島さとし(嶋聡)の「大風呂敷のススメ」

松下幸之助に学び、ソフトバンク社長室長3000日の後、多摩大学客員教授を務める元衆議院議員「島さとし」のブログです。

政治家の品格

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 菅直人総理が退陣する。30日に交代するとして、在任499日、現行憲法下で森総理より長く、大平正芳氏についで19番目である。
 評価は厳しい。円高になすすべもなく、尖閣諸島沖での中国船衝突事件でも外交力の弱さを見せつけ、脱官僚依存に固執しすぎ、福島原発の対応でも後手に回ったなどなどである。

 良くも悪くも超一流の市民運動家だった菅直人総理がもっとも気にするのは、有権者がどう判断するかである。権力のど真ん中にいて、市民運動家の行動様式を続け、統治側のトップにはなれなかったのだという分析がある社説にあった。
 私はかつて、たまたま、菅直人総理の補佐役をしていた。「下、3日にして上を知る」という。私は菅直人総理が日本国の統治者としてむかないと知っていたから、昨年の代表選で支持しなかった。

ただ、総理の座につかれた以上、少しは縁をもったものとして、活躍していただきたかった。今、菅総理を擁護する発言をすると批判されることを覚悟で、あえて「脱原発」の路線確定、再生エネルギー法の成立は菅直人氏だからこそできたと言いたい。

 市民運動家とは、一種の革命家である。明治維新で言えば、吉田松陰が思想家。菅直人氏がファンである高杉晋作が革命家。伊藤博文や山形有朋が実務家で統治者である。
 一種の革命家である菅直人氏に「統治者の仕事」を求めるのは「木によりて魚を求む」の類であることが、なぜ識者やマスコミ、もっと言えば管氏の補佐役たちがわからないのだろうかとずっと思っていた。

 高杉晋作の生に対する思索がある。「生とは天の我を労するなり。死とは、天の即ち我の安んずるなり」と萩の政府員だった毛利登人にあてた手紙に書いている。晋作にとっての生とは、天がその生に目的を与え、その目的のために労せしめるという仮定であるというのだ。
 菅直人総理の周辺が「菅直人氏は総理になって以来、ずっと自分探しをしていた。脱原発に出会って、はじめて総理になった目的を発見したようだった」と言ってるとのことだ。そして、昨日、再生エネルギー法案が成立した。

 総理の退陣条件という「政局法案」にしなければ、もっとすんなり通ったという意見もあるが、それは後付けである。当初、再生法案は優先順位が低く、経産省としては6番目の法律と言われていた。担当課長クラスも今国会での成立をあきらめていた感さえあったのだから。

 脱原発路線は、代表選挙でもスピードの違いさえあれ、民主党代表選挙の候補者すべてが語っている。
福島の事故があったとはいえ、大きく、日本が舵を切ることができたのは菅直人氏が、超一流の市民運動家だったからできたことであると思っている。

 私は今、経済界にいる。再生エネルギー法という、枠組みを国会が制定した。経済人として、再生法の精神を実際の事業として結実させたいと思っている、


 
 

 前原誠司前外務大臣が、民主党代表選挙に立候補するらしい。半年前に外国人献金問題で、外務大臣を辞職した前原氏がでるということで、自民党は手ぐすねを引いているとのことだ。

 前原氏自身、「ボロボロになって、政治生命が失われてもかなわない」との発言をしているのは、外国人献金問題を含めた「二の矢、三の矢」が出ることを覚悟しているように思われる。昨日も、何人かの政治家と話したが、実際にすでに噂がでているらしい。

 私は、前原氏の友人として、あるいは政経塾の同窓生として今回の出馬を誇りに思いながらも、心配している。今回の立候補は、目の前の支持率の高さに惑わされた周辺の進めに従った「暴虎馮河を渡る」類のものに見えるからだ。偽メール事件の時のように、ふたたび短期間で前原氏が辞職に追い込まれないかと彼の才能を知っているだけに心配するのである。

