島さとし(嶋聡)の「大風呂敷のススメ」

松下幸之助に学び、ソフトバンク社長室長3000日の後、多摩大学客員教授を務める元衆議院議員「島さとし」のブログです。

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 松下幸之助が塾長として政経塾生を選ぶとき、その基準は運と愛嬌であった。ゴールデンウィークの書店に行くと、松下幸之助氏の本が並んでいる。直接、教えを受けた身として「松下幸之助の政治経営学」をこのブログでも少し書いてみたいと思う。

 東洋大学で、政治科学Iの講座を担当している。学校行事の関係や、祝日が入ったりして、まだ二回しか講義していない。ただ、第一回の講義の時に、多くの学生さんが注目したのは、松下政経塾の選考基準は「運」と「愛嬌」であるというものであった。

 愛嬌がなければ、人はよってこないし、人も助けてくれない。だから、愛嬌というのはよくわかるし、面接でわかるだろう。しかし、「運」というのは短い面接で分かるのか。松下幸之助塾長にある新聞記者がきいたところ「私にはわかる」といったそうだ。

 私も松下政経塾に二期生として入塾した。だから松下幸之助塾長に運と愛嬌があるとお墨付きをいただいたことになる。

 たしかに、政治家の二世でもない私が、第一回の小選挙区制度選挙で、小選挙区に勝利し衆議院議員になり、九年つとめた。次の内閣総務大臣や代表補佐をつとめた。

 郵政選挙で民主党は惨敗し、私も議席を失ったかと思ったら、孫正義社長の補佐としてソフトバンク社長室長に転身した。ソフトバンクの業績は、私が入社した二〇〇五年には1.1兆円の売り上げで、営業利益赤字であった。入社後三年で、売上高三.六兆円。営業利益は三五九一億円。これは日本企業の中の一一位である。

 私が何かしたというわけではないが、ソフトバンクに松下幸之助、お墨付きの「運」を持ってきたのではないかと思っている。

 これも松下幸之助塾長のことばである。「成功した理由は」との問いに「1%の汗と、99%の運」と答えた。私の今までの人生も、なにかそんな気がするのである。
 

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 戦国の雄たちの最後の勝負は長生きできたかどうかで決まるらしい。箱根からの帰りに「小田原北条五代祭り」の開催されている小田原城に行って知ったのだが、北条早雲は八八歳まで生きたのだそうだ。

 小田原城を訪れるのは松下政経塾指導塾員(いわば講師のようなもの)をしていたころ以来だから二〇年ぶりである。松下幸之助塾長にはそのころ月に一回お会いしていたが、すでに九〇代であった。

 北条早雲が駿河に現れたのは、一四六八年、三六歳のときであった。その後、四四歳まで駿河の国主今川義忠の妻の兄として行動するが、七六年その氏親の死と共に京都へ戻る。四四歳の時である。自らの基盤がなくなったら、そこに残るのではなくさっと撤退して力を蓄えたのであろう。

 孫社長から聞いた話である。「日本では負けるときに逃げるのは卑怯という発想がある。これは日本陸軍的発想であり、泥沼にはまる。経営者は撤退する勇気が必要だ」という。早雲も同じような発想を持っていたのだろう。

 そして、一四八七年、五五歳の時に再び駿河に戻る。元服した妹の子である竜王丸を擁立し、国主とする。今川氏親である。このときの功で早雲は興国寺城をえる。早雲の第二の人生がはじまる。

 このとき早雲56歳。小田原の大森氏親を破り統一したのは早雲六四歳の時であった。


 四十五十は洟垂れ小僧。人生勝負は七十、八十をあらためて思い出した。

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