インド

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マハラジャマック

昨日、子供とマクドナルドへ「ホットゴールドマサラ」なるものを食べに行きました。
インドのマハラジャマックを基に開発した商品らしいが..

もう10年にもなるが、ムンバイのビクトリアステーションの駅前のマックで、マハラジャマックを食べたことがある。まだ、マックが珍しかった頃の話である。店内はエアコンが効いており、若いインド人でごった返していた。入り口には銃を持ったドアマン(?)が立っていた。一種異様な雰囲気を覚えた。
肉はマトンだったと思う。味に関しては印象がない。記録を見ても「こんなもんか..」という程度のメモしかない。たぶん「ふーん..」という味だったのではないかと思う。当時の値段はドリンク、ポテトで95Rsとある。

今回のホットゴールドマサラ、たぶん日本人向けのカレー味にしてあるのでしょう、これはこれで悪くはありませんでしたが、「ふーん」といった印象。悪くはないが、特別うまいといったものでもない。インドっぽいカリー味だが、インドのカリー味とは違う..それはいいんですけど、インドのマハラジャマックってかりー味でしたっけ? (今はそうなのかも知れませんが)そのことが思い出せなくて、つい投稿をしてしまった。

ラダック・レー

7回目のインドはラダックのレーか..(2000年かな)

ラダックとは峠のむこうという意味らしい。インド北部、中国との国境に近く、近くには(当時)紛争が度々起こっていたシュリーナガルがあるという軍事的に微妙な地域。ヒマラヤ山脈にあり、陸路は(一般的には)シュリーナガルから入るしかなく、冬は雪に閉ざされる。小さな飛行機が飛んでいるが、予約は取りにくく、また山岳気象のためフライトキャンセルや着陸不能も多いというところです。閉ざされた環境にあり、本国チベットでは失われつつあるチベット仏教が残っている地域でもあります。ここを知ってから、本当に行きたかったんです。

日本からデリー、レーと全ての航空券を手配していきました。ガンディー空港で夜を明かし、まだ暗いうちに国内線へ移動。そこでチェックインしようとすると、キャンセルされているって!? 「行きたいんだ、なんとかして。誰に頼めばいいの?」とお願いする私に、最後にもう一度来いって。空いてれば乗せてくれるということでしょう。そんなやりとりがあって、なんとか最後に乗せて頂けました。
飛行機は50人(?)乗りくらいの小さな飛行機で、窓からはまだ雪が残るヒマラヤの山々や、氷河(?)が見えました。面白いのは山の高さに応じて飛行機が上下したこと。最後に山を回り込むようにして、猫の額のような小さな滑走路に着陸しました。荷物と別にチェックインし、滑走路に下ろされたカバンを取りに行かされます。そして再度チェックがありました。

最初は行きたいゴンパ(仏教寺)があり、メインストリートから少し離れたゲストハウスに泊まりました。ここは高山病が怖かったので、初日は何もせず横になっていました。夜になるとお湯を持ってきてくれたりして、悪い宿ではなかったのですが、やはり何かと不便で、翌日にはメインストリートに近い YAK Tail G.H に移った。ここのオヤジがまた面白い人で、人の顔を見ると「Good? Slowly,Slowly」って。何回言われたことか。

2日目は帰りの便のリコンファームと、翌日からのタクシーの手配をし、近場のゴンパ(スピトック、サンカル・ゴンパ)を回り、その後宿に入りました。

翌朝、来ました軽い高山病。何となく寝不足の時みたい。寝つきが悪く、息切れがし、頭が少し重い。食欲も少しない。あくびとなぜか屁がよく出た。どうしようかと思いましたが、タクシーはチャーターしてあるし、無理をしなければいいだろう。最悪、タクシーに乗ったまま回って帰ってこようと思い、周辺地域のゴンパ周りに行きました。

TATA製の4WD車に運転手と私一人。NHKのシルクロードの世界。途中地元の人を乗せたりしましたが、何かくれとか言われることもなく、異世界にいることを十分に感じました。

シェー、ティクセ、へミス・ゴンパと回った(約7時間;950Rs)。ヘミスゴンパは昼前の勧業の時間に訪れたようで、五体投地をしていたら僧に誘われて末席に座らせていただけた。チベット仏教の経典にラッパや鐘の音に包まれ、気分は最高。炊事場では作っていたグルグル(バター茶)を頂いた。塩ラーメンのようだった。
昼前には頭痛が収まったが、早めに宿に戻って眠った。

