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「日本の国家経営は、論議多くして決断がない。したがって、実行力もない。
それが物事を停滞させて、なにごともコストが高くつくことになっている」 松下幸之助。 議論の為の議論。批判の為の批判では、ものごとは進まない。「光の道」の論争、評論家、ジャーナリストの意見を聞いていてそう思う。 議会は、国民の教育の場とバジョットの憲政論。議会が批判の為の批判をしているから、そうなるのだろうか。 本日、議会開設120周年記念式典。国会、政治のありかたを考えたい。 vi |
松下幸之助に学んだ政治経営学
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本日、4月27日は我が師である松下幸之助塾長が94歳で永眠された日である。不肖の弟子である私だが、毎年この日は松下塾長の志を思い出してみずからを奮い立たせている。
当時、私は松下政経塾の指導塾員。いわば、チューターのようなものであり、塾生とともに松下塾長に接する機会が多かった。 その中で一番覚えているのは・・ 塾生の一人が都合あって中途で退塾しなくてはならなくなった。その塾生の質問。 「塾長、これが私の最後の質問になると思います。 信長は、鳴かぬなら殺してしまえホトトギス。 秀吉は鳴かぬなら、鳴かせてみようホトトギス。 家康は鳴かぬなら、鳴くまで待とうホトトギスと言いました。 塾長ならなんと言いますか」 ちょっとの沈黙。水を一口飲んで。 「鳴かぬなら それもなおよし ホトトギス」 今では、かなり知られた話だが、鮮烈に覚えている言葉である。 |
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本日、4月25日は私の誕生日。52歳となりました。
松下政経塾指導塾員をしていたとき、松下病院を住まいとしていた松下幸之助塾長を訪ね、聞いた話です。 「わしはな、明治27年(1894年)生まれや。わしの願いは107歳まで生きて、3世紀に渡って生き、21世紀をこの目でみることや」 85歳のときに松下政経塾を設立したというのは、107歳まで生きるという夢があったからでしょう。残念ながら、平成元年に94歳で永眠されました。もしも21世紀までご存命だったら、不祥の弟子である私も衆議院議員になっていたのですが・・。 医学もどんどん進歩しています。私が107歳まで生きるとしたら、52歳の私はあと55年あります。ということは衆議院議員をしていたり、現在ソフトバンク社長室長をしていることはこれからはじまるセカンドステージの準備期間だという事になります。 孫正義社長も23日のシンポジウムで「なぜ、60歳や65歳で定年制というのがあるんでしょうか。アメリカでは性差別と同じように年齢差別は法律違反。そもそも履歴書に年齢を書く欄がない。これから人口が減っていくのだからもっと経験をいかさなければ」という趣旨の発言をし、出席いただいた国会議員に「先生方にぜひ議論していただきたい」と述べています。 本日、52歳の誕生日はこれからはじまる55年のスタートです。時代も変わってくるでしょう。政府と民間の交流もどんどん盛んになるでしょうし、アジアとの交流も深まるでしょう。 第二の人生50年計画にむけて、本日からスタートします。みなさん、これからもよろしくお願いします。 |
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「かつてない困難からは、かつてない革新が生まれ |
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テレビドラマ、「不毛地帯」を録画して見ている。モデルとされた大本営参謀で、伊藤忠商事相談役の瀬島龍三氏は政治から民間に転じた私の目標であるからだ。 |



