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「小沢氏処分をどうするか」が代表選挙の争点になりつつある。
今回の代表選挙は来年、9月までの暫定政権の色合いが強い。前原氏などは、総選挙の顔として、来年まで温存という説がまかり通っていた。
ところが、ここにきて前原氏が「外国人献金問題」のリスクを冒して、出馬の方向になったのは、小沢氏の処分が解除されたら、来年9月の代表選挙に小沢氏が出てくると周辺が考えたからのではとある記者から聞いた。このような次元で、本当に考えているとしたら情けないこと限りなしである。
3.11以来、民主党が支持を失っているのは「政治とカネ」の問題などではない。国難に当たり、総力を結集できない菅直人政権の統治能力、危機能力の低さに国民はノーをつきつけているのだ。参議院選挙の敗北、統一地方選挙での敗北など、国民は政権交代後の民主党に失望し、幻滅している。
選挙による政権交代という、日本の歴史上はじめての事業をなしたのは、鳩山由紀夫氏ー小沢一郎氏の創業者コンビである。創業者はだいたいが大まかで荒削り、スケールが大きく、小事にこだわらない人が多い。大風呂敷、荒ごなしの名人であるのもその特徴である。
ひるがえって、復興日本に必要なものは何かと考えれば、まさにスケールが大きく、大風呂敷、荒ごなしの構想と政治決断でないかと思う。
どの代表候補も物足らないというが、総理にとって必要なのは、日本復興のために自分より能力のある人を使いこなせるかどうかである。外から見て、総理がコントロールされているように見えたとしても、あくまで総理は総理なのであり、小沢一郎氏を復興担当相で使いこなすぐらいの度量が国難日本を率いる総理に必要ではと思う。
「小沢処分をどうするか」とは、小沢派を排除するかどうかなどという低い次元の話ではない。国難に直面する日本のリーダーが、総力を結集する腹をきめうるかどうかという事なのである。
日本復興に、小沢氏の剛腕を使うか使わないかが、民主党代表選挙の争点となったとき、「運動会」と揶揄された民主党代表選挙も大いなる歴史的意義を持つのである。
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