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小説「光の道」 第24回 議員の当選回数と出世階段
六本木ヒルズ四十三階にある、竹村大臣の個人事務所。どうしても官僚が同席する総務省大臣室と異なり、早瀬と秘書官、竹村の個人秘書、名倉の四人だけがいる。竹村はビール、早瀬はいつものマッカランで、一過春のひと時を楽しんでいる。
吉兆からケータリングでとりよせた料理のなかには、白魚があった。
「白魚は、『白小』と言われます。杜甫に『白小 群分の命、天然二寸の魚』という詩があります。白魚の群れ、種族に与えられた天命として二寸ほどの小さな魚だというものです。まさにはかなげですね」
竹村は、早瀬が持つ漢詩の教養を好んでいた。竹村が、経済学者から、小森内閣の閣僚になったとき、理想としたのは大恐慌に対する処方箋を書き、経済政策をリードしたジョン・メイナード・ケインズだった。ケインズが生まれたハーベイロート六丁目は、知識人が集まる場所として知られる。
一般民衆に比べて、より深く、より正確な判断力をもつ知的エリートの集団によって政策が立案されるべきというのが竹村の理想であった。ケインズが教養人の集まるサロンでの会話をもとに、政策を展開していったように、自分も知的な会話を楽しみながら政策を実行したいと思っていたのだ。
しかし、実際の政治の世界は嫉妬と怨念の世界であった。
「そうですね、ここにいる四人の天命も、営々と築かれた巨大な旧勢力から見ると、白魚のように二寸ぐらいに見えるかもしれませんね」
竹村と早瀬の思いは、最終的には、JT法を廃止して、JTを構造分離すべきという方向性で完全に一致していた。
しかし、竹村と早瀬の前には「政策決定過程」という学者の世界だけでは理解できない現実が横たわっていた。
法律の改正は、総務大臣である竹村でも一存では決められない。決定するのは憲法四十一条にいう唯一の立法機関、国会である。さらには、国会で過半数を占める与党民自党との調整をクリアできないかぎり、JTの大改革は断行できないのだ。
「どんないい政策であっても、民主主義のプロセスというものを踏まなければ、実現できない。私も学者のころは、それを知らずしてよく政府批判をしていた。だが、実際に大臣として政治に参加してみると、経済学の教科書で教えられている内容に比べて現実の経済は、はるかに複雑であることがわかった」
「それは、経済学は役に立たないということでしょうか」
大学で公共政策を教えている早瀬が、学問の世界での先輩である竹村に素直に聞いた。
「経済学だけでは十分でないことも事実です。経済学は役に立ちますが、経済学を役にたたせるための別の知識、すなわち政治、行政、法律など政策に関する多様な知識がまた同時に必要だということです。経済政策を含めてすべての政策は、民主主義のプロセスを経なければ、決定できません。つまり、政治的な実現可能性を念頭に入れながら、この未来懇談会のシナリオも書かなければいけないのです。民自党の政策決定過程を御存知ですか」
「はい、大体は。最初に、政策調査会所属の総務部門会議ですよね」
「ええ、各部門会議はだいたい、朝食を食べながらの会なのですが、あれはひどい。大臣が、族議員からの罵倒にたえるための会です」
竹村が思い出すのもおぞましいとばかりに、ビールを口にした。
部門会議は「部会」と呼ばれ、各省庁に対応して設置されている。たとえば、外務省には外務部会、経済産業省には経済産業部会という具合である。
国会議員に当選すると、一回生と呼ばれ、まずは朝、部会に出て各省庁からの政策説明を聞くことから始まる。小森首相は、若い時、熱心に部会に出ていたことで有名である。
当選二回目になると、各委員会の運営を行う理事や、大臣、副大臣を支える政務官になる。そして、当選三回ぐらいで部会長になる。
たとえば、一回生で経済産業会委員となり、二回生で経済産業委員会理事、経済産業省政務官、三回生で経済産業部会長となってゆくのが「商工族」へのエリートコースである。
