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小渕優子経済産業大臣が明治座で2010年、11年と1000人規模以上の観劇ツァーをした。収入はそれぞれ372万円と369万円の合計742万円。支払ったのは3284万円で2600万円近くが補填されている。
選挙区の有権者に安価で観劇をさせたならば、利益供与となり公職選挙法199条違反の可能性が高い。さらに、選挙が近く集票目的であったなら、あきらかに買収となる。2012年の観劇が記載されていなかったのはそれを慮ってのことではないだろうか。
小渕大臣には、道義的責任、監督責任、政治的責任が発生する。「知らない」ですまされるわけがない。
保守政治家の主催するイベントは、似たようなものである。私が議員時代、保守政治家が数十台のバスを仕立て旅行に行っていた。私の事務所もバス旅行を企画したがなかなか参加者が集まらない。車社会で、会社などでもバス旅行は不人気なのになぜバス数十台も人が集まるのか不思議だった。
保守政治家のバス旅行の内容を聞いて驚いた。バスではビールも酒も飲み放題。残った缶ビールはお土産として配られる。現地についたら宴会の料理は豪華。さらに、お土産つきであった。「会費よりずっとお得」というのが参加者を集める秘書たちの「セールストーク」であったそうだ。
小渕優子経済産業大臣が地盤とする群馬県はかつて福田赳夫元、中曽根康弘、小渕恵三と総理になる三人が争った選挙区だった。その選挙戦のはげしさから「上州戦争」と呼ばれた。
当時のこととて、事務所で食事を出すのも野放し状態。それぞれの供応を「福田料亭」「中曽根レストラン」、「小渕飯場」と呼んだ。明治生まれの福田氏は懐石料理を、大正生まれの中曽根氏はしゃれた西洋料理を出して支持者の拡大をはかった。小渕氏はお金がなく、おにぎりくらいしか出せなかったので「飯場」と呼ばれたのだ。
福田料亭、中曽根レストランの時代を今、我々は「そんな時代もあったのか」とあきれてみている。だが、形を変えた供応は今もある。「観劇ツァー」に似た政治家主催の「バス旅行」をはじめ、有権者への「利益供与」イベントを開いているのは小渕大臣だけではない。
政治は「信なくば立たず」である。小渕大臣だけにとどまらず、他に同種の行為がないか政権運営にあたる与党自らが徹底して調べるべきである。そして、「そんな時代もあったのか」とあきれて見られるような政治にすべきであろう。
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意思は、未来時制の文章内容である。だが、恣意 (私意・我がまま・身勝手)には文章が無い。日本語には時制が無いからである。司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調している。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」
人前で腹を割って話すことは難しい。お互いに腹の探り合いをする。痛くもない腹を探られることもある。談合して、お互いに腹をくくって決着する。「日本人は傲慢で偽善的だ。肚 (はら)の中の事を率直に外に出さず、何を考えているかわからないようなのが名誉であり、賢明だとされる。(ヴァリニャーノ・日本要録)」
2014/11/18(火) 午前 9:20 [ nog*t*ra ]
意思のあるところに、方法はある。(Where there's a will, there's a way.)
意思がなければ無為無策でいる。自ら望むことなく、危機に陥る民族に成る。
意思がある人には、加害者意識 (罪の意識)もある。深刻な反省も必要になる。人類の進歩である。贖罪の宗教 (キリスト教)も必要になる。反省することにより、周囲の人の信頼を取り戻すこともできる。
意思が無ければ、罪の意識もない。無心である。無神論者と言うべきか。供養では不十分、過去の過ちの分析不足である。何事も'お互い様だ’という話しか出てこない。反省の意思を示さない人が限りなく恨めしい。被害者意識が募るばかりである。信なくば立たず。
被害者 (現実)意識は小異である。だが、特亜三国人には大同が無い。行き着く先 (非現実) の内容が無いので、建設計画が立てられない。だから、小異を捨てて大同につくという機会は得られない。
2014/11/18(火) 午前 9:21 [ nog*t*ra ]