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哲学者、井上円了が創設した東洋大学で「政策デザイン」の講義をしている。
アダム・スミスが国富論で市場の「見えざる手」を賛美しつつ、道徳感情論を書き、経済学と政治哲学を融合した講義をめざしている。形式も「これからの正義の話をしよう」のサンデル教授に学び、対話形式である。
今期の受講者は250名。もちろん必修ではない。非常勤講師の講義としては人気講義(?)のせいか、すでに6年目である。
今回の講義は、「市場の失敗と政府の役割」。公共財、独占・寡占市場を講義した。
アダム・スミスの国富論の中に「同業者というものは、楽しみや気晴らしのために集まったときでさえ、人々をあざむく悪巧みや価格引き上げのための共謀について話し合っているのだ」とある。
この文を紹介したら「国富論ってこんなあざといこと書いてるのか。面白いな」という声が聞こえた。知的興味を持つことが第一である。
地域独占の電力事業を解説した後、核廃棄物処理場決定について話した。
スイス政府が核廃棄物処理場の場所を探していた。ある村が候補になった。
「あなたの村が核廃棄物処理場の建設地と連邦議会で決められたら賛成しますか」とのアンケートに51%の住民がYESと答えた。
政府は、51%を上積みすることを目標に一人当たり年間6000ユーロ補償金を払うという施策をとった。年間、72万円として1ヶ月6万円。4人家族で24万円。悪い話ではない。
どうなったかと学生に聞いてみた。賛成が増えるとしたのが7割。減るとしたのが3割だった。
答えは、25%と半減。
「へぇー」という声。減るとした男子学生、女子学生に理由を聞いた。二人とも「お金を払うということは危険だということ。だから、反対が増えた」と答えた。皆、同感のようだった。
実は、スイスは違った。意見を変えた一番の理由は「お金で買収されたくなかったから」というものだった。市民としての責任感から、処理場を引き受けようとしたのに、金銭取引に低められたことに憤慨したというのが理由だったのだと報告されている。
学生の一人が「日本人は卑しいよな」と遠慮ない感想をもらした。
講義はまだ3回目。始まったばかりである。日本人は、本来「正義」を重んじる国民のはずである。いつから、それが減衰したのか。また、復活は可能なのかを探求して行きたいと思っている。
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