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3月27日、湯河原「不東庵」に細川護熙さんをお尋ねした。
タクシーで「細川さんのところ」というとわかると聞いてはいたが、本当にそうかなと半信半疑で言ってみる。「はい、細川さんのところですね」とタクシーは軽快に走り出した。
わき道に入り、車が止まる。事務所の前に案内の方が待っていてくださった。約束の時間より、20分も早くついてしまったので、それをわびると「いえ、お待ちしておりますのでどうぞ」と案内され、長い小道をあがり、門をくぐる。
私が政治家を志したのは1993年、日本新党を細川さんが立ち上げ、その運動を手伝ったのが始めだった。その後、細川総理がなした政治改革で小選挙区制が導入され、1996年の総選挙で初当選した。その意味で、細川さんは政治家へと導いた導師であるといえる。
民主党が結党されたのを見届け、60歳で政界を引退。湯河原の「不東庵」で晴耕雨読の日を続けておられましたが、今の日本の状況を憂え、東京都知事選挙に挑戦されたのはご存知のとおりである。
玄関で靴を脱いでいたら、細川さん本人が出てこられた。早く着きすぎたので、工房からそのまま出て来られたようだった。庭のよく見える部屋に案内される。テレビなどでよく見る「しだれ桜」はまだ咲いていなかった。
「この桜は毎年、4月中旬に見ごろになります。咲きはじめから散るまで二週間は楽しめます」
「年々歳々、花相似たり。年々歳々、人同じからずですね」
「見ごろになったら、またお越しください」
ソフトバンク社長室長として、8年三千日。孫正義社長を補佐しながら、世界を駆け巡る日々を送ってきたので言葉をゆっくり交わすのは久しぶりであったが、何かとてもくつろげた時間であった。
庭を案内してもらった。
「これは温泉の源泉をひいているんです。ゆったりとした生活をしていたので、東京都知事選に出るとは小泉さんに会うまでは思わなかった・・」
「すばらしい、戦いでした。多くの人に火をつけたと思います。私もその一人ですが・・」
といったら、静かに笑っておられた。
帰途、湯河原の駅では桜が八部咲きであった。年々歳々、花相似たり。しかし、スプリント買収の政府承認のためにワシントンに行っていた昨年とはまた違う心境に私はいる。「年々歳々、人、同じからず」である。
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