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3月28日、湯河原の不東庵。まだ花をつけていなかったが、枝垂れ桜を正面に見る書斎で細川護熙元総理と話した。
「日当たりの関係なのでしょうか、この枝垂れ桜は、花をつけるのが遅いのです。4月中旬でしょうか。2週間くらい楽しませてくれます」
西行の「今更に春を忘るる花もあらじ やすく待ちつつ今日も暮らさん」という生活をしておられたようである。
その細川さんが、「殿、ご乱心といわれるが、ご乱心でもしなければ戦えない。西郷隆盛のように政府のやりかたに物申す」として都知事選に挑戦された。
だが、結果は敗北であった。政治は勝って権力を握らなければ、自らの理想は実現できないのも厳然たる事実である。
「小泉さんと話しているのですが、5月に動きを始めようと思っています」と細川さんが言われた。
私は、「緑の党」の歴史年表を見せた。
1980年1月13日に市民団体がバーデン・ビュルテンベルク州のカールスルーエに集まり、環境政党緑の党を結党。1983年の連邦議会選挙で5・6%の得票率を記録し、初の議会入りを果たした。
地方分権が徹底しているドイツである。1985年にヘッセン州でSPDと連立政権を樹立。フィッシャーが州政府の環境大臣になった。
このフィッシャーがポイントで、原子力政策の内容を現実化して行った。この現実化路線によって、緑の党は、中間階層に対する有権者や中小企業の経営者らの心をつかむことに成功した。
そして、1998年にシュレーダーの率いるSPDと連立政権を樹立。脱原子力と再生エネルギーの拡大に乗り出す。シュレーダー政権は、2000年に大手電力会社との間に歴史的な「脱原子力合意」に達したのである。
細川元総理の構想は、政治ではなく、一般社団法人をつくり、タウン・ミーティングを開いて行くというものだった。したがって、私の言葉に直接の言及はなかった。
ただ、現実路線をとり、中間層に支持を広げるという私の主張には同意していただいたのだと思う。
一般社団法人の正式名称は脱原発をめざすものの、「自然エネルギー推進会議」となった。
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