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松川地籍には餓鬼岳や雨引き山、大洞(蓬莱)山など仏教にちなんだ山と、有明山のように仏教が日本に入ってくる前の命名ではないかと思われる山があるが、一つだけ意味不明の山がある。
その名が表題の『馬羅尾山』である。ばろお山と読む。
羅とは羅紗とか絽など、絹織物の織り様の名に使うが「羅(ら)」と書いて「絽(ろ)」と読ませている。
この織り方が日本に入ってきたのは5世紀頃らしい。
おそらく秦氏が持ち込んだのではないかと思われる。(確証はないが、織物の技術は秦氏が持っていた)
ペルシャから紀元前後に中国に入り、羊毛から絹糸に変化したものだという。
さてここで秦氏の名が出てきたが、秦氏と弥勒菩薩は縁が深い。
浅井長政で有名になった小谷の如意輪観音(弥勒菩薩)は聖武天皇の神亀五年(728)に、泰澄大師が創建している。 秦氏である。
馬と羅が繋がっているので
まんざら織物だけで判断は出来ないが
馬羅島という名は済州島の南11kmのところにある。
馬羅という朝鮮語があるという事はこれで分かるが
そこと、この馬羅尾が関係あるとはそれだけでは言えない。
此の地は仁科濫觴記では牧があって馬の放牧をしていたらしい。
魏石鬼窟周辺の古墳群はひょっとするとそういった馬の生産の技術者の住んだ場所かもしれない。
立派な馬具、刀剣、耳環等の出土が見れる。
そこには戦国時代は仁科氏輩下古厩氏の支配下となっている。
日本語で言ういわゆる「馬の尾」ということを朝鮮語で馬羅尾と書いたのかもしれない。
新羅は本来はシンラと読むが、日本ではシラギと読む。
「シンの」と言う意味に そこへ日本人が城(き)を付けたと言われている。
この新羅と弥勒菩薩はよく一緒に祀られる事が有る。
これも秦の河勝が新羅から宝冠弥勒菩薩を送られたとき
蜂岡の寺を建ててこれを祀ったことも、どうも新羅=秦氏=弥勒菩薩という繋がりがある。
松川の弥勒菩薩は 木崎にある帰化人の墓、積み石塚古墳や魏石岩屋の中間にあって
多くの帰化人がこの地で活躍していた可能性をうかがわせるが
それを下地として弥勒菩薩が持ち込まれ、彼らを統率した人物がいたのではないかと考えられる。
その人物が道基という僧によって教育されたという宝祚谷氏,後の光明王ではなかっただろうか。
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安曇野の古代史に興味を持っていたらここへ
たどり着いて興味深く読ませて頂きました。
馬羅尾 イバラ説もありますが・・・
自分も不思議に思っていましたが大和朝廷や仁科族が安曇族(九州)を鼠と呼び日本書紀に 鼠産於馬尾 という記述があるそうです。
どう読み解くかは不明ですが鼠族が馬を飼う為に移動した?と考える人もいるようです。
有明 神戸原 鼠穴 馬羅尾 地名から読み取れる安曇野古代人の痕跡があちこちにありそうですね(^^ゞ
2019/2/14(木) 午後 10:31