ここまでくると、経済産業省所管の電力業界、鉄鋼業界、自動車業界などとのつながり、いわゆる「癒着」がしっかりできるのである。
だが、誰もが政治資金が豊富に入る商工族や、厚生労働族、建設族になれるわけではない。先輩の族議員が、「あいつは使える」と目をつけなくてはいけないわけである。
したがって、一回生のころは、部会に出て、ガンガンと業界利益を主張して目立つのが仕事となる。業界団体も心得たものであある。懇意な族議員事務所秘書の肩書で部会に出席し、しっかりメモをとり、業界団体本部に報告する仕組みになっている。これは、俗に「エンマ帳」とよばれる。
「総務省を担当する総務部会の族議員はすごいですか」
「総務省は自治省と、総務庁と郵政省が一緒になった官庁です。自治省は、地方交付税交付金がありますが、族議員というのは少ないです。総務庁も行政管理ですから少ない。すごいのは郵政省。郵政民営化のときなど、私は何度もつるし上げられました。部会というのは、国会議員ならだれでも出席できます。しかも、非公開ですから、本音をむき出してぶつけてくるし、ヤクザまがいの恫喝もする。あれをオープンにするだけで、日本の政治の品格も少しは上がると思います」
部会は、報道関係者はシャットアウトして非公開で行われる。非公開だから、業界寄りの意見も、選挙区の利害を主張するのも平気となる。
記者たちは部屋の入口までついてきて、会議の内容を壁に耳をあて、聞こうとする。これを「壁耳」と言うのだが、そんなことをしなくても大きな怒鳴り声が聞えてくることがほとんどだ。政治家たちにとって、格好のアピールの場だからだ。
「それが、終わって今度はうるさ方の『総務』が集まる総務会ですか。これが民自党の党大会に代わる最高意思決定機関だそうですね。しかも、全会一致でないと、閣議にあげられない。総務一人、一人が拒否権をもっているようなものですね。ここにJTの息がかかった総務は何人かいるのでしょうね」
JTと民自党とのつながりは極めて強固である。管理職のほとんどは自発的に(?)民自党員になっているし、これまた自発的に政治献金をしている。
JT労働組合は、野党民生党を支持しているが、管理職は民自党支持。JTの下請である工事会社は、民自党議員の事務所にスタッフをボランティアとして出す。選挙につきものの電話作戦はJTにとって、最もお手のものであり、多くのOBや奥さんがあくまでボランティア(?)で参加する。
金と票で支援してくれたお返しとして、政治家たちはJTよりの政策を主張するという構図である。
また、JT経営企画部は大臣経験者を座長にして勉強会なるものを多く立ち上げて、支援する。だいたいが「情報通信○○会」と称され、メンバーはJT傘下の子会社役員などである。この勉強会が主体となって、パーティ券などをさばいたりするのだ。
政治家になったものはだれでも、総理大臣になりたいと思う。そのステップとして、大臣を一度経験すると、自分の派閥を持ちたいと思う。それには子分を養うカネがいる。それをJTが応援してくれるのだからありがたいかぎりだ。
そして、実力者になると党の幹部である「総務」に就任するのだが、そのころにはJTとの完全癒着が完成している。
「総務会は、内閣が国会に提出する議案すべてに対して閣議決定前に事前承認することになっています。しかも、決議は全会一致が原則とされていました。ただ、これは法律事項ではなく、昭和三〇年代に、当時の総務会長が官房長官に申し入れたことが慣習になっているだけです。総務一人一人が、拒否権を持っているようでは、郵政民営化法案はとおりませんでした。それで、小森首相は総務会による事前審査なしで郵政民営化法案を閣議決定したのです」
早瀬が、マッカランのグラスを手に持ったまま聞いた。
「では、今度もその手で」
「いや、小森首相は郵政民営化で燃え尽きた感じです。首相の強力な後ろ盾のない我々の運命は、この『白小』、白魚のようにはかないものです」
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