世界日本化計画

ブログタイトルを「silkroad_desert9291」から「世界日本化計画」に改名した。(2008.12.16)

世界経済史

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ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。

単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。

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シリアのGDPのデータは、1820年から1950年までは飛び飛びで、1950年から2008年までは毎年のデータがある。そのため、グラフは、1950年以後を10年おきにして全体を見たグラフと、1950年以後の毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。
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このデータによると、シリアの1人当りGDPは、1820年には658ドルだった。1913年の1人当りGDPは1350ドルとなり、93年間で2倍強(年平均成長率0.8%)となった。この間、人口も1.5倍になったのでGDPは約3倍になった。その後、成長率が上昇し始め、1950年には1人当りGDPは2409ドルとなり、37年間で1.8倍(年平均成長率1.6%)となった。この間にGDPも約3倍(年平均成長率3.1%)になった。
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1人当りGDPは、1954年には3453ドルとなったが、その後は停滞し、1970年には3540ドルだった(年平均成長率0.2%)。この間に人口が増えたのでGDPは67%増加している(年平均成長率3.3%)。1970年〜1981年は成長率が高く、1981年の1人当りGDPは6891ドルとなり(年平均成長率6.2%)、GDPも2.8倍になった(年平均成長率9.9%)。しかし1981年〜1989年に1人当りGDPは減少し、1989年の1人当りGDPは5480ドルとなり(年平均成長率マイナス2.8%)、GDPも停滞した(年平均成長率0.7%)。1989年〜1998年は再び成長率が高くなり、1998年の1人当りGDPは7829ドルとなり(年平均成長率4.0%)、GDPも1.8倍になった(年平均成長率7.0%)。1998年〜2008年にはまた成長率が低下し、2008年の1人当りGDPは8360ドルにとどまり(年平均成長率0.7%)、GDPも36%の増加にとどまった(年平均成長率3.1%)。
ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。

単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。

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中東では、チュニジア、エジプトに続き、リビアでも独裁政権が倒されれたが、同じく問題のシリアについて、上記データから人口やGDPの歴史的推移をみてみた。

シリアの人口のデータは、1820年から1950年までは飛び飛びで、1950年から2009年までは毎年のデータがある。ただし、2009年の人口は前年に比べ10%も増えているが、データの誤りではないかと考え、2009年のデータは除いた。そのため、グラフは、1950年以後を10年おきにして、1820年から2008年までを見たグラフと、1950年から2008年までの毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。

シリアは、古代には、アッシリア、アケメネス朝ペルシア、アレクサンドロス大王、セレウコス朝シリア王国、ローマ帝国、ビザンティン帝国などが支配した。その後、アラブ、イスラムに征服され、ウマイヤ朝はシリアのダマスカスを首都とした。16世紀からはオスマン帝国が支配した。
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このデータによると、シリアの人口は、1820年には134万人だった。1913年には199万人となり、1820年からの93年間の年平均増加率は0.43%だった。

第一次世界大戦では、映画「アラビアのロレンス」で有名なアラブの反乱が起こり、ファイサル1世を国王として一旦は独立を宣言するが、フランス軍に占領され、シリアはフランスの委任統治領となった。第二次世界大戦後に共和国として独立した。

1958年にはエジプトと連合しアラブ連合共和国となったが、1961年に分離した。1963年にバース党が政権につき、現在まで続いている。ハフェズ・アサドは1970年に権力を握ってから、2000年の死去まで政権を維持した。その後はハフェズ・アサドの息子のバッシャール・アル・アサドが後を継いで大統領となり、現在に至っている。イスラム教の少数派のアラウィー派が権力を握っており、多数派スンニー派と対立している。
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シリアの人口は、1950年には350万人となり、人口増加率も上昇している。人口増加率は、1960年代から1980年代まで3%台になったが、1990年代になって2%台に低下している。シリアの人口は1984年に1000万人を超え、2008年には1975万人となっている。
ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。

単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。

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イエメンのGDPのデータは、1949年以前のデータはなく、1950年から2008年までは毎年のデータがある。そのため、グラフは、1950年以後の毎年のデータを使ったグラフだけを作ってみた。

このデータによると、イエメンの1人当りGDPは、1950年には911ドルだった。1969年までは、GDP成長率は2%台後半、1人当りGDP成長率は0.4〜1.2%で推移し、1950〜1969年の19年間にGDPは67%、1人当りGDPは14%の上昇にとどまった。1970年から成長率が大きく上昇し、1969〜1979年の10年間に、GDPは2.9倍(年平均成長率11.1%)、1人当りGDPは2.3倍(年平均成長率8.5%)となっている。
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その後は成長率が鈍化し、GDPは1979〜1994年の15年間に1.5倍(年平均成長率2.7%)となるにとどまった。また1人当りGDPは、1979〜1984年の5年間に3%上昇してから、1984〜1994年の10年間に11%落ち込んでいる(1979〜1994年の15年間の年平均成長率はマイナス0.5%)。1995年から再び成長率が上昇し、1994〜2000年の6年間に、GDPは47%上昇(年平均成長率6.6%)、1人当りGDPは21%上昇(年平均成長率3.2%)した。しかし、2000年以降また成長率が鈍化し、2000〜2008年の8年間に、GDPは36%上昇(年平均成長率3.9%)、1人当りGDPは3%上昇(年平均成長率0.4%)となっている。

2008年の1人当りGDPは2699ドルとなっている。これは日本(22816ドル)の12%、エジプト(3725ドル)の72%、アラブ諸国の平均(4198ドル)の64%の水準である。
ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。

単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。

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今回は、反政府デモが続くイエメンについて、上記データから人口の歴史的推移をみてみた。

