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この歳で予感めいたもの・・・。
聖徳太子に興味を持ったのは、成文化された「17条憲法の発布」が国家のあるべき姿を形に表した最初の国家宰相であった為。また王族の近親婚の実態。
大学で出会った小野浩教授とその教えと
友清歓真(ともきよよしざね)の思想。 佐藤一斉や安岡正篤
日本の歴史はせいぜい紀元前600年頃から始まる。まあ、これでも世界の中で継続した一国の歴史としてはずいぶん長いわけだが、弥生時代に消されてしまった縄文時代1万年前まで、日本の文化圏としては遡ることができるだろう。
この文化を拾い集めて、今に生きている縄文時代の精神を、日本人は自覚する必要がある
のではないだろうか。 |
乾坤一擲
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詳細
究極の渾身の一筆。なかなか書けませんが。
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今日は父の通夜である。
葬儀の準備に追われ、くたびれ果てた2日間だったが
今朝はいい目覚めだった
パソコンを開くと、モニターの上で、えびす大黒が遊んでいた。
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弥勒菩薩の微笑みについて考えてみる。
「弥勒菩薩研究会」がなすべきことはなんだろうと未来に対して何を継続すべきかを考えている。
限られた資料の中から、過去の縁を解きほぐしていったとして
早晩、観松院弥勒菩薩像の歴史に関して、分かり得る事実は限定的となってくるだろう。
そうした時、継続して学ぶべきことは何か、という事をあらかじめ予測しておく必要がある。
その時
「弥勒の微笑みの不思議」にたどり着いたのである。
以下 道元の『正法眼蔵』の中の現成公案である。
仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心(しんじん)および他己(たこ)の身心をして脱落せしむるなり。
悟せきの休かつなるあり、休かつなる悟せきを長長出ならしむ。
現代語訳:
仏道をならうとは、自己をならうことである。
自己をならうとは、自己を忘れることである。
自己を忘れるとは、よろずのことどもに教えられることである。
よろずのことどもに教えられるとは、自己の身心をも他己の身心をも脱ぎ捨てることである。
悟りにいたったならば、そこでしばらく休むもよい。だが、やがてまたそこを大きく脱け出てゆかねばならない
仏道をならうとは人生の生き様 そのもので、自分自身を修練することである。
己を修練するという事は、己を忘れ、目の前にある自分の為すべきことに没頭する事である。
そのように無我夢中になって務めることは、目の前にあるあらゆる法に教え導かれることであり
その万法に教えられ導かれることは、自他の区別など無くなって、他人の苦楽をも、己のものと区別なく、受け入れる事が出来る境涯に達する事である。
その境涯に至ったならば、そこでしばらく休むもよい。だが、やがてまたそこを大きく脱け出てゆかねばならない。
この境涯に至った時、人は無心となり、身心脱落し 自然と微笑みが浮かんでくる。
弥勒菩薩の微笑みは悟りを開いたその瞬間を表している。
したがって手は頬に当てられているべきだろう。
人は全ての人は生まれながらにその中に仏を抱いて現れる。
それそのままで真実である。
自らの人生を生きる上で重要なことは、迷いもさとりも全部身体の生命活動の表情・風景であり、
万法そのものである。ということを受け入れる事である。
迷いを捨ててさとりたいと考えるのではなく、その両方を素直に頂戴して生きていくしかない。
即ち ただ己の身体にお任せして生きて行く事である。
これは般若心経の教えそのもので、空である事を悟り、色であることを自覚する事であり
その両方をもってして尽きることがない世界を歩いてゆくことでもある。
この事を道昭は三蔵玄奘から学び、禅定を、隆化寺の慧満禅師の下に行き、
その慧満から手ほどきを受けている。
(慧満は、中国禅宗第二祖である神光慧可の弟子になる僧那(生没年不詳)の弟子)
正法眼蔵(しょぼうげんぞう)を著した道元が宋で学んだのは1223年、道昭の653よりも570年下っています。
弥勒の微笑み
弥勒菩薩の研究の究極はその微笑みの源泉をたどる事に他ならない。
この菩薩像を持念仏として所持した者は確かに権力の中枢にいる血統なのかもしれない。
がこれも世の中のその時の縁の表れでしかなく
この持念仏を持つ人がたどり着かねばならないところは
ありのままを受け入れ、絶望ですら事実として受け入れることを是とし、
躰の続く限り生き抜く覚悟を持たなければならない といった決意に至った事であろうことが想像つくのである。
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