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白河上皇の幼女で鳥羽天皇の中宮となり崇徳天皇と後白河天皇の生母
何不住なく育ち明るく奔放な性格だが後ろ盾だった白河上皇没後鳥羽天皇に疎まれ没落してゆく。鳥羽天皇の北面の武士佐藤義清(後の西行法師)は17歳年上の子の中宮に一目ぼれしてしまう。父と慕う鳥羽天皇とその中宮に恋慕してしまうこの罪悪感と当時の自領の荘園土地問題や親友の突然の死など、人の世の無常を憂い出家を決心して西行法師となる。そのきっかけを作った女性。歌は残さなかった。
待賢門院璋子を思って
さまざまに 思いみだるる こころをば
君がもとにぞ 束(つか)ねあつむる (あなたを思っては様々に乱れる心を、結局またあなたのもとに束ねて集めるのです)
今ぞ知る 思いでよと ちぎりしは
忘れむとての 情けなりけり (今やっとわかりました。思い出してくださいねと約束したのは、あなたは、若いから私がいつかこの日のことを忘れてしまうから、というその時のわたしへの慰めだったのですね。)
これとかの有名な
嘆けとて 月やはものを 思わする
かこち顔なる わが涙かな ( 「嘆け」と言って、月が私を物思いにふけらせようとするのだ
ろうか? いや、そうではない。(恋の悩みだというのに)月の せいだとばかりに流れる私の涙なのだよ) 西行が待賢門院へのあふれ出る恋情を歌っていますね。
西行よりも17歳年上の高貴な上臈(じょうろう)女房殿。鳥羽天皇から疎まれて、法金剛院にて落飾(髪を切って)して住まうのですが、絶代の美貌を慕い、仕える女人も堀河のような有名な歌人など、多くの才女、貴人が集まっていたようです。 しかし3年後、疱瘡が原因で病勝ちとなり、長兄の三条高倉第にお移りになり、1145年8月22日、45歳でこの世を去ってしまいます。 |
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