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小説「光の道」 第33回 政治的圧力
窓の外は微(こま)やかな雨が降っていた。最終報告書案を公開してから1週間。未来懇談会は最終回である第十四回目を迎えていた。
正論を押し通すのか、それとも与党民自党の主張、というよりもその後ろにいるJTに妥協するのか。
それぞれの委員には、断りきれないルートからいくつかの圧力がかかっていた。早瀬が主導してつくった報告書案を簡単に了承するわけにはいかない事情があったのだ。
早瀬は委員たちの事情もかんがみ、少しだけ修正をした。最初の報告書案ではJTの経営改革について「二〇一〇年には、通信関係法制の抜本的な見直しを行い、JT東西の業務範囲規制の見直し、持ち株会社の廃止・資本分離等を一体として進めるために所用の措置を講じる」だったのを「持ち株会社の廃止・資本分離等を一体として進めることを『念頭に』所用の措置を講じる」としたのだ。
「念頭に」と言う言葉を入れたのは、「二〇一〇年までに情勢がいろいろと変わったり、技術的動向も変わって不透明な部分も多いから」と説明したが、委員たちの顔をたてるためというのが大きな理由であった。
早瀬は、この修正で委員の了解を取ろうとしたが、そうもいかなかった。
「報告書を出したとしても、与党が了承していなければ単なるペーパーだ。ここは象徴的な『二〇一〇年には』のところに『頃』といれてはどうか。民自党は二〇一四年まであるというが、二〇〇八年、九年も『頃』だ。ようするに、JT問題にとりくめるかどうかは、政治情勢による」
松中理事長の発言は、仕事をもらっているJTへの配慮もあったのだろうが、一応説得力はあった。
「そりゃあ、『頃』と入れさせれば、片岡前総務大臣たちは面目が立つし、JTにも恩を売れるだろう。私も、それぐらいの小さいことで済むならいいかとも思うが、結局委員会報告書全体が政治に屈して、いままでの総務省審議会と同じだと思われる。明日の朝刊の見出しは『未来懇談会報告書、骨抜きに』で決定だ。竹村大臣はそろそろ来られるのかな」
山井教授が指で机をたたきながら、発言した。
五時から始まった会議は二時間を続いたが堂々巡りとなり、意見も出尽くしの感があった。委員たちは、竹中総務大臣が到着するのを待っていた。
「お待たせしました」
竹村が、にこやかな笑みをたたえながら入ってきた。黒革のいすを引いて、座長である早瀬の隣に座った。出されたお茶を一口ゆっくりと飲み、委員を見渡しながら話し始めた。
「委員の皆さん、今日は第一四回ですか。長きにわたって真摯に検討していただいたこと、感謝申し上げます。さきほど、小森総理と話してまいりました。総理からは『絶対に考えを曲げるな。竹村さんの考えが正しいと思って自分は任命した。竹村さんが選んだ委員も私は信頼している、だから正しいと考えたことをその通りにやってくれと』のことでした」
委員の顔に赤みが差した。早瀬は、「竹村さんが選んだ委員も私は信頼している」というのは竹村の作り話ではないかと思ったが、嘘も方便である。一気にたたみかけた。
「ありがとうございました。それでは意見も出尽くしております。竹村大臣から総理の言葉もご紹介いただきました。それでは修正案通りご承認いただくということでよろしいですか」
委員たちはそれでもやはりしばらく無言であった。
「異議ありません」
最初に声をあげたのは、松中であった。このあたりの変わり身の早さが、シンクタンク理事長にのぼりつめた秘訣であろう。
「異議なし」
山井が言葉とともに、小さく拍手をすると委員たちが続いた。報告書は修正案通り了承された。
竹村が立ち上がった。
「委員の皆さま、ありがとうございます。それでは、明日、大臣室で正式に最終報告書をうけとらせていただきます。未来懇談会は八名の委員ですので、全員大臣室においでいただければと思います」
委員から笑い声が漏れた。座長が、大臣室で報告書を渡すというニュースの一コマはセレモニーにすぎない。それでも、一瞬でもニュース映像が流れると委員たちは、知人から「ニュース見ましたよ。大臣と一緒でしたね」などと言われ、嬉しいものなのだ。
「この報告書で『以下に述べる措置を二〇一〇年までに速やかに講じることが不可欠であるという結論に至った。総務省はじめ、政府が本報告書の内容を真摯に受け止め、必要な措置を講じることを強く期待する』とあります。残念ながら、懇談会は私の私的懇談会であり、提言いただいた政策を政府・与党に強制できるものではありません。早瀬座長の御意向で、内容に関しては『座長一任』という形をとりませんでしたが、今後の取り扱いについては、私と早瀬座長に御一任いただけますか」
竹村は、報告書を受け取った後、自ら民自党との調整に入るつもりなのだ。委員メンバーに異存はなかった。委員たちは、毎日、政治的圧力がかかる生活からのがれたかったのだ。
雨は降り続いていた。梅が黄色く熟すころに降る雨だから「梅雨」という。「詩経」では、花よりも実に関心を持たれている。『書教』に「和羹(わこう=スープ)を作るには塩と梅」とある。料理の味加減をいう塩梅(あんばい)はここからきている。
(報告書もいい塩梅で収まった。でも、もう一仕事あるようだな。お茶会にいけるのはもう少し後か)
早瀬は、二時間半を超す議論で冷めてしまったお茶を飲み干しながら思った。
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