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小説「光の道」 第37回 二〇一〇年JT解体の布石・・人生意気に感ず
「いやあ、竹村大臣、早瀬先生、本当にお疲れ様でした。しばらくは、まずゆっくり休んで下さい」
ライブテレコムの宋社長が童顔に笑みをたたえ、ワイングラスを高く上げた。
小森首相が退陣、朝香内閣スタートともに竹村が総務大臣を九月に退いてから二カ月がたった十一月十一日。早瀬は竹村とともに、ライブテレコム本社最上階にある、宋個人の貴賓室に招かれていた。
宮大工を京都から招いて和風に内装を施した貴賓室には、茶室もあり、近代的なビルの中とは思えない。窓からは虹色にライトアップされたレインボーブリッジが見えた。
ライブテレコム渉外の武田から「お茶会に一緒に」と誘われたので、承諾したところ宋が竹村前大臣とともに、先生を招待したいと言っていると連絡がきた。
未来懇談会、座長を辞めたばかりなので最初躊躇したが、「貴賓室は会社とは別会計で、宋個人が出しているから家に招くと同じ。お茶室もありますし、幹部しか入れないところに私も同席できるからぜひ来てほしい」と言われ、やってきたのだった。
最初に出されたのは、生のフォワグラのソテーだった。フォワグラの上に、トリュフがのせてあり香りを放っていた。
「私どもの武田から、早瀬先生は、大変なグルメと聞いております。なんでも、会食でもコース料理は好まれないとか。本日の、トリュフはフランスのベリゴールからとりよせました。お口に合うかどうか」
さすがに、フォーチュンが発表する世界の資産家常連である宋社長個人の料理人の出す一品である。フォワグラ・フィレとトリュフの組み合わせは珍しいものではないが、トリュフが素晴らしいから一味も二味も違う美味しさだった。
「ありがとうございます。漫画の『美味しんぼ』ではありませんが、こってりとコクのあるフォワグラの味をトリュフが引き立てていて、至福の味ですね」
「そう言って頂くと、料理人も喜ぶでしょう。本日は、いいトリュフが手に入りましたので、トリュフをつかった料理をいくつか出させて頂きます」
早瀬がトリュフを好みながらも「日本では保存が悪く美味しいものがない」と話していたのを武田から聞いたのだろう。わざわざフランス、しかも本場ベリゴールからから取り寄せてくれた心使いが嬉しかった。
「ところで、竹村大臣、出処進退お見事でした。『進むときは人任せ。退く時は自分で決める』という越後の河井継之助の言葉の実践のようでしたね」
「ありがとうございます。でも、私は大臣をお引き受けした時点から、小森内閣が終わると同時に公職の仕事は終わるとずっと考えていました。実は、〇六年の年始に小森さんに官邸でお会いした時、『お正月なので個人的な話をさせてください』と九月の内閣交代とともに学問の世界に戻る意思を伝えました。小森さんは一言、『わかった』と言って頂きました」
「でも、浅香新総理は、竹村さんに引き続き手伝ってもらいたかったのではないですか」
「まあ、政治家の思いはわかりません。前任者の影響を断ち切りたいとも思いますし、継承したいとも考えますし、複雑です。ただ、朝香総理が側近の須賀前総務副大臣を、官房長官にできなかったのは痛かったでしょうね。官房長官というのは、まさに総理の女房役ですから」
須賀は、組閣直前に選挙区である横浜中華街の知人からの五万円の政治献金が、外国人からの献金を禁じている政治資金規正法上違反というスキャンダルが大きく報道された。五万円という少額ではあったが、違法は違法であった。これが原因で須賀は内閣に入れなかったのだ。
政府与党合意を成立させるために、総務副大臣として汗をかいたのが須賀だった。こんな小さな違反が明らかにされたのは、JT持ち株会社が、須賀を官房長官にさせないために「刺した」のだと噂されたが真偽は定かではない。
