戦国の雄たちの最後の勝負は長生きできたかどうかで決まるらしい。箱根からの帰りに「小田原北条五代祭り」の開催されている小田原城に行って知ったのだが、北条早雲は八八歳まで生きたのだそうだ。
小田原城を訪れるのは松下政経塾指導塾員(いわば講師のようなもの)をしていたころ以来だから二〇年ぶりである。松下幸之助塾長にはそのころ月に一回お会いしていたが、すでに九〇代であった。
北条早雲が駿河に現れたのは、一四六八年、三六歳のときであった。その後、四四歳まで駿河の国主今川義忠の妻の兄として行動するが、七六年その氏親の死と共に京都へ戻る。四四歳の時である。自らの基盤がなくなったら、そこに残るのではなくさっと撤退して力を蓄えたのであろう。
孫社長から聞いた話である。「日本では負けるときに逃げるのは卑怯という発想がある。これは日本陸軍的発想であり、泥沼にはまる。経営者は撤退する勇気が必要だ」という。早雲も同じような発想を持っていたのだろう。
そして、一四八七年、五五歳の時に再び駿河に戻る。元服した妹の子である竜王丸を擁立し、国主とする。今川氏親である。このときの功で早雲は興国寺城をえる。早雲の第二の人生がはじまる。
このとき早雲56歳。小田原の大森氏親を破り統一したのは早雲六四歳の時であった。
四十五十は洟垂れ小僧。人生勝負は七十、八十をあらためて思い出した。
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長生きして大をなした戦国の雄達は、知恵を働かせ、恥を忍び、困難を我慢して生き延びたからこそ大成出来たのだと思います。つまり、家康です。
2009/5/18(月) 午前 0:36 [ 大好調 ]