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参院選大敗から3日経った7月14日、菅直人総理は国家戦略室メンバーを前に「戦略室を私に意見具申する『首相の知恵袋』に衣替えしたい」と切り出した。09年8月30日、圧倒的な支持をえて政権交代をしたマニフェストの最初に書かれている政権構想、国家戦略局が葬りさられた瞬間であった。
菅直人総理は市民運動出身。最も得意とするのは個人プレーである。首相直属で、企画、総合調整をする国家戦略局という概念は全くわからなかったのではないかと思う。国家を「統治する」のではなく、「どんなことを言えば国民に受けるか」が重要なのだ。菅直人総理は「自前のチームが欲しい」と周辺に何度も漏らしていたという。
欲しかったのは、政策を調整し、決定、実行する機関ではなく、うける台本を書く「放送作家」か、百歩譲って言えばアメリカ大統領の「スピーチライター」集団なのである。菅直人氏が集めた国家戦略局メンバーが「なぜ、私たちが政策調整をしなければならないのか」と不満をもらしているという事実が雄弁にそれを物語っている。
組織というのは初代のトップが誰であったかが決定的に重要である。初代の理念、思いが組織に浸透し、組織はその経営理念にしたがって成長してゆく。その意味で、国家戦略局の初代大臣が、理念を体でわからない菅直人氏だった事は「国家戦略局」にとって不幸であった。
私は菅直人総理は野党の代表としては超一流だったと思う。ゲーテは「革命前はすべてが努力であった。革命後はすべてが要求に変わった」という。革命前は何を言ってもそれは革命への努力である。しかし、政権交代で権力の地位に就いた以上、予算も法律も本来自分で決めうる。したがって、話す事はすべて「要求」になる。それを企画立案し、総合調整し、決定する「統治」という概念が野党党首として一流過ぎる菅直人総理には理解しにくいのではないのだろうか。
菅直人総理における国家戦略局の迷走は、いざ政権の座についてみれば、戦略の名に値する国家ビジョンがなかった事に起因する。
長期的な国益と短期的な利益は一致しない。全面的な発想よりも一部利益を代表する意見の方が強い。
根本的な事より枝葉末節の事の方にマスメディアはとびつきやすい。その現実を知りながら長期的、全面的、根本的に必要な国家戦略を遂行しようとすれば、企画立案、総合調整をし、決定する国家戦略局は絶対に必要なのである。
一言でいえば、国家戦略なき菅直人総理に、国家戦略を実現する手段としての「国家戦略局」は不要だったのだ。
マニフェストの原点に帰れという民主党の動きがあると聞く。「過ちを知りて改めざる。これを過ちという」この動きに期待したい。
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