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霜月のおわりに

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朝の7時にちひろ公園から眺めた蓮華岳。
ちひろ公園は5000年前の縄文遺跡のあった場所で
ここでは耳管の加工をしていたようだ
玉を削って磨く技術がこの地にあったということだが
そのためには良質の研磨剤がなければならないし
玉石をカットするためには石英の粉が必要だ。
これを水で溶いて硬いもので擦ると玉は削る事ができる。

この地で採れた遺物の中にそれは見事にすり鉢状に削られたすり鉢があった。

 この地域の北西に城山という山がある。
この山はチャートという石英が熱変性を受けて再結晶化し粒状化している岩石の露頭が見える。
硬いもので打つと容易く石英の粉末が出来る。
おそらくこれを5000年前の縄文人は使って玉の研削研磨をしたことだろう。
糸魚川から勾玉の研削研磨の技術は伝わっていた可能性がある。
しかし、原料の玉石はどこから調達したのだろう。

この地には黒曜石の矢尻も多数残されていたので諏訪とは緊密な交流があった。
諏訪や八ヶ岳の縄文人はこの地を通って糸魚川に抜け
小舟で日本海を北上して、青森の三内丸山の市で物品交換を下と思える。

この縄文遺跡の中にあまり知られてはいないが須恵器土器が発見されている。
古墳時代の遺物である。
誰かがその時代、この地に住んでいたか
あるいは祈っていたのではないかと思える。

写真では蓮華岳の頂上と重なるように谷が見える。
この谷に4世紀初頭に埋葬されたであろう二品王の廟があったという。
そこから東南のこの場所は復活を祈念するための場所としては最適の場所であり
この東南に開けた地は細野という地籍になる。

仁科濫觴記では宝祚埜には二品王の配下、河の伯司(治水の司)に任じられた九頭子が居住したと伝えられている。

  • 顔アイコン

    おはようございます
    今まで土器に興味は向いていなかったので、全くの検討はずれかもしりませんが、朝鮮三国時代の加耶の土器が須恵器を似ているような気がしました。
    翡翠の加工についてのものを図書館から借りた『古代翡翠文化の謎』(s63発行)(糸魚川でのシンポジウム)で読んでいるところです。

    あの半跏思惟金銅仏からいろいろ膨らませてもらっています。

    [ contemporary Eat & Art ]

    2015/3/21(土) 午前 5:10

  • 顔アイコン

    > contemporary Eat & Artさん
    コメントありがとうございます。安曇族と言われているのは、ここに安曇氏の船で大量に移民があったのではないか。それが伽耶であっただろうと推察できますね。

    kuu

    2015/3/24(火) 午後 0:03

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