島さとし(嶋聡)の「大風呂敷のススメ」

松下幸之助に学び、ソフトバンク社長室長3000日の後、多摩大学客員教授を務める元衆議院議員「島さとし」のブログです。

政治家の品格

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人民の上に位する者もの、己を慎つつしみ、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勉め、職事に勤労して、人民の標準となり、下民其その勤労を気毒に思ふ様ならでは、政令は行れ難し。
                      西郷隆盛

 舛添東京都知事の出張はファーストクラス、一泊20万円のスィートだとか、箱根の別荘に行くのに、公用車を使ったことについて議論になっています。ロンドン、ボリス市長が2015年に日本を訪問した時は、ビジネスクラス、ホテルも3万5千円のちょっといいホテルでした。中期的にみると、これで舛添知事のもとでは、改革が行われなくなると予想されることが問題です。

企業でも、地方自治体でも、改革はそもそも反対が多く進まないものです。そのときに改革が進むかどうかはトップの姿勢にかかってきます。
西郷隆盛が言うように、贅沢をつつしみ、節約に努め、皆がその精励を気の毒に思うようでなければ、多くに我慢を強いる改革は進みません。
2006年のボーダフォン買収から10年たちました。当初は負債の返済で大変でした。そのころ、陣頭指揮で14時間近く働いていた孫正義社長の着ていたセーターはユニクロ制でした。ユニクロの柳井社長が社外役員をしておられたこともあるでしょうが、この姿勢ならコスト削減も進むなと思ったものです。

大河ドラマ、真田丸で長野県上田市が有名になりましたが、江戸時代の真田藩は国替えがあり信州松代藩十万石でした。
松代藩は宝暦の世(18世紀)に洪水があり、川中島の治水工事などで財政窮迫しました。これを改革、再建したのが「恩田木工」で、財政再建、行政改革の模範とされています。 木工は「平成、飯と汁のほかは香の物といえど、副食物は食べない」「今ある、着物は着るが今後の着物はすべて木綿とする」として質素倹約を徹底します。
そのうえで、「自分は今後、一切嘘は言わぬ。命令したことはけっして改変しない」として改革を断行していったのです。その結果、木工の再建五か年計画は五年ならずして、見事な成功を収めたのでした。

1980年代、行政改革を進めたのは経団連会長でありながら、「メザシ」をおかずとしていた「メザシの土光敏夫」でした。河村たかし名古屋市長が圧倒的人気なのも、市長の給料を一番安くしているからでしょう。日本で改革を進めるためにはリーダーが質素な生活をすることが必要条件だと思います。

 1998年、私は日本で初めて、ネット選挙解禁を訴え、議員立法を推進しました。そのころ、私は「Eポリティクス実践派」と呼ばれました、
 インターネット社会がまだ初期段階の2000年4月の雑誌、フォーサイトの記事です。http://www.fsight.jp/6644

 「アメリカ大統領選ではインターネットが活用されており、「Eポリティクス」なる言葉も定着した。ひるがえって日本では、公職選挙法上、インターネットは「政治活動」には使えるが「選挙活動」には使えない。例えば、選挙期間中の議員のホームページ更新は禁止されているのだ。 ネット使用解禁を求めた民主党の一昨年の改正案は廃案になり、さきごろ与野党が選挙制度欠陥是正につき合意した際も、この問題は自民党の反対で先送りされた。

ネット選挙解禁の議員立法が廃案になったのを受けてのインタビュー。
「インターネットを使うのはどちらかというと若くて選挙に行かない人。そういう人が投票するようになると、政治構造が変わってしまって困るから反対してるんじゃないかな」と辛辣なのは、改正案をまとめた民主党の島聡議員だ」
 ネット選挙は解禁されました。選挙権も18歳からとなります。今回私が挑戦する参議院全国区(比例)はネット選挙にもっとも向いているというのが持論です。元祖Eポリティクス実践派として、色々、トライしてゆきますので、ご助力のほどお願い申し上げます。

「島氏は一九五八年生まれ。・・「IT革命と起業家社会化で日本経済を復活させる」をキャッチフレーズに、ネットとベンチャー
関連の政策に力を入れており、昨年まとめた著書『起業家倍増計画』は「中小企業国会」の流れを作ったと評価されている。党企画局次長として、今国会から始まった「クエスチョンタイム(党首討論)」も担当している」
こう見てみると、ソフトバンクの飛躍に社長室長として携わったのも、「IT革命と起業家社会化で日本経済を復活させる」一環だったと思えます。今後は日本の中小企業、ベンチャー企業の飛躍、成長のためにソフトバンクでの経験をいかし、より尽力してゆきます。

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東風、氷を解く季節となりました。

さて、私、島さとし(嶋聡)は衆議院議員九年、ビジネス界九年の経験を活かし、再び、日本のために働かせていただきたいと、再び、政治に戻ることを決意いたしました。
本日、「おおさか維新の会」参議院全国区候補予定者として公認をいただきましたので、お知らせ申し上げます。

