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「緑川鉄橋」
、熊本県下益城郡富合町、鹿児島本線、川尻、宇土間 昭和20年、7月、空襲で列車の通行不能となる。 後日私はその列車に乗って下り八代方面に帰省しました。が 列車は緑川橋際で客を降ろして折り返し運転で上り熊本方面に向う んですが、このとき転車台のある熊本まで機関車は後ろ向き運転の はずである。後ろ向き運転は見たことはあるが,熊本駅までは 多分15キロ以上あるのではないだろうか。機関士も後ろ向きでは 運転しにくいだろう。 60年経った今も、気になっている。 川尻、緑川鉄橋間はは列車の最後尾から押して運転していたような 気もする。 そのとき青いい旗を振って列車を誘導していたのは私の一年先輩の S君でした。 ここで降ろされた乗客は上流を迂回して対岸に待つ下り 列車に乗って八代方面に向う。 熊本、川尻方面から来た来た列車はここまで来て乗客を降ろして熊本方面に 引き返します。(後方の山は金峰山) ここまでは機関車は後ろから押してきたような気がする。 現在の緑川鉄橋(この橋が米軍の銃撃で通行不能になりました)
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機関車が後ろ向きに走っていたなんて驚かれた
でしょうね 緑川鉄橋は当時のままなんですか
気になりました。
2009/11/19(木) 午後 7:43
CKBさん熊本で緑川まで前向きで走ってくれば帰りは後ろ向きのはずだと、60年前のことを思い出してSLを撮影に行って始めて考えました、緑川鉄橋は8月には通れましたから一部損害だったと思います。記憶違いもあるかも知れません。
2009/11/19(木) 午後 9:48 [ simomatu3019 ]
初めてコメントさせていただきます。
CKB様は、拙の父と同世代の方とお受けいたします。
ずいぶん前の記事のようですが、現状と幾分違いがありますので、コメント欄に投稿させていただきました。
写っている鉄橋のほうは戦後拙が子供の時分に、鹿児島本線が複線化したときに造られた下りの鉄橋で、米軍の空襲を受けていたのは、その後ろにある上り側の大正15年製の鉄橋だったと思うのですが。
そちらのほうの鉄橋の橋脚には、その当時の機銃掃射の弾痕がいまだに残して(?)あり、何度か拙のブログで写真を公開したことがございます。
餓鬼の時分、父(存命)からいろいろ薀蓄を聞かされました。
まあ、CKB様はたぶんいろいろ説明すると面倒なので省略されただけなのかもしれませんが・・・。
2016/8/15(月) 午後 5:58 [ 中熊 龍一 ]