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小説「光の道」 第29回 政策より政局
六月に入った。旧暦では六月は日本の歴史の転換点が二つ起きている。
第一は本能寺の変。天正十(一五八二)年六月二日、まだ明けやらぬとき、明智桔梗の旗が本能寺を取り囲んだ。織田信長は、相手が明智光秀としるととても逃げ切れぬと観念したと伝えられている。光秀の力は十分に評価していたのだ。
もう一つは、黒船来航。嘉永六(一八五三)年六月三日、ペリーがアメリカ東インド艦隊を率いて浦賀に入る。黒船の来航である。
早瀬は、未来懇談会の報告書を六月にまとめあげ、情報通信業界の維新を拓く「黒船」にしようと思っていた。JTを機能分離から、構造分離、さらには資本分離でバラバラにしようというのだから、JT江戸幕府を倒し、維新をおこすようなものだった。
二日、金曜日。早瀬は幕末の漢詩人、梁川星厳の「一道の砲声雷天を震わす。邦家 これより事騒然たらん」を口にしながら、自らパソコンをたたき、五日(月)開催予定の第一二回会合に提出する報告書骨子案を作っていた。
「今日中に仕上げて、まずは竹村さんに送り確認ができるのが、明日午前中かな。委員に送るのが土曜日午後だが、それで十分だな。通信業界は、これで騒然となる」
結婚が遅く、一人住まいが長かったせいか、独り言で自分に言い聞かせるのが癖になっている。やることを忘れないように、留守電に吹き込み、後でメモ代わりに聞くというのも習慣である。
携帯電話は、一般公開用と、竹村などVIPだけに番号を教えてあるものと二つ持っている。仕事をするときは、一般公開用は切ってある。電話で遮られると生産性が下がるからだ。
最後の仕上げをしようと思ったところに、携帯電話がなった。発信元をみると竹村である。応答ボタンを押し、電話にでる。
「もしもし、今、報告書案骨子案をお送りしようと思っていたところです。明日午前中に御確認いただけますか。確認次第、メールで各委員に送ろうと思います」
「そのことなのですが、先程、幹事長から電話がありました。『未来懇談会から報告が全く何もない。報道ではJT分離など勇ましいことを言っているらしいが情報通信調査会は何も聞いていない』ということで、来週水曜日の調査会に私が出席して説明することになりました」
「幹事長から直接ですか」
「いえ、直接には側近の須賀副大臣を通してですけどね。飯田情報通信調査会長は、誰もが認めるJT族ですから、また吊るしあげられるでしょう」
飯田源次郎、衆議院議員当選六回。当選五回が大臣適齢期であるが、当選四回の総務副大臣当時、あまりにJT族としての言動が多く、バランス感覚を欠くとして大臣になかなかなれないでいる。
族議員として力をつけるのが第一ステップだが、大臣になるにはそこから業界を超えて、全国レベルのことを考える政治家になる必要がある。というよりも、実際にそうでなくても「業界を超えて日本のことを考えている」と見られることが重要なのだ。残念ながら、飯田はこのイメージチェンジに失敗していた。当選五回で大臣になれないと、地元での評価も厳しくなる。実際、六回目の選挙では、民自党圧勝の中で、民生党の候補者に八千票差まで迫られるという苦戦を強いられた。
選挙での苦労が、飯田を益々JT寄りにしている。頼りになるのは目に見えない浮動票でなく、しっかり読めるJT票というわけだ。
「飯田さんには、何度も説明のために時間をとってもらえるようにアポの申し入れをしているのですけどね。なかなか返事がもらえなかったのです」
「聞いていないというのは、政治家が文句を言う時の常套です。それよりも面倒なのは、後ろにいるのが片岡らしいことです。須賀さんが言うには、小森首相退陣、後継を幹事長にということまでうすうす感づいているらしい」
政治家は政策ではあまり動かないが、政局になると生き生きとしてくる。JT分離が政局がらみだとなって、片岡やその後ろにいる旧金田派である橋中派が未来懇談会を潰せと勢いづいているというのが竹村の話であった。
「では、一二日の懇談会はどうしましょう」
「残念ながら、私が情報通信調査会で火だるまになるまで、慎重にせざるをえないでしょう。郵政民営化の時と違って、小森首相の力は落ちている。幹事長もまだ首相ではないのだから、橋中派にも目配りせざるを得ない。敵は与党の中にいるのですよ」
竹村の声に力がなかった。
「報告書骨子案はJT組織問題をトーンダウンして書きますか」
「そうして下さい。JTの猛烈な巻き返しで、民自党は完全にJTの意向に沿った動きをしています。やはり、政治家を動かすのは票と金のようです。それではお願いします」
JTの底力はすごいと思わざるを得なかった。「玉石混交ともに砕く」という織田信長の手法が好きな小森首相も、下手をすると橋中派の協力が得られず、幹事長を後継にという構想が水泡に帰すと思っているのだろう。
気をとりなおして、早瀬は報告書骨子案を書き直し始めた。
六月五日、未来懇談会第一二回会合。前回まで、JT組織改革の意思を明確に表明していた懇談会の勢いが完全に失速した。
終了後の記者会見で公開した「報告書骨子案」からは、JTの組織問題に関する記述は完全に抜け落ちてしまっていた。
なんとか「健全な競争を阻害すべきことはすべきではない」と書いてあったが、時期を区切っていつまでに変えるべきだという表現はなかった。
早瀬から「まずは早急に機能分離、二〇一〇年までに資本分離」という竹村の腹案を聞かされていた委員の山井教授や、松中理事長はショックを隠せないでいた。
いままで、記者との接触は早瀬の記者会見だけだったが、珍しく二人が取材をうけたのも委員たちの動揺を表していた。
「JTに関する表現が後退してしまった。先行は不透明だ」と松中理事長が語ると、山井は「JTの組織問題を正面から議論することさえ許さないというのでは、日本の情報通信の将来が危うい」と憤然と語った。
時は六月。どこかの球団のように鯉のぼりとともに未来懇談会も終わるという雰囲気が周囲には漂い始めていた。
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