翌日はレキール、アルチ、ラマユル・ゴンパへ(約10時間;2640Rs)。インダス川の風景や仏像は興味深かったが、へミスのようなサプライズはなく、ただ回ったという感じです。

レーでの食事はチベタンなので、トゥクパ(うどん?)、チョーメン(焼きそば)、モモ(肉まん)と食べるのには問題ありません。地方へ行くとマメのカリーとかになります。味は悪くなかったです。

最終日、よりによって雲が出た。飛行機はとんだものの、来た時よりも高いところを飛んでいるようで、山脈の眺望は望めませんでした。チェックインはこれまた独自で、荷物を預けてチェックインすると、荷物を取りに行かせて持ち物検査。カメラのバッテリーやペンも取られていました。


デリーでの宿はいつものVIVEK。コンノートプレースで若いカップルを見つけて「どの映画がいいか」と聞き『Chal Mere Bhai』を教えてもらって、翌日行ってきました。

 今まで名古屋テレビ製作『ガンジス川でバタフライ』を嫁と見ていた(見ていました?)。
何年か前に、同じ名古屋テレビ製作で『深夜特急』を作っていたし、名古屋テレビってこんな番組作るの好きなのかな。

 今回はコルカタ(旧カルカッタ)からブッダガヤ、バラナシを舞台に作製していましたが、まぁインドはあんなところですね。喧騒と混沌、安寧..いつまでも変わらないでほしいし、BRICSと言われても、変わらないような気がする。でも、デリーなんかはずいぶん変わり、久しぶりに帰ったインド人でさえ驚くほどだとは聞くけど..
 
 バラナシは2回行った、1回目は初めてのインドで体を壊していた。中堅のホテル.ドゥ.パリに泊まった。2回目はずいぶんインドに慣れてから、番組同様ブッダガヤからバラナシに入った。宿は夜に着いたのでガンガー周辺に行く気がしなくて少しガンガーから離れたところにとった。たしかフジゲストハウスだったと思う。広くて、静かで、ゆっくり寝れる宿だった。熱くて疲れるインドの旅なのでその意味ではいい宿だった。インドのリキシャーは安いので別に川沿いに宿を取らなくても大丈夫。2回ともガンガー周辺を迷いながら歩き回った。番組で見られる町の光景は懐かしいもので、まさにあんな感じで路地を歩いて(迷って?)いた。ガンガーには私は足をつけたくらいで沐浴はしていない。荷物を持っていたこともあるが、水は汚く、川底はぬるぬる(すべる)として危ない。眺めているだけでもガンガーはとうとうとして流れ、存在感がある。

 インドでは手でカリーを食べるとお思いかもしれませんが、今時どこに行ってもスプーンぐらいはあります。実際地方も回りましたが、手で食べた記憶は2回ぐらいしかありません。私は現地の人間が食べているような小さな食堂にも好んで行きますが、みんな実に多様な食べ方(もちろん右手だけで食べている人もいます)していますよ。

 懐かしさと共に、インドへの思いが再燃した。嫁にバラナシに行ってみたいか聞いてみた、彼女は笑いながら躊躇していた。私も嫁や子供達を連れてあそこに行く自信はない。でも(最近ストレスがたまっているので)自分を見直しに、もう一度インドに一人旅に出たい、あの混沌に紛れたい..そんな気がした。
 

 久々に..6回目のインドは、ゴアのアンジュナビーチへ。何でここに行ったのかは、記憶が薄れてしまいましたが..思い出した。本当はハンピへ行くつもりだったのですが、ムンバイからパナジへの夜行バスが予定以上に時間がかかってしまい、うんざりして、また明日1日バスに乗るのが嫌で、ビーチに向かったんだ。寝台バスといっても、狭い空間に押し込められていることには違いはなく、結構つらい。

 ムンバイからは当時夜行バスしかなく、事故渋滞かなんかあって20時間以上かかった。今はムンバイから、ゴアへ鉄道が通っているはずなのでそちらの方が多分楽。
 
 どっちにしても、今夜はパナジかオールドゴアで一泊となるので、とりあえずオールドゴアに行き、パナジ教会や、ボブジェス教会を見て回った。パナジ教会では教会の人が中に入れてくれた。華美ではなく、質素でもないけれど、日本の教会にはない重厚感みたいなものが感じられとても良かった。ボブジェズ教会は外観の重厚さに比べて、中は観光地みたいな雰囲気になってしまっていて、あれでは聖ザビエルがかわいそうな気がした(聖ザビエルの遺体が安置してある教会なんです)。その夜は、教会近くのツーリストホテルに泊まった。