須賀官房長官となれば、早瀬の入閣もあると噂されていたが、それも須賀の失脚とともに消えた。
二品目が出た。土瓶蒸しである。中に入っているのは松茸でなく、トリュフであった。野菜と鶏の汁にトリュフの薄切りを加え、蒸し器でじっくりと蒸しあげたものである。
「お二人のご活躍で、JTの組織問題を二千十年に開始することが閣議決定された。これは、日本の情報通信産業にとってたいへんな意味を持ちます。ところが、昨日、JTの依田社長が中間決算発表の場で、政府与党合意について色をなして反論したとか報告が来ています」
宋が質問したのを、トリュフの土瓶蒸しの高貴な風味を楽しんでいた早瀬が引き取って答えた。
「政府与党合意について質問したのは、日読新聞の小宮という記者です。依田は、小宮記者を睨みつけながら、『政府与党合意には二千十年になったら、JTの組織問題を始めるとは書いていないと思います。世界の状況や国内の競争状況を踏まえながら、JTの問題をもう一度見直すということでしょう』と言ったそうです。でも、その小宮記者が言っていましたが、気の早い証券アナリストは、『二千十年には、JTグループをインフラ会社とその上のプラットフォームやサービス会社というレイヤー構造に再々編する議論が始まる』と予測しているそうです。JTがどういっても、もう動き始めています」
インタビューを受けて以来、小宮記者は頻繁に早瀬のところに通っていた。早瀬は、コメントをすぐに出すことを条件に、記者会見メモなどをメールで送ってくれるよう小宮に頼んであるのだ。
「さすが、早瀬先生お詳しいですね。で、これからどう進むと思われますか」
「一つの政策を完成させるには、最低でも二年、できれば三年の時間が必要です。未来懇談会では、非常に深く、幅広い議論ができました。これは竹村大臣に教わったことですが、どんないい政策でも民主主義の政治プロセスを経なければ政策決定にいたりません。だから、与党との合意が必要だったのです」
「そのとおり。竹村大臣が政府与党合意を達成したのは奇跡だと皆、言っています。しかし、奇跡は奇跡的に起きるものではない。竹村大臣と早瀬座長の並々ならぬ信念と粘りがなければこれはできなかった」
宋が再び、グラスを挙げた。
竹村が、それに応えるようにグラスをあげ、一口飲んで話し始めた。
「行政を縛るために、骨太方針が決まった七月から、小森内閣退陣までの二ヶ月間に工程表をまとめました。しかし、私の仕事はこれまでです。残念ながら、総務副大臣として私を支えてくれた須賀さんは官房長官にはなれなかった。それに対し、JT擁護派の片岡さんは参議院会長となり、飯田さんも行革担当大臣で初入閣。あまり政治的地合いはよくないですね」
(そうか、弁慶橋清水での会食の際、浅香官房長官から二人にかかってきた電話で片岡の参議院会長と、飯田の入閣の人事手形を切ったのか。だから、急転直下、政府与党合意ができたのだ)
早瀬は、政治はロジックでなく、本音で動くというのを改めて感じていた。
「二〇一〇年頃、時の政権がどうなっているかにJT問題は大きく左右されます。私がしたことは、通信の未来を拓くために、端緒をつけたにすぎません。後は、早瀬さんたちにがんばってもらいたいと思っています」
竹村が、早瀬の方を見ると宋が、姿勢を質した。
「竹村さん、早瀬先生にあの件はお話しいただいたのでしょうか」
「いや、これは宋社長から直接お話しいただいた方がいいと思いまして、何も話しておりません」
「そうですか、それでは私から申し上げます」
宋が、座布団をはずし早瀬の方を向いた。
「早瀬先生、未来懇談会の委員でもあった山井教授が私どもの社外役員を務めていただいていることは御存じと思います」
