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「たとえ二ヶ月でも、見習いに来ているという考えではいかん。たとえ一日でも手伝いにいけと言われたら、なりきってやらなければいかん」松下政経塾入塾後、まちの電気屋さん、ナショナルショップへの販売店実習の前に言われた言葉である。
今から三〇年前になる。私は日吉(神奈川県)の普通部通りにある手塚電気店に販売実習生として預けられた。六月、七月のことである。エアコンの取り付けの助手や、冷蔵庫の運び出だしの補助などから始まった実習だったが、政経塾では「なりきって」実際に電器製品を訪問販売することも実習の一つだった。
政経塾入塾後、「みなさんは将来の日本、世界をどうするかを考えて欲しい」などと有名講師の講話をたくさん聞いてすこし私の鼻が高くなっていた。「電器製品を売れないようではなにもできない」から訪問販売を是非やらせて欲しいとお願いし、一日五〇軒の家を回ることにした。
それが、甘かった。「ごめん下さい、手塚電器です」というと、知られた電気屋さんだけ会って戸は開けてくれる。しかし、考えると当たり前だが、「エアコンやテレビいりませんか」と言って買ってくれるはずがない。最初の一か月売れたのは、電池や蛍光灯ばかりだった。店員が男性三名、女性二名といた。朝会で報告するのが苦痛だったものだ。
最初にやっと売れたのは、一ヶ月と少したった七月のはじめ。商品は「大根おろし器」。何度も訪問するので可哀想と思った奥さんがたぶん、同情で買ってくれたのだと思う。名前も福島さんとしっかり覚えている。ただ、朝会での売上高グラフではうっすらと赤の線が引かれただけであった。
ところが、この大根おろし器が転機となる。七月でボーナスシーズンのせいもあったのだろうテレビだとか、発売されたばかりのビデオ、森昌子がCMしている電子レンジなど次々と売れ出したのである。
何でもすぐにあきらめることなく継続してやらなくてはいけないと私が悟った(?)原点が日吉にある。
さて、娘が慶應義塾大学に入学した。慶應義塾大学は日吉にある。そこで、懐かしい手塚電器を訪問した。ひょっとしたら、時代の流れと共に「手塚電器も・・」と思ったのだが、三〇年たつ今も存在していた。というより、デジタル家電が並べられ、益々繁盛しているように見えた。変わったのは一緒にエアコンをつけていた専務が社長になったぐらいのものだ。
このブログも継続が大事だと思う。みなさん、よろしくお願いします。
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