「政治から経営へのトップランナーになりたい」と孫正義社長に述べ、ソフトバンク社長室長に就任したのが二千五年十一月。社長室長八年三千日でソフトバンクは売上高1,1兆円から6.7兆円のグローバル企業に飛躍しました。少しは日本経済の成長にお役に立てたのではと思っております。政治と経営を経験し、再び、政治に戻るというのは日本で初めての挑戦だと思います。

2011年3月11日の東日本大震災、福島原発事故から5年が経とうとしております。
3月22日、震災からわずか11日後に、孫正義社長と共に、福島県庁、田村市の避難所を訪問しました。そのときの強烈な体験が私に「原発フェードアウト・自然エネルギー推進」を決意させました。
参議院の任期は6年。じっくりとエネルギー政策に取り組みたいと思います。

島さとしが「ネット選挙解禁法案」を議員立法で提出したのは1998年6月。日本で初めてのことでした。今回の参議院比例(全国区)選挙は提唱者として「ネット選挙」を主体に行います。

お正月に「ロッキー・ファイナル」をDVDで見ました。50代になったロッキー。亡き妻の「エイドリアン」の名前を冠したレストランを経営し、それなりに名士として敬意ももたれ、「語り部」としての生活を過ごしています。しかし、ボクシングへの情熱、冷めやらず、もう一度リングにたちます。

 周囲は心配、嘲笑しますが、ロッキーはこう言います。
「あんたたちにも胸に秘めた夢ってものがあるだろ。夢を追い求める権利があるなら、その心意気を尊重すべきだ。歳をとるほど失うものも多い。それが人生さ。残ったわずかなものまで奪わないでくれ」
 私も今、似た心境にあります。

38歳から47歳まで衆議院議員。47歳から57歳までソフトバンク。そして、57歳。「人生の本舞台は常に将来にあり」との思いで走りぬいてまいります。

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21世紀初頭の憲法改正論(1)・・新改憲派からの憲法改正論

安倍首相が、夏の参院選について「自公だけではなく、改憲を考えている責任感の強い人たちと、3分の2を構成していきたい」とNHKで発言したことで、憲法改正が参議院の争点になろうとしている。
2001年、時の小泉首相が「首相公選制導入のために憲法改正を!」と述べ、憲法改正に対し議論が巻き起こった。憲法調査会も設置され、私は衆議院憲法調査会の幹事、基本的人権小委員会の小委員長をつとめた。
再び、憲法改正の議論が起きようとするにあたり、「21世紀初頭の憲法改正論」を振り返って見たいと思う。

私は議員時代、民主党に所属していた。そのとき、中野座長の下、民主党憲法調査会の事務局長もつとめていた。

朝日新聞「論憲」読めぬ後半戦(憲法を考える)2002年10月21日朝刊にはこうある。

「憲法改正も視野に入れて人権保障の議論を深めたい」
 7月25日。衆院調査会の島聡・基本的人権に関する調査小委員長(民主党)は、通常国会での議論をこう総括した。民主党の若手には、環境権など「新しい人権」を導入する形での改憲を目指す志向が強まっている。
 島氏は9条改正に抵抗感がある民主党議員も「新しい人権」を盛り込むことには前向きだ、という。自民と民主がまとまれば、憲法改正を発議できる議員数3分の2に達する。「我々が動けば改憲は現実のテーマになる。今後、調査会では各条項ごとに議論を進めるべきだ」と強調する。
(中略) 
 島氏らは、「押しつけ憲法論」を唱えて改憲を求めるベテラン議員とは一線を画す「新改憲派」とも呼べるグループだ。
 こうした状況に「議論の共通認識ができてきた」(中山太郎・衆院調査会長)と、民主と与党間での改憲論議の収斂(しゅうれん)に期待する声も増えてきた。」 以上

 私は戦後70年、日本国民が「日本国憲法」のもと、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義・国際協調主義を重視して、日本を造ってきたことは過小評価すべきでないという立場である。
同時に、旧来の改憲派のように憲法が「押し付け」だから変えろという立場ではない。「押し付け」られたか否かという、ともすれば感情の入る議論を超えて、国民が素直に読んで新しい「憲法」を造るべきと考えていた。2002年頃、私は、それまでの民主党の立場であった、「論憲」から一歩踏み込んで、「創憲」を主張するようになる。

 

栃木県佐野市にて講演させていただき、足尾鉱毒事件と闘った田中正造の旧宅を訪問しました。

「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」
 田中正造は、明治憲法に保障された人権を愚直なまでに信奉し、衆議院議員として足尾銅山の鉱毒問題をとりあげ、渡良瀬川沿いの人々を救おうと努力しました。
 
 足尾銅山は明治期、東アジア一の産出量を誇り、銅は主要輸出品目でした。国策だったのです。
 国策の前に、人が犠牲になる。これは、チッソの水俣病。原発にも共通しているところがあると思います。

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 「亡国に至るを知らざれば それ、即ち、亡国」
原発を巡るエネルギー問題をもういちど熟考したいと思います、

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