島さとし(嶋聡)の「大風呂敷のススメ」

松下幸之助に学び、ソフトバンク社長室長3000日の後、多摩大学客員教授を務める元衆議院議員「島さとし」のブログです。

小説「光の道」

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小説「光の道」 第32回 報告書「骨抜き」の方程式

  六月十八日月曜日午後一時。「情報通信の未来を考えるシンポジウム」会場となった明治記念館の庭園を長雨が濡らしていた。
 六百名収容できるという一番大きな宴会場「曙」だったが、開始10分前だというのにすでに満席で、立ち見がでる有様だった。

 一二日に行われた第一三回会合で、竹村総務大臣主催の「通信の未来を考える懇談会」は、報告書最終案を発表した。
 
 JTを即座に機能分離。二〇一〇年には持ち株会社の廃止、資本分離を一体として進めることの検討を即座に開始するという大胆な提案だった。つまり、二〇一〇年にJTを解体するというものだ。
 巨人、JTの実質的独占を廃し、情報通信産業が自由に競争できるようにするというもので、まさに情報通信維新への宣言であったといってよい。
 
 そのとりまとめをした座長の早瀬が、基調講演のスピーカーとして登壇するというのだから注目が集まるのも当然であった。

 だが、この種の報告書は、最終調整段階に政治との「調整」という「骨抜き」の作業がある。報告書案がかなり大胆で尖がったものであっても、「調整」でまるめられてしまうのだ。
 報告書案が提出された後、JTの巻き返しはすごかった。
 
 JT持ち株会社の、経営企画部、広報部が一緒になって報告書案の問題点を新聞、週刊誌に書かせた。経営企画部の資料提供でうまく誘導されているのだが、活字になると客観性があるように見える。
 その記事を持った経営企画部の面々が議員会館を走りまわる。票とカネで培った政治力を駆使するのだ。そして、何人かの政治家が早瀬ら委員に聞えていくように記者コメントを言う。

 「あんなのは学者の作文。現実を見ていない。決めるのは政治であることを忘れてもらっては困る。何様だと思っているのだ」
 記者たちも心得ていて、取材のような顔をして、委員のところへ行き、コメントを伝える。
「先生、お気をつけになったほうがいいですよ。○○元大臣が、こんなことを言っています」

  普通の審議会の委員などはこれで震えあがる。人を動かすのは「愛」と「恐怖」だが、政治家は威嚇するために発言するのだ。

 委員たちは実力政治家のもとにはせ参じ、どこが悪いのか聞きまわり、指摘されたところを修正してしまう。これが大胆だった「最終報告書案」が骨抜きにされた「最終報告書」になる「骨抜きの方程式」である。

 集まった業界関係者や、記者たちの関心事は、本日五時から開催される第一四回最終会合で決まる最終報告書」がどこまで「骨抜き」になっているかであった。

 講師席に座った早瀬は明治記念館庭園の梅の実が黄色くなっているのを見ていた。北宋、梅堯臣の梅雨の漢詩が頭に浮かんだ。
 「黄梅肥り、終朝、密雨こまやかなり。丘を背にして濡れし牛は去(ゆ)き、虫を銜(くわ)えて湿れる燕は帰る」
(参加している人たちは、何か情報を銜えて帰らなくてはならないのだろう。だが、まだ言えないな)

 早瀬の基調講演が始まる。
「当初、このシンポジウムの基調講演をお受けしたときは今頃には報告書がまとまっており、もっと気楽に話せるつもりだったのですが・・」
 
 会場から失笑が漏れた。未来懇談会はJTの仕掛けによる政治からの圧力で迷走しきっているのを皆知っているのだ。
 会場に、ライブテレコム渉外部の武田の姿が見えた。渉外部のメンバーが座っているその一角は笑っていない。報告書がJT組織解体を貫けるかどうか固唾をのんで見守っているのだ。
 
 妻の趣味である茶道で同じ社中である武田の姿を見ると、少し本当のことを言ってあげなければ可哀そうかなと思った早瀬は自分の本音を語り始めた。

 「座長として残念に思いますのは、小森内閣の任期が九月までということです。郵政民営化懇談会のように、以前の懇談会なら総理から法律をつくれと言えばよかったのですが、今回はそういうわけにはいきません」
 
 五月からの一カ月で、小森総理が次の総裁選にでないというのは「極秘」から「衆知の事実」になっていた。片岡元総務大臣らの情報工作、リークによるものである。
 苦しい胸の内を率直に語った早瀬の発言だったが、会場は「やはりそうか」という雰囲気につつまれ、緊張感はなくなった。
 
 これ以後、早瀬の最終報告書案の説明を熱心に聴く人はほとんどいなくなった。どうせ骨抜きにされる「案」を聴く必要はないからだ。ただ、武田と松沢課長らのライブテレコム渉外部の一角だけは食い入るように早瀬の話を聞き、メモをとっていた。
 早瀬の基調講演が終わり、司会者が質問を促してもだれも手を挙げなかった。ほとんどが興味を失ったからだ。

「それでは、質問もないようですので、これで基調講演を終わらせて頂きます。早瀬先生は皆さんご存じのとおり、五時からの未来懇談会ご出席のため、退席されます。みなさん、拍手でお送りください。なお、第二部のパネルディスカッション会場準備のためしばらく休憩といたします」

 早瀬が、プレゼンに使ったパソコンを小脇に抱え、会場を出ようとすると呼びとめられた。
「早瀬先生」
 武田と松沢であった。
「今、松沢さんから聞いたのですが、与党民自党の調整が進んでいないので、報告書案は変わってしまうのと皆思っているのだそうです。与党との調整はすすんでいるのですか」
 武田が事情をよく知らない若さと、怖いもの知らずの性格もあってずばりと聞いた。

 「最初は与党案とあまり差が出ない形でまとめようと思っていました。今日の五時から最後の懇談会が開催されますが、そこには竹村大臣も出席されます。普通は『座長一任』という形をとって、その後、調整にはいるのですが、今回はその形をとりません。だから、どうなるかは本当にわからない」

 「そうですか・・。ともあれ、本日が最終ですね。今度また、奥さまと一緒にお茶会においで下さい」
「そうだね、武田さんのお手前で一服いただくのを楽しみにしているよ」
 そろそろ、政治にかかわる仕事からは手を引き学問と文化の世界に戻るものいいかもしれないと早瀬は思った。

 

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