 「暴虎馮河して、死して悔いなきものは、吾ともにせざるなり」と論語にいう。「必ずや、事に臨みて懼れ、謀を好みてなすもの」でなくては、日本の総理はつとまらない。

 立候補が既定路線なら、前原氏は二つのことをなすべきである。

 第一は、党内の対立関係を解消し、有力者を決定的な敵にしないことである。昨夜、複数のベテラン議員と話すことをまとめると「前原氏が立候補するなら、京セラの稲盛さんと話をしていないはずがない。稲盛さんなら、小沢さんとも近いから、二人を協力関係にすることができるのではないか」という期待を述べていた。稲盛さん、うんぬんはともかく、国難のために、対立を解消することがまずは重要なのではないかとおもう。

 「謀を好みてなす」というのは、敵を減らし、味方を多くすることである。

 第二は、前原さんの周囲に六韜三略にある「股肱」と「羽翼」の臣をおくことである。
 「股肱」とは、堀、城壁を担当し、守りの面で万全の態勢をつくる臣をいう。偽メール事件でも見るように、前原さんの周囲には目立つのを好む人は多いが、この分野は圧倒的に弱い。

 「羽翼」とは、勇名を責伝し、敵の闘志を弱めることを任務とする。これも前原さんの周囲には、自分が目立つ事を第一義とし、自分を押し殺して、トップを目立たせようとする人は少ない。残念ながら、前原さんの周囲には真の補佐役はいない。

 
 政治とは、「硬い、硬い板にジワリ、ジワリと穴をあけてゆくようなもの」であり、けっして軽々に政治生命をかけてはいけないのである。トップが、「政治生命」という言葉を使おうとした時、それを止めるのが真の補佐役である。

 立候補が既定路線なら、周囲はぜひとも前原さんの政治生命が長くなるような方策を考えてほしいものである。

 


 

 

「小沢氏処分をどうするか」が代表選挙の争点になりつつある。

 今回の代表選挙は来年、9月までの暫定政権の色合いが強い。前原氏などは、総選挙の顔として、来年まで温存という説がまかり通っていた。

 ところが、ここにきて前原氏が「外国人献金問題」のリスクを冒して、出馬の方向になったのは、小沢氏の処分が解除されたら、来年9月の代表選挙に小沢氏が出てくると周辺が考えたからのではとある記者から聞いた。このような次元で、本当に考えているとしたら情けないこと限りなしである。

 3.11以来、民主党が支持を失っているのは「政治とカネ」の問題などではない。国難に当たり、総力を結集できない菅直人政権の統治能力、危機能力の低さに国民はノーをつきつけているのだ。参議院選挙の敗北、統一地方選挙での敗北など、国民は政権交代後の民主党に失望し、幻滅している。

 選挙による政権交代という、日本の歴史上はじめての事業をなしたのは、鳩山由紀夫氏ー小沢一郎氏の創業者コンビである。創業者はだいたいが大まかで荒削り、スケールが大きく、小事にこだわらない人が多い。大風呂敷、荒ごなしの名人であるのもその特徴である。

 ひるがえって、復興日本に必要なものは何かと考えれば、まさにスケールが大きく、大風呂敷、荒ごなしの構想と政治決断でないかと思う。

 どの代表候補も物足らないというが、総理にとって必要なのは、日本復興のために自分より能力のある人を使いこなせるかどうかである。外から見て、総理がコントロールされているように見えたとしても、あくまで総理は総理なのであり、小沢一郎氏を復興担当相で使いこなすぐらいの度量が国難日本を率いる総理に必要ではと思う。

 「小沢処分をどうするか」とは、小沢派を排除するかどうかなどという低い次元の話ではない。国難に直面する日本のリーダーが、総力を結集する腹をきめうるかどうかという事なのである。

 日本復興に、小沢氏の剛腕を使うか使わないかが、民主党代表選挙の争点となったとき、「運動会」と揶揄された民主党代表選挙も大いなる歴史的意義を持つのである。
 



 

 民主党代表選に多くの候補が乱立し、「運動会のようだ」とも評されています。与党第一党である民主党代表は、この国難の中にある日本を総理として統治しなくてはならない運命を持ちます。

 明末の呂新吾が書いた「呻吟語」は「深沈重厚なるは、これ第一等の資質なり。磊落豪勇なるは、これ第二等の資質なり。聡明才弁なるはこれ第三等の資質なり」とある。代表を選ぶ権利を持つ民主党国会議員は6人以上も出ている、代表候補をこの基準で判断し、自ら行動していただきたいと思います。