 翌日、ス.カセドラルへ10時頃行くと、ミサが始まり、教会の人が観光客に出て行くように促しはじめた。私はクリスチャンではないが、日本で敬虔なクリスチャンの友人もいて、お参りの仕方等も大体知っていたので、クリスチャンの振りをして参列していたら、クリスチャンの旅行者と思われたのか、出て行けといわれずに済んだ。おかげで貴重な経験(ポルトガル語のミサ)ができた。基本的には日本と同じでした。その後お布施の籠もしっかり回ってきましたが。
 
 私は宗教に関して、インドでは結構いいおもいをしていると思います。チベット寺院でも僧侶の隣に列席させていただけたし、ガイドブックに異教徒が入れないと書かれている寺院にも入っている。

 その後、やはりアンジュナビーチに向かいました。バスを降りた最初の印象は、もうすごく懐かしくて..来た事ないですよ..遠い記憶の、夏の思い出みたいな..子供の頃の、夏の浜辺のイメージにピッタリで..時期外れもあって、旅行者も少なそうで、静かなビーチでした。ビーチに近いところに宿を見つけた。1泊100Rs(350円)ぐらいだったと思う。夜は浜風が入るかと思ったが、風などまったくなく、暑かった。

 そこでは時計を着けない事にした。往年のヒッピービーチ、ここには何でもあった。日中は浜辺の茶屋に入り浸った。並んでいるビールを片端から順番に飲んだ。インド洋を眺め、ビールを飲みながら持って行った『印哲』の本を読んだ、それぐらいしかやることがなかったが、満ち足りていた。そこで2人の日本人と知り合いになった。一人は私より年上の往年のヒッピーさん。彼はこれからケニアに行く途中で、ちょっとアンジュナに寄ったと言っていた。もう一人は20歳ぐらいの関西系の男の子。すごく人懐こい子でしたが、彼はここに葉っぱをやりに来ていた。もちろんインドでも違法で、良いことではないが、ヒッピーさんが言うには、葉っぱは正しく扱えばそれほど危険はないとのことで、ジャンキー君に経験談も交え、あれこれ注意をしていた。 私? タバコも吸えないのに、葉っぱが吸える訳がない。
 夜になると、日本人の姿がちょこちょこ見られた。ヒッピーさん曰く「外人はこの時期ここにはいない。いるのは日本人ぐらい。夕方になると日本人が出てくるでしょ、彼らはみんな、昼間は宿で葉っぱ吸って寝ている」とのこと。唖然..ふざけた日本人の多いこと。

 日中に茶屋でジャンキー君と一緒になった。私ら3人は別の宿屋に泊まっていて、どこに泊まっているのか知らない。ジャンキー君は食欲がないと言っていたので、私は帰りのバスチケットを買いに行ったついでにパイナップルを1個買って(35Rs/123円ぐらい)きて、二人で食べた。とてもみずみずしく、おいしくって、二人でむさぼりついた。日中は茶屋で過ごし、夜は3人で食堂で過ごした。こんな毎日で4日が過ぎた。アンジュナビーチ..何かあったわけではありませんが楽しかったです。名前もアドレスも交換していませんが、ヒッピーさんとジャンキー君どうしているかなぁ..

 帰り、ムンバイの宿で日本人女性が受付でなにやら話していた。とらぶっている様子、私から声を掛けた。彼女はヒンズー映画ファンで、ヒンズー映画を見たくてインドに着たが、騙されてしまい、怖くなってしまった。明日の夜の飛行機で帰国するが、その前に見たい映画がある。明日暇なら一緒に行きませんかとのことだった。私も高校〜大学の頃は年間6〜70本映画を見に行っていた映画ファン。面白そうなので一緒に行くことにした。映画はシャールク・カーンとカジョールの『KUCH KUCH HOTA HAI(SOMETHING SOMETHING IS HAPPENだそうです)』ヒンズー語の英語字幕。これがとんでもなく面白くって、私もヒンズー映画にはまりました。以後、最終日には必ずボリウッドの映画を見にいくようになりました。

 映画の話はまたの機会に。


 最後に、皆様良いお年をお迎えください。

 ムンバイから、たしかドバイ行きの国際線でトリバンドラムへ。もう眠くて、眠くて..空の上で朝日を見たことぐらいしか覚えていません。トリバンドラムの空港では、入国審査はムンバイで終えているので、インド人に混じってゲートを通過。そのままエアインディアのブースに行って「リコンファーム」のできるところを聞きました。すると「来い」って..空港内部のエアインディアのオフィスに連れて行ってもらい、その場で帰りのリコンファームしてもらいました。電話でもできるのですが、たまに事務所に来いと言われる事があると聞いていたし。行ってその場でやってもらわないと当てにならないので、私は必ず着いたらすぐにオフィスに行ってリコンファームしているのです。

