠奪して巨大な富を得たというのは偏見でしかない。
●西欧世界(1914〜1945)。
●民主革命により、政治体制は人間が作った物である事がはっきりしたが、まだ社会や経済は自然に存在する物と考えられていた。第1次大戦により、各国は社会や経済も人間の手でコントロールできる事が分かった。
●戦争の性格の変化…第1次大戦末期に米国ウィルソンの民族自決、ロシアの社会主義…体制変革の理想。ドイツ、オーストリア、トルコには対抗するだけの理想はなかった。
●ヒトラーの成功は、第1次大戦中にドイツが作り上げた経済動員のパターンに全面的に寄りかかった物。
●第2次大戦後の復興に、1930年代の大恐慌への対応策として発達した社会と経済の管理技術が用いられた。
●20世紀まで、西欧も他の地域と同じく住民の圧倒的多数は農民で、生活や社会も農作業の習慣に基づいていた。工業化が生活を大きく変えた。マスメディアの発達。管理技術の発達が社会に適用され、人類は管理するエリートと管理される大衆に分けられていく。
●1945年以後の世界規模の抗争とコスモポリタニズム。
●まず1947年にイギリスがインドから撤退→他国もそれに倣い、ヨーロッパの植民地の大部分が独立。ほとんどの場合、平和的に植民地廃止←1.本国政府の見方の変化、英労働党政権(1946)は帝国主義を否定し、植民地行政の責任を免れるべきとした。2.植民地住民の政治意識が高まり、行政を引き継ぐだけの政治構造ができる。
●冷戦、抑止力、軍拡競争、ベトナム戦争。冷戦の氷解(1973〜91)、ソ連の解体、各地の民族紛争、宗教対立。
●人口爆発、都市化、農村の自律性が崩壊。科学の進歩。
○訳者あとがき(増田義郎、2001.6.7)
●本書初版は1967年。4年後に新潮社が邦訳。増田もその時の訳者の1人だった。今回の版は初版とは大幅に書き換えられ内容は一新している。
●本書は、著者の「西欧の興隆(The Rise of the West)」(1963)に基づいて書かれている。これは書名と違って西欧史ではなく世界史である。本書はそれより短い。本書はウォラーシュテインの世界システム論(1974)より前に書かれた。英語の原題(A World History)の通り、著者による「1つの世界史」である。
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第3部冒頭の年表で、日本は「東アジア」ではなく「太平洋とアフリカ」の中に入っている。上巻の第2部冒頭の年表では、アメリカ・アフリカ・オセアニア等と共に「その他」に入っていた。日本人は日本自身を「アジア」の中に入れてしまいがちだが、本文の記述を見ても、著者は日本を中国などとは別枠の独立した文明としているようだ。
カルムック族は、日本では、オイラート、ジュンガル部と呼ばれる事が多いようだ。
第2次大戦のうち太平洋戦争の記述は1ページ以下。日本人にとっては、非常に大きい事だが、著者にとってはそうでもないようだ。むしろ第1次大戦の方が世界史上の意義が大きいようだ。
20世紀の記述は、事件の経過を羅列するだけになって、その前の時代のような大きな視点が少ないようだ。やはり年数が経たないと意味づけするのが難しいのか。また、西洋中心で、他の地域の動きが不十分。日本が世界に与えた影響もほとんどなし。
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