イエメンの人口のデータは、1820年から1950年までは飛び飛びで、1950年から2009年までは毎年のデータがある。そのため、グラフは、1950年以後を10年おきにして全体を見たグラフと、1950年以後の毎年のデータを使ったグラフの、2種類を作ってみた。
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イエメンの歴史には、なじみがないが、Yahoo!百科事典( http://100.yahoo.co.jp/detail/イエメン共和国 )やウィキペディア( http://ja.wikipedia.org/wiki/イエメン )を見ると、次のようである。

イエメンは、古代には「幸福のアラビア」と呼ばれ、シバ王国が繁栄した。7世紀にイスラム教が流入し、9世紀に近年まで続くラシド王朝が成立した。16世紀にはオスマン帝国が侵入。1839年に南イエメンがイギリスに占領され植民地となる。1849年にオスマン帝国が北イエメンを再占領。1918年、第1次大戦でのオスマン帝国の敗北に伴い、北イエメンが王国として独立した。

イエメンの人口は、1820年には259万人だった。1913年には328万人、1950年には478万人に増加している。1820年から1950年までの130年間で1.8倍、年平均増加率は0.47%である。
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北イエメンでは、1962年にクーデターにより王国から共和国となるが、1970年まで王制派との内戦が続く。一方、南イエメンは、1967年に共和国として独立した。1990年に、南北両イエメン指導者の合意により南北が合併し、現在のイエメン共和国が成立。北イエメンのサレハが大統領に、南イエメンのビードが副大統領に就任した。1994年、南北の内戦が勃発するが、短期間で北が勝利。2011年1月から反政府デモが続き、先行きは不透明である。

イエメンの人口増加率は、1950年代から1960年代までは2%前後だったが、1970年代半ばに2.5%、1980年代半ばには3.0%、1990年代から2000年代には3.5%程度まで上昇している。イエメンの人口は、1984年に1000万人を超え、2004年に2000万人に達した。2009年の人口は2286万人である。なお、このデータでは、2009年の人口が前年より若干減っているが、実際に減ったのかデータの誤りか不明。
ここで使ったデータは、「経済統計で見る世界経済2000年史」( http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/32443177.html )の著者であるアンガス・マディソン(Angus Maddison、1926〜2010) 氏のサイト( http://www.ggdc.net/maddison/ )の「Statistics on World Population, GDP and Per Capita GDP, 1-2006 AD (Horizontal file, copyright Angus Maddison) 」( http://www.ggdc.net/maddison/Historical_Statistics/horizontal-file_02-2010.xls )というファイルからとったものである。このファイルは、マディソン氏が、著書に掲載したデータに、数値を追加、修正したものである。マディソン氏は、2010年4月24日に亡くなったので、これが最後の更新となった。

単位は、人口は1000人、GDPは100万国際ゲアリー=ケイミスドル、1人当りGDPは国際ゲアリー=ケイミスドルである。「国際ゲアリー=ケイミス(Geary-Khamis)ドル」とは、各国通貨を購買力平価で換算したもので、1990年基準の実質値である。なお、このデータは、それぞれの時代の領土ではなく、現在の領土が基準になっている。

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リビアのGDPのデータは、紀元1年のデータと、1950年から2008年までは毎年のデータがある。グラフは、1950年以後の毎年のデータを使ったグラフだけを作ってみた。

このデータによると、紀元1年のリビアのGDPは220百万ドルだった。1人当りGDPは550ドルで、世界平均(467ドル)の1.2倍だった。

その後は1950年までデータがない。1950年のGDPは824百万ドルに増加している。1人当りGDPは857ドルに増加したが、世界平均(2111ドル)の41%になっている。紀元1年から1950年までの1950年間に、GDPは3.7倍(年平均増加率0.07%)、1人当りGDPは1.6倍(年平均増加率0.02%)になったことになる。
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1950年代から石油開発が進められ、リビアは貧しい農業国から産油国となった。このため、1950年以後、リビアのGDPは急激に増加し始めた。1950年代にGDPは3.0倍(年平均増加率11.5%)、1人当りGDPは2.1倍(年平均増加率7.9%)となった。さらに、1960年代には、GDPは7.4倍(年平均増加率22.2%)、1人当りGDPは5.0倍(年平均増加率17.4%)にもなった。1970年の1人当りGDPは9115ドルで、世界平均(3729ドル)の2.4倍で、日本と同じ程度になっている。

1969年にカダフィ大佐がクーデターで権力を握ったが、GDPは1970年にピークをつけ、減少に転じた。1970年から1974年にかけて、GDPは−28%(年平均−7.7%)、1人当りGDPは−41%(年平均−12.4%)も落ち込んだ。その後は増加に転じ、GDPは1974年から1980年にかけて69%(年平均9.1%)、1人当りGDPは1974年から1979年にかけて41%(年平均7.1%)増加した。

リビアは、欧米諸国と敵対し、テロ支援国家として、経済制裁を受けた。経済は長期的に低迷し、GDPは1980年から1995年にかけて−52%(年平均−4.7%)、1人当りGDPは1979年から1999年にかけて−70%(年平均−5.8%)も落ち込んだ。2000年代に入って、欧米諸国と関係改善し、制裁も解除された。経済は回復に向かい、GDPは1995年から2008年にかけて62%(年平均4.2%)、1人当りGDPは1999年から2008年にかけて31%(年平均3.0%)増加している。

このデータによると、2008年の1人当りGDPは2994ドルで、世界平均(7614ドル)の39%である。2011年になって、反政府デモが発生し、カダフィ派と反カダフィ派の内戦になっている。

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