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観松院弥勒菩薩の謎4

30. 後背の設置手法
 鞍作止利が厩戸の法王の死を悼(いた)んで制作した救世観音は直接頭に光背を打ち込むスタイルですが同様に観松院の弥勒菩薩の光背も後頭部に懸けて固定するようになっています。
歴史家であり哲学者の梅原猛はこの後背の固定の形式は厩戸皇子の怨念封じだと言っていましたが、この当時の仏像の後背の固定形式としては一般的な方法だったようです。
観松院の弥勒菩薩は実は火中に投じられた時に右手を失っただけではなく、光背も失っているのです。東京博物館に残っている後背を探してみましたがこの蝶つがいに合う穴の形をした後背の残欠はありませんでした。
イメージ 1イメージ 2
 
31.鞍作止利
 明治になってフェノロサと岡倉天心開闢しました夢殿の絶対秘仏であった救世観音(622)です。
聖徳太子のお姿の原寸大と言われています。

右の鞍の透かし彫りは鞍作止利で、587年に馬子によって殺された穴穂部の王子の為のものではないかと言われています。聖徳太子の叔父にあたります。
鞍作止利は法興寺の大仏を鋳造した仏師として有名ですが、これ以降王家お抱えの仏師として富と名声を得ていきます。馬子が法興寺の大仏を発願したのは605年です。この時初めて彫金師であった止利は造仏に取り組んでいます。

 
32.大化の改新 
しかし、645年、中大兄皇子や中臣鎌足らによって起こされた乙巳の変(大化の改新)によって蘇我入鹿が殺され、甘粕の丘の蘇我蝦夷の館も炎上してしまいました。もしここに金銅弥勒菩薩が保管されていたとしたら、火炎の中に晒された事になります。
 この大化の改新を機に中大兄皇子方に取り入った帰化人の中に船氏がいます。船の史人恵尺は聖徳太子と蘇我馬子が制作した天皇記を焚書から救い出し、中大兄皇子へ差し出すという手柄を上げ、恵尺の子は出家して道昭となり遣唐使船で唐に派遣されました。この遣唐使船が653年に仕立てられたものなのです。
蘇我蝦夷が管理していて焼けてしまった仏像も、こうした法興寺の僧たちによって保護管理されてきたのではなかったでしょうか。
そしてその後鞍作止利たちの作品は影をひそめ、非鞍作り派とでもいいましょうか、そういった仏師の集団によってその後の造仏はされてゆくことになります。
 
33. 白村江の戦い
 653年の中大兄皇子による全方位外交を目指した孝徳天皇を一人、難波宮へ置き去りした事件から、10年間懸けて中大兄皇子は豊璋を倭の傀儡とした百済国の再興に向けて舵を切ったわけです。
中大兄皇子は663年百済王の豊璋を立てて、唐、新羅に挑みました。
対馬を経て多くの兵が朝鮮半島へ渡り、白村江をめざしました
しかし、唐と新羅の連合軍に破れ多くの兵は命を失いました。
一時対馬でさえ追撃する唐、新羅の兵で埋め尽くされたことでしょう。
そうして対馬を前線基地としていた倭の王族の司令官駐屯地はほうほうの体で九州へ逃げ帰り、
浄林寺に残された弥勒像は侵略してきた兵に破壊され下半身だけがのこされたのではなかったでしょうか。
 弥勒菩薩は56億7千万年後、兜率天から下生して釈迦の救えなかった衆生を救済するという弥勒信仰をもった為政者によって自らの血縁者(親王)に渡して忠誠を誓わせたと思われます。仁科濫觴記を紐解いてゆきますと、高明王(第22代二品王)はそういった弥勒信仰を持った為政者である天智天皇のご落胤であった可能性が高いと思われます。
 
 
34.東京芸大調査風景
東京芸大の松田誠一郎教授と彼の研究室のメンバーが調査にこられた光景です。
修士論文をこの中の任(イム)さんが書いております。
今年の秋には、やはり中国の青洲を訪ねておられました。
昨年末にはその論文を書き上げ、筑波大学院へ転校されました。研究成果は真っ先に我々がお聞きすることができますように6月21日(日)松川村鈴の音ホールにて講演会をする運びとなっております。
ぜひ皆様のご来訪をお待ちしております。
学会に正式に観松院の弥勒菩薩が登場することになります。
 
35最後に 
地域の歴史文化財は経済構造の変化や信仰観の変化などでその保存に多くの課題を抱えています。これらを保存して次の世代へ手渡してゆくシステムの構築は現代の急務となっています。
日本文化全体の厚みを体現するこのような地域に残されている歴史や文化材はその価値位をその場にいる人にはなかなか認識しづらいことと思います。しかし地域に残る歴史や文化材は私たちの祖先が生きるための心の支えとして大切に育んで次世代へと手渡してきたものであったはずです。
これを近代のたった100年程の信仰観信条の変化の中で看過する事は今ある自分たちのアイデンティティーを自ら否定する事でもあります。自分たちの親や祖先の心情を理解できず守れずして今の生き方に厚みや風格を見出すことはできません。どうか足下を今一度眺めて東洋の果てに華咲いた信仰、信条、価値観などをこうした文化財を通じて見つめ直してみませんか。
観松院弥勒菩薩研究会は会員を随時募集しております。
宜しくお願い致します。
 
観松院弥勒菩薩研究会 会長 奥原國乘

  • 顔アイコン

    松川のイベントは何時からでしょうか
    前日に横浜で用事があるので間に合いますかどうかとおもっております

    [ contemporary Eat & Art ]

    2015/6/3(水) 午前 8:40

  • 顔アイコン

    > contemporary Eat & Artさん
    ご連絡ありがとうございます。21日は1時半から講演会開催します。4時に観松院弥勒菩薩のご開帳があって散開となります。

    kuu

    2015/6/4(木) 午前 0:39

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