|
「野党はなぜ反対ばかりしているのか」「与野党協力すればいいではないか」という発言をワイドショーなどでよく聞く。政治家時代、私は「野党の役割は与党への批判にある」として、何をアマチュアが甘いことを言っているのだと思っていた。だが、民間に転じてみると、なるほどと思う。
松下幸之助が「政党は互いに非難中傷する競争をするより、国民に良い政策を訴える競争をすべきだ」と塾生達に語っていた。
「我々、企業経営者は他の業者を悪く言わない。けれども、こと政治になるとみんな悪く言うておる。あれおかしいと思うな。(略)
そやから今度、諸君が立候補するとなると演説をやらなならん。そのときには皆が感動するような相手の長所を調べて、相手の党はこういうことこにいいところがあるとほめたらええんや。『しかし、私らの考え方にはそういうものも入っています。そして味がさらによくなっています、だからよりいっそうよろしい』と、こういう風に話した方がええと思うな 」
松下政経塾出身の民主党政治家が対案主義をとるのはこんなところに原点がある。
野党の存在意義は、与党の案に対して反対の立場から対立意見を出す。政党は社会勢力のある部分を代表するものだから、政党の対立は国民の対立である。この対立の中から正しい結論が出るというのが教科書的な答えである。
しかし、実際の国会ではこのプロセスは働かない。法律は、与党審査の中で細かいところまで決められている。国会での法案修正がされることはほとんどない。
したがって、与党はとにかく法律を出来るだけ早く国会を通すことを目標にする。野党はとにかく、非難をするだけ。しかも、政策内容より、審議が止まる可能性が高い、スキャンダル中心ということになるのである。現に私も予算委員会でスキャンダルを追及していたことがある。
国会において法案修正するという習慣をつけなければ、国会議論は品格が低いままである。ドイツ国会を訪問したとき「国会で法案修正をしないなら、国会で議員は何をしているのか」といわれ愕然としたことがある。
松下政経塾出身の民主党議員は、なんとか対案主義をねづかせようと頑張ってきた。今のところ、民主党は対案主義をすて、古典的な野党の役割(?)に回帰したようである。
こんどつくるマニフェストはぜひとも「政党の善政競争」であって欲しい。
箱根に行き、新緑を体一杯に感じてきた。イロハモミジの若葉に光が透け、全体が緑にぬれ、木漏れ日まで緑にいろづいて見えた。新緑の中で日本の政治と日本の将来を考えた。
|