 その後タクシーでバススタンドへ、バスでアレッピに向かいました。南部はバス網が充実し、その上北より多少乗り心地もいい。南部の移動はバスが快適です。アレッピは水郷地帯の玄関口。水郷地帯といっても川なのか、入り江なのか解らないような地形で規模も大きく、船旅には最高です。翌日のチケットを取りその日は、川沿いの宿に一泊しました(暑くて寝られなかった)。夕食は宿が併設している食堂でチキンカりーを..これが辛いのなんのって、たぶん過剰サービス心でチリをたくさん入れたのだと思う。ぜんぜん食べられず、外に出てちゃいを飲みました。このおやじが気のいいやつで、翌朝も朝食をとろうと外に出たところをつかまり、私が朝食だと言うのに、「ノープロブレム」と言って座らせ、道の向こうにいたおやじに大声で何か話したと思うと、そいつはあわててガスに火をつけ、バナナを縦にスライスし揚げたものを一皿持ってきました。なんか笑えてきちゃって..ちょうどいい朝食となりました。

 クイロンへの観光船には、私の他には外国人の女性が5人いただけでした。最初みんなデッキや屋根の上に乗って景色を楽しんでいましたが、暑く、代わり映えしない景色のせいか、一時間もすると彼女らは船内に入っていってしまいました。私は飽きることなく、屋根の上に一日中寝っころがっていました。船はいりくんだ水路を進み、途中3回村で休憩を取り、食事を取りました。船上は非常に暑いので、長袖を着て、水分を取らないと脱水症状になってしまいます。この船旅は想像以上にすばらしいもので、機会があればもう一度乗りたいと思います。クイロンには日が沈む頃到着しました。
 
 クイロンでは日が沈み、わからないので本に出ている宿屋に行き、ACルームを取り(さすがに寝ないと死にそうだった)、食事に外に出ました。船で一緒だった子達もみんなここに来ていました。宿にはツーリスト用のレストランが併設されていましたが、私は外に出て、しかも通りから一本中に入った路地に2〜3軒の食堂を見つけました。その中で人が出たり入ったりしている店に決め、入っていきました。壁には丸文字(記号?)が書かれ、何が書いてあるのかわかりません。前回同様「ハングリ」とだけいいました。するとまた色々持ってきてくれ「グッド?」って。安く、美味しいものを食べるにはこれに限ります。こんな食堂なら10Rs(1Rs=3.5円)ぐらいで食べられるのですから。

 翌日は列車でカニャクマリ(コモリン岬/南端)へ。ローカル線なので座席の等級もなく、現地人に混じっての移動でした。カニャクマリは観光地でした。しかもインド人がいっぱいいます。翌朝、日の出前、扉をがんがん叩かれて目を覚ました。日の出を見るために館内中叩いて回っているのです。「おいおい..」と思いながらも、岬の寺院まで日の出とやらを見に行きました。すると、どこにいたのというぐらいのインド人でごった返していました。日の出は..まぁ海辺の日の出ですから、皆さんの想像通りのもので...それより今回の旅は夜がまともに寝れなくて、疲れていたので昼前にはトリバンドラムに向かうバスに乗り込みました。

 トリバンドラムでは久しぶりにコーヒーを飲み(南部はコーヒーがあるので)、宿街へ。昼寝をするために安いACルームを探して数件あたりました。その中で1件安いACルームを見つけ、部屋を見せてもらっても悪くなかったのでそこに決め、夕方まで昼寝をしました。夕方少し町を歩き、食事をして部屋に戻り、8時ぐらいから停電となりました。すると近くの宿からは自家発電機の音とともに灯りが..ここはまっくら..安いのには訳があったのです。確かにそう(自家発電機の有無を聞くよう)聞いていました。もうあきらめて寝ました。

 翌朝はまた朝一番の飛行機に乗るため、まだ暗いうちに宿を出ました。でもこんな時間にタクシーなど捕まるのでしょうか?? どうしようと思いながらも門から出て行こうとしたら、宿の人が出てきて、タクシーを捕まえてくれました。こうして無事空港に戻り、ムンバイへと戻ってきました。

 ムンバイは月曜日で渡船場まで行きましたがエレファンタ島(世界遺産)の壁画が休みで、他に行くとこもなく、少し歩いたあと、セントール・ジュホービーチホテルに向かいました。ホテルでの食事は驚くほどに高かった..

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