 深沈重厚の魅力とは、静かで大きな湖のような魅力と言ってよいでしょう。私が書でよく書くのに「百川異源、皆海に帰す」(准南子)というのがあります。源の異なる川をすべて受け入れる海のように引きもまれてしまう魅力です。歴史上の人物では西郷隆盛が近いでしょう。

 人物が大きく、多くの政治家の思いを受け入れ、時勢を先の先まで見通し、禍を未然に防ぎ、知らず知らず、国民に幸福を与える人。これが、深沈重厚の魅力です。

 政経塾の先輩である野田さんは、深沈重厚の魅力に近い人なのですが、まだ若いせいもあって、 「大増税」とか「大連立」とかの政策に走ってしまい、失速しているのが少し残念です。

 次に第二等である「磊落豪勇の魅力」。豪放磊落で、大きな石がゴロリところがっているような雰囲気を持つ。小さな事に拘泥せず、バリバリ仕事ができる人。現政権では、仙谷前官房長官というところでしょうか。ただ、これは時として鋒鋩露出するとことがあり、敵ができやすいので、今の民主党には向かないかもしれません。

 「聡明才弁なるは第三等の資質」。頭もきれるし、弁も立つ。口八丁、手八丁という人物です。枝野官房長官などはまさにこれにあたります。
 呂新吾はこれを「軽薄才子」に陥る危険性があるとして「もし、これを行事にあらわせば、・・かえって事を破る。ただ、談論の科におるべき」としています。
 民主党には「聡明才弁」の政治家が多いと存じます。一挙に、深沈重厚にはいきませんから、「聡明才弁」から始まって、「磊落豪勇」「深沈重厚」と進んでいかれることを望みます。

 「深沈重厚は、これ第一等の美質にして、天下の大難を定るはこの人なり。天下の大事を弁ずるはこの人なり」(呻吟語)

 ぜひとも、民主党議員は代表選挙に当たり、深沈重厚の人を選んでいただきたいと思います。この天下の国難を定めるのは、第一等の資質を持つ人でしかないと思うのです。民主党にとって、最後のチャンスかもしれません。


 
 

 日本は国難にあり、国民は不安の中にある。その中で、民主党代表選挙が8月29日にも行われるという。

 昨年の今頃、民主党は代表選挙に突入していた。私は、ブログなどで、菅直人氏でなく、小沢一郎氏を支持した。代表補佐役を経験した人間として、菅直人氏は野党のリーダーとしては一流でも、日本国を統治する総理としては疑問符がつく。良くも悪くも超一流の市民運動家であり、総理にはふさわしくないと思ったからだ。

 不幸にも、私のこの予測は当たってしまった。昨年の代表選挙でマスコミ、評論家、学者がどう発言していたか検証して、今回の代表選挙の際の判断することを投票権をもつ、民主党議員にお願いしたい。

 民主党議員は、けっして、マスコミ、評論家、学者のいうことに惑わされず、自らの判断と意思で代表を選んでほしいのだ。そうしないと、また国を誤ることになる。

 菅直人総理は、「国会議員の最大の仕事は総理をえらぶこと」と言った。現憲法上ではこれは正しい理解である。そして、議院内閣制では与党第一党の代表が総理となる。ということは、民主党国会議員だけが、日本国の運命を決める総理を選ぶ権利と責任を持っていることになる。

 孫子と並び称される呉子は、魏の名君文候に仕えた。その文候がなくなり、国が不安の中にあったとき、自信家の呉子は自分が宰相になろうとした。しかし、こと志と違い、田文(孟嘗君とは別の人)がその任に就いた。おさまらない、呉子は直接、田文にせまった。

呉「三軍に将として采配をふるった場合、どちらが有能か」
田「君には及ばぬ」
呉「官民を治め、財政を充実することにかけてはどうか」
田「それも及ばぬ」
呉「諸外国を操縦する外交手腕にかけてはどうか」
田「それも及ばぬ」
呉「三者いずれも吾輩に及ばずして、どうして君は宰相となっておれるか」

田「それではお尋ねしよう。国を挙げて不安で、大臣たちもしっくりせず、政府に民衆の信頼ない重大局面に、宰相の大任は君に属すべきか、私に属すべきか」

呉子はしばらく考えて後、答えた
呉「やはり、君でなくてはならぬ」    『史記』本伝

いま日本に必要な政治家は、才や智でなく、徳望であり、見識(見識は知識ではない)である。

民主党国会議員の見識に期待したい。

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