「ええ、もちろんです。山井先生は、一社に偏った発言にならないよう、十分気をつけておられました。立派な方です」
「実は、来年六月の株主総会で、山井先生は退任されます。山井先生、竹村大臣をはじめ、多くの方に御相談したところ、早瀬先生をご推薦いただきました。どうか、当社の社外役員をお願いできないでしょうか」
早瀬はとまどった。考えたこともなかったし、未来懇談会座長としてJT解体の報告書をまとめてすぐに、JTのライバル会社の社外役員になるのはどうかという思いもあった。
「いや、すぐにお返事をとは申しません。青臭いと思われるかもしれませんが、私たちは『志』をもってやっております。先生は漢籍に御造詣が深いと聞いていますので管鮑の交わりのことはよくご存じかと思います。山井先生が、早瀬さんを推薦するのは鮑叔が菅仲を推挙したのと同じ思いにおられると思います」
中国、春秋時代の斉。管仲と鮑叔は深い友情で結ばれていた。皮肉なもので、管仲は公子糾に使え、鮑叔は公子小白(後の恒公)につかえ、跡目争いで戦うことになる。
戦いに勝利し、斉の君主となった小白は管仲を殺そうとする。それを聞いた鮑叔が「我が君主が斉のみを統治するならば私で十分です。しかし、天下の覇権を望まれるならば、管仲を宰相として得なければならない」と進言した。
恒公は恒仲を宰相とし、覇者の道を歩んだ。菅仲は「私を生んだのは父母だが、私を知るものは鮑叔だ」と述べたという。
宋は、山井教授が退任し後継に早瀬を推薦したのを、鮑叔が菅仲を推挙したのになぞらえたのである。
早瀬は、多忙を極める宋が好きなトリュフをとりよせ、早瀬が漢籍に詳しいことまで調べて説得していることに、何とも言えない感激を覚えていた。
「ありがたいお申し出です。お受けすべきかどうかは竹村先生にお任せしたいと思います」
早瀬の口から自分でも驚くような言葉がすらりと出た。
宋からの直接の申し出に感激していたのは確かだが、こう言えば、推薦者の竹村も悪い気がしないと計算していた、しかも、今後の仕事はおそらくJT組織問題への対応と容易に予測できる。竹村を推薦人としていくことは、仕事の上でも有利と即座に考えたのだ。
半年にわたる未来懇談会座長の経験で、早瀬もしたたかになっていた。
「早瀬先生、是非お受けすべきです。私は学問の世界から政府に入りましたが、学問の世界から民間企業の経営に参画する人も増えるべきだと思っています。それに、社外役員なら山井教授の例にあるように両立可能です」
早瀬が宋と同じように、座布団をはずし、手をついた。
「お受けいたします。ただ、お願いがあります。私の大きな仕事が、二〇一〇年に向けて、どう対処すべきかだと思います。役員の一期二年では、中途半端になります。二期四年はやらせていただきたい」
日本で、「回転ドア」が進まないのは、首相が代わりすぎるからだといわれる。回転ドアで学会、民間から政府に入ったとしてもアメリカなら、大統領任期四年は仕事に没頭できるし、再選すれば八年は継続できる。その間に実績をつむことはできる。
だが、日本で総理の平均寿命は二年もない。竹村が大臣として実績が残せたのは小森首相が五年近い長期政権だったからだ。
宋が、すかさず握手を求めた。
「これはありがたい。早瀬先生が来ていただいたら、万人力だ。社外役員というより、私の参謀としてぜひお願いいたします。君、何て言ったかな。秘書に言って、すぐに人事部長に来るように連絡を」
同席していた武田が、秘書を呼びにパタパタと出て行った。
早瀬の胸に、唐詩選の冒頭を飾る魏徴の「述懐」が浮かんだ。
「中原また鹿を追い、筆を投じて戎軒を事とす。
縦横の計(はかりごと)は就(な)らざれども
慷慨の志はまだ存せり。
・・・
人生意気に感ず。功名、誰かまた